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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
「恐怖とは想像だ。体感させることはできないが、上限がない」

何に恐怖しているのか、その何を言語化することはできない。言葉にすれば、できるのであれば、それは恐怖ではなく不安になるのだから。

恐怖とは思考や感情ではなく、実感なのだ。

恐怖は私を覚醒させる。
夢で恐怖したがために目が冴えに冴えたことは一度や二度の出来事ではない。
そのたびに私は生きていることを実感し、実感しなくなる未来を実感する。

強烈な実感は忘れ得ぬ体験であるはずなのに、時間とともに薄れていく。いや、正確には、一定の時間が経つと恐怖は霧散する。
記憶として恐怖したことは思い出せるのだが、実感として再び感じることはできなくなる。

私は一時期、恐怖と同じような実感を喪失感にも覚えていた。
私が持っていたというのはおこがましいのだが、手に入れられたはずのものが、今どこにあるのだか分からない、その状態を喪失感として感じる。
私はそれがすでに失われたことを知っており、つまりは二度と手に入らない喪失感なのだ。

いずれにしても実感というものはいつそれを感じられるのか、予期することができない。
私は未だに実感を得るために何をすればいいのかを理解していない。
恐怖は突然やってきて、突然去っていく。

自分の恐怖ですらかくのごとしであるからにして、隣の者の恐怖に対して、私ができることなどほとんど何もない。
恐怖を遠ざけることはもちろんのこと、和らげることもできない
できることといえば気休めを口にし、神に祈ることくらいしかない。
本当にそれしかない。

私は祈ることの効用(現世的な利益)など何ら信じていない。
でも祈る。
それは祈ることくらいしか、自分にできることはないからなのだ。
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