ゲーム理論における合成の誤謬について私は詳しいわけではない。
なので、タイトルは単なる言葉遊びではあるが、今回の震災では、善意でしたことがあまり意味がなかったり、返ってマイナスだったりすることが多々あった。
いや、あると報道されている。
中でもよくわからないのは、買占めをやめよう!だったりする。
例えば、あなたの近くのスーパーからペットボトルの水が買占められてなくなるとする。
それは、絶対的に断罪されるようなことか?
これが薬だったりするならよくわかる。
不要に買いためる人のために、命が失われるなら、それは私ももろ手を挙げて反対する。
でも、食料だったりするのですよ。
そりゃあ、困る人はいると思う。
でも、食料がなくて命を失ったりする例を、今回の震災では聞かないし。
逆に、近くのスーパーで食料があまっていたとする。それって被災地に向かうのだろうか。
買占められた棚を埋めようとスーパーが調達した食料は、それがなければ被災地に向かうのか、または、被災地ってモノがないから届かないのか。
そんな中、保谷なおみ先生のブログ(3/24)に面白い記事がある。
>我が市の市民派を自称する二名の議員が、水の備蓄を市長部局に要請
いや、結構ばっさり切りつけたなあ、と思うのだが、これだけだと、何の話かよくわからない。
水を買って備蓄するように言ったのか?というのがひとつ目の疑問で、水道水を汲んで備蓄しよう、という話であれば、そもそも買占め云々にはつながらない。
二つ目がこれまでうだうだ申し上げたとおり、それって、西東京市にあるから被災地に届かない、って理屈に本当になるのだろうか。
そんな買占めの話にも増して、この件で問題なのって、市議さんが水道局という行政に直接怒鳴り込んだこと、ではないのかなあ、と思うのである。
保谷先生がブチ切れたんだか、フツフツと怒りが沸いてきたんだかはわからないが、わからないのは状況がわからないからなんだよなあ。