東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
年末になって国防の議論が盛り上がっています。
急激に安全保障上の緊張が高まった、ということではなく、岸田総理が防衛費のための増税を打ち出したことによるものです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221217/k10013925731000.html
財源についての議論はいろいろとあるものの、年明けにロシアがウクライナに侵攻したこと、そして台湾をめぐる緊張感が高まっていることから、日本の安全保障について議論がなされるのは良いことだと思います。
ただ、その安全保障をめぐる議論において、「これさえやっておけば日本は戦争に巻き込まれなくて安全」という方法がないことを、最初に確認しておきたいと思います。
日本が軍隊を持たないこと、専守防衛に徹すること、それだけで日本が安全であるとの議論は説得力を失いつつあります。その理由はロシアのウクライナ侵攻によって、「侵略戦争」というものが、現代においても発生しうることが明らかになったからです。
一方で、軍事力を高めることで日本が戦争から無縁でいられる、という議論が説得力を持たないのは言うまでもありません。相手の軍事行動を封じ込めるだけの軍事力は、対等ではなく、圧倒的でなければならず、また軍事行動の萌芽を摘み取るものでなければならないからです。
そもそも、日本が戦争に巻き込まれないことを目標としていいのか、世界平和を、どこの国であっても戦争しない世界を作りたいのかを目標にするのか、も議論のあるところで、仮に世界平和を目指すのだとすれば、両極端の意見はいずれもより受け入れがたいものになります。
これは、軍隊を持たないこと、あるいは一定の防衛力を保持することのどちらが戦争の抑止力になりうるか、という議論とは異なります。絶対に安心な方法なんて存在しないことと、よりよい状態に日本を保つ方法がない、ということは異なるからです。
でどうしたらいいのか、ですが、日本が選ぶ道を考える前に、私たちは、日本が戦争を始めたら自分がどうするのかをまずは考えてみるべきだと思います。
日本が他国から侵略されたら、まずは逃げるでしょう。
国内で逃げ場がなければ海外へ行くのです。
ウクライナからの難民に対する日本の世論は同情的です。間違っても、国に残って戦うべきだったなどとは思っていません。なので、日本が侵略された際に、まずは逃げ出そうと考えて非難されることはないはずです。
私は逃げるとして、誰かが侵略者と立ち向かうべきなのでしょうか。
それを、国防を仕事とする人たちに任せておくべきでしょうか。
私は、国防に従事したい人を尊敬しますし、そのような人が侵略者と戦うための支援をすることはやぶさかではありません。
一方で、そんな人が身の回りにいてほしいとは思っていません。
自分の子どもが命を懸けて国防に従事することを止めることはあっても、喜んで送り出すつもりはありません。
つまり、誰かに国を守ってほしいとは思っているものの、自分がそれをやろうとは思わない、です。
私はこの点を、このような価値観を認めるところから議論をスタートすべきだと思います。
急激に安全保障上の緊張が高まった、ということではなく、岸田総理が防衛費のための増税を打ち出したことによるものです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221217/k10013925731000.html
財源についての議論はいろいろとあるものの、年明けにロシアがウクライナに侵攻したこと、そして台湾をめぐる緊張感が高まっていることから、日本の安全保障について議論がなされるのは良いことだと思います。
ただ、その安全保障をめぐる議論において、「これさえやっておけば日本は戦争に巻き込まれなくて安全」という方法がないことを、最初に確認しておきたいと思います。
日本が軍隊を持たないこと、専守防衛に徹すること、それだけで日本が安全であるとの議論は説得力を失いつつあります。その理由はロシアのウクライナ侵攻によって、「侵略戦争」というものが、現代においても発生しうることが明らかになったからです。
一方で、軍事力を高めることで日本が戦争から無縁でいられる、という議論が説得力を持たないのは言うまでもありません。相手の軍事行動を封じ込めるだけの軍事力は、対等ではなく、圧倒的でなければならず、また軍事行動の萌芽を摘み取るものでなければならないからです。
そもそも、日本が戦争に巻き込まれないことを目標としていいのか、世界平和を、どこの国であっても戦争しない世界を作りたいのかを目標にするのか、も議論のあるところで、仮に世界平和を目指すのだとすれば、両極端の意見はいずれもより受け入れがたいものになります。
これは、軍隊を持たないこと、あるいは一定の防衛力を保持することのどちらが戦争の抑止力になりうるか、という議論とは異なります。絶対に安心な方法なんて存在しないことと、よりよい状態に日本を保つ方法がない、ということは異なるからです。
でどうしたらいいのか、ですが、日本が選ぶ道を考える前に、私たちは、日本が戦争を始めたら自分がどうするのかをまずは考えてみるべきだと思います。
日本が他国から侵略されたら、まずは逃げるでしょう。
国内で逃げ場がなければ海外へ行くのです。
ウクライナからの難民に対する日本の世論は同情的です。間違っても、国に残って戦うべきだったなどとは思っていません。なので、日本が侵略された際に、まずは逃げ出そうと考えて非難されることはないはずです。
私は逃げるとして、誰かが侵略者と立ち向かうべきなのでしょうか。
それを、国防を仕事とする人たちに任せておくべきでしょうか。
私は、国防に従事したい人を尊敬しますし、そのような人が侵略者と戦うための支援をすることはやぶさかではありません。
一方で、そんな人が身の回りにいてほしいとは思っていません。
自分の子どもが命を懸けて国防に従事することを止めることはあっても、喜んで送り出すつもりはありません。
つまり、誰かに国を守ってほしいとは思っているものの、自分がそれをやろうとは思わない、です。
私はこの点を、このような価値観を認めるところから議論をスタートすべきだと思います。
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