恋愛とは、
恋愛に限らず、物事の評価は概ねなんであれ、思い込み、
そして、大概の評価は、思い込みであっても、
いや、私が問題ないと思っているだけで、
一定数が多数派であることも。
でも、評価なんて間違うものなのだ、あてにならないモノなのだ、
特に男性に顕著であるが、一定の属性の他人(女性)を、
例えば、女子高生であるとか、OLであるとか、主婦(人妻)
あるいは、眼鏡をかけているであるとか、黒髪ロングであるとか、
はてまた、考えるときに頬に手を当てるとか、
かつて、同僚から、
同意はできないが、評価は人それぞれであり、当然のことながら、
ただ、
ふと思ったのだが、女性が一定の属性で他人を評価する際は、
オタクだからキモイとか、デブだからキモイとか、
同性に対しても、親が金持ちであるから高飛車であるとか、
ある属性を元に評価を下すことの是非は難しい。
多くの要素を評価の際に考慮することが正しい判断に、
ネガティブチェック、つまり、
しかし、それ以上、つまり失敗の確率を減らすだけではなく、
私は属性による判断をしない方であると思っていた。
頭が切れ、スタイル抜群で優しい美人と言われても、
だが、朝の満員電車で、自分が好ましいと思う属性に、
その属性とは、
聖書を読む人、
である。
これまでも聖書を読む人を見たことがないわけではない。
その大半は大学の授業か、教会の中である。
満員電車で人に囲まれ押されよろめきながら聖書を読む人に出会っ
私がこれまで出会った、聖書を読む人は、
ところが、その人は、スマホで聖書を読む人、だった。
私の知る、聖書を読む人は、朝起きて顔を洗ったような、
ところが、その人は、身体の具合が悪いのか、
私の思う、聖書を読む人は、清潔感のある身形の人である。
ところが、その人は、
普段の私が、歩いているその人を見たら、ノリが良く、
しかし、その時、私は、その人を、聖書の教えに則り、
人は身なりでもなければ、雰囲気でもない、
満員電車が終点に到着し、降車の人群れでその人を見失っても、
新しい価値観を獲得した、
その時、ホームの端を歩くその人が見えた。
片手を電車について、立ち止まっていたのだ。
次の瞬間、
近くにいたサラリーマンが大丈夫ですか?
聖書のモチーフを現代風にアレンジすることは敬虔なクリスチャン
購買意欲を掻き立てる、なんだかすごいことに聞こえるが、
あいつらは、欲しいものが大人と比べてはるかにたくさんある。
欲しいものがあれば、それを隠そうとしない。
どころか全力でアピールする。
もちろん、親が買い与えるものなど、数百円が限度(
その数百円の売り上げのために、子供の目に付く所に、
たかだか数百円であれば、ぽんっと買えるか、
親の立場としては、
正直、強請られることは非常にメンドクサイ。
それはモノを買って、と言うおねだりであろうと、
応えてあげられることならまだよい。
断るのは、相手の抵抗もさることながら、良心の呵責も覚えるし、
とはいえ、経済的な理由(
できることなら、おねだりなどしてほしくない、
欲しいと思ったのに、
子供もほしいと言ったものが手に入らないと分かると泣き叫ぶこと
何かを欲しがって泣き叫ぶ姿には理性の欠片もない。
たまーに、笑ってくれるおばあさんもいるが、
し、そもそも周りがどんな顔で自分達を眺めているのか、
想像上の他人は自分達には冷たい。
子供を持つ身になってからであっても、
怒りや不快を感じるわけではないが、
結果として、ファミレスの入口においてあるおもちゃは、
喜ぶのは短期的に売り上げがアップして投資家への説明責任を果た
やはり資本家による労働者の搾取が問題なのではなかろうか。
それはともかく、
この不幸のシステムを回避する簡単な方法は、店に入る前に、
結局買えってことなのか。
いや、そうではない。
新しいおもちゃは、新品のおもちゃという意味ではないからだ。
その子供にとって、目新しいおもちゃがあればそれでいいはずだ。
図書館で集中するのが苦手だ。昔から苦手だった。
何度も勉強するために図書館に足を運んだが、一向に勉強しない。
眠たくなるか、いたたまれなくなるのだ。
逆に集中できる場所は、自宅の自分の机だったり、
私はずっと、その理由は、私が喫煙者だからだと思っていた。
図書館はたばこが吸えない、だから集中できないのだ、
タバコをやめてしばらく経って振り返ってみると、いや、
私は未だに図書館では集中できなくて、
他に集中できる場所はファミリーレストラン、電車の中、
逆に集中できないのは、深夜、
お気づきかと思うが、私にとって集中できる場所、
多分、というのは試したことがないのだが、
居酒屋やカラオケボックスで集中できるとは思われない。
そして静かすぎる場所もだめなのだ。
この発見はちょっとしたショックであった。
一般には、集中したければ、雑音の無い空間に身を置く、
私も当然のようにそう思っていた。
なのにそれが違っていたとは。
ついでに言うと、自分の好きな音楽がかかっていると集中できる、
私にはこれもなく、音楽はかかっていてもいなくても関係がない。
音楽を聴きながら勉強するくらいなら、
人それぞれとか、個人差がとか、考え方として理解していても、
ずっと異性が好きだと思って生きてきたが、歳を取ってから、
騒々しい場所にいるメリットは、
集中力の途切れたときに聞こえてくる話が、
それまで集中していた事柄からまったく違った話なので、
昨日は、居心地のいい(あくまで私にとって)喫茶店で、
おじさんたちは店長さん、若い二人は従業員のようで、
業態がとんでもなく特殊なのだが、
外国人を雇った際の実際のトラブル事例や、
話しているのはもっぱらおじさん3人で、
今、私が君の立場だったら、猛烈に集中できるのに、と思ったが、
一人暮らしのアパートに彼女が初めて遊びに来た。
付き合って3か月、唇に触れたことはある。それ以上はない。
趣味の手料理をごちそうすることになっている。
食後の片づけを二人で終わらせ、最近面白い動画があってさ、
お気に入りの一人で何度も見た、あの動画を。
何故、このスマホはこんな動画を覚えているのだ、
私たちは意識せずとも、
朝起きて会社に向かう途中、駅まで歩いて電車に乗り、
ところが、想定外の事柄、は常に起こりうる。
電車が遅延する、途中でトイレに行きたくなる、
想定外の結果、
しかし、真剣に対処しなければならない危機もある。
では、想定外に上手に対処するためには、
対処方法を解説する前に、
それは、即時に対応しなければならない、ということ。
時間に余裕があるときのトラブル対処とは全く違う、
具体的には、妻から、
■ソリューションは3つ、「時間」「事態」「準備」
想定外に対処するためには、
具体的なソリューションは、
まず、想定外に対処が必要だということは、
次に、困っているので、解決策が浮かばない状態である。
最後に、
■アプローチ1:時間に働きかけるとはどういうことか
想定外への対処は、まず、「今」困っているを、
具体的には、そもそも、今すぐに対処しなければならないのか、
停電でエレベーターが止まった、ライトも切れて真っ暗になった、
その結果、想定外への対処にはならなくなる。
別の事例としては、家に帰って自分の部屋に行ってみると、
この場合も、すぐに何かをする必要はない。
そして、今すぐに何かをしなければならない場合、
面接での時間の稼ぎ方はよく知られているように、
数秒でも時間に余裕を持たせることのありがたさは、
別の事例として、妻から風俗店の会員証(自分で署名済み)
なんならそのまま押し倒してしまえばさらにいい。
長くなってきたので、アプローチ2、3については、
なお、本日の昼食はチェーンの居酒屋で、
想定外はどこにでも転がっている、
その建物の外へ出る。
以上です。
ある程度の時間、滞在していることを前提とした場所があります。
喫茶店、レストラン、居酒屋などのほか、マッサージ店、床屋・
このような場所で火災報知機が鳴った場合、人(お客さん)
(1)何もしない、(2)逃げる、(3)店員に状況を聞く
火災報知器が鳴った場合、一番安全なのが、(2)逃げる、
命を守るためには、建物に閉じ込められないよう、
注意点は2つ。エレベータを使ってはいけないことと、
実際には、何かをしている最中にとりあえず外に逃げる、
店員さんでも、一緒にいる友人でも、逃げない人がいる中で、
火災報知機が鳴っても何もしない(1)の対応が批判されることが
危機意識が低いのではないか、とか。
火災報知器は誤作動が多い、というが理由の一つなのでしょう。
では、本当の火事で火災報知器がなっている場合、
言い換えると、火災報知器は、火災になりそうな段階でなるのか、
火災報知器には、何をもって作動するのか、
特に熱を感知するものは、相当の高温にならないと作動しない、
自分がいる場所の火災報知器がどのようなものであるか、
とすれば、安全のためには逃げておくのが得策、
ただし、財団法人日本防火協会のホームページでは、
言い換えると、
以上をまとめると、火災報知器がなった場合、
ここからが本題なのですが、火災報知器が作動して、
本当の火事なのか誤作動なのか、と言うことです。
管理人の常駐していないようなマンションであれば、
一方で、自分が「客」としている場所では、
問題は、
建物のどこかで(例えば別の階で)
そのため、目の前の店員さんに確認すべきことは、
前者は万が一にもお見合い(
そして後者は、結果が館内放送のような形でなされるのか、
ところが、実際には、大丈夫なのか?
そんなこと分かるわけないじゃん。
他人の判断を全面的に信じられるのはどーして?
と私は思います。
これ、火災報知器がなっている、緊急事態、
仕事で判断を仰いでいるはずなのに、大丈夫なのか?
自分で判断してくれよ、ということです。
ところで、自分のいる建物が火事になった時、
例えば、不倫相手と一緒にいるところで、
そういう時、やっぱり誰かと話をする、
真摯なアドバイスって言うのは、根拠なく、大丈夫だから、