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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。

購買意欲を掻き立てる、なんだかすごいことに聞こえるが、売り物を欲しいと思わせるのは、大人相手より子供相手の方が楽である。

あいつらは、欲しいものが大人と比べてはるかにたくさんある。

欲しいものがあれば、それを隠そうとしない。

どころか全力でアピールする。

 

もちろん、親が買い与えるものなど、数百円が限度(それ以上であれば、特別な事情、クリスマスのプレゼントなど)であろう。

その数百円の売り上げのために、子供の目に付く所に、おもちゃやお菓子や、ガチャガチャが置いてある。

 

たかだか数百円であれば、ぽんっと買えるか、と言うとそうでもない。

親の立場としては、強請ったものを買ってもらえると子供に覚えられることが何より嫌だ。

正直、強請られることは非常にメンドクサイ。

それはモノを買って、と言うおねだりであろうと、何か食べたいというおねだりであろうと同様である。

応えてあげられることならまだよい。

断るのは、相手の抵抗もさることながら、良心の呵責も覚えるし、精神的にも負荷がかかる。

とはいえ、経済的な理由(いつも買ってあげるわけにはいかないし、高額の化粧品のようなまったく意味不明なおねだりも少なくない)、健康面での配慮(食べたいだけ食べさせるわけにはいかないし、甘いものを制限したい)、安全の確保(包丁が触りたい、高いところに登りたいなどなど)から断ることの方が多い。

できることなら、おねだりなどしてほしくない、というのはどの親でも同じだと思う。

 

欲しいと思ったのに、つまりは手に入るかもしれないと一度は思ったのに、手に入らない悲しさは大人も子供も同じであろう。

子供もほしいと言ったものが手に入らないと分かると泣き叫ぶことが珍しくない。

何かを欲しがって泣き叫ぶ姿には理性の欠片もない。

たまーに、笑ってくれるおばあさんもいるが、嫌な顔をされることが大半である。

し、そもそも周りがどんな顔で自分達を眺めているのか、冷静に観察できる親は多くはない。

想像上の他人は自分達には冷たい。

 

子供を持つ身になってからであっても、強請りながら泣き叫ぶ子供がいるお店に入りたいかと聞かれれば、決してそんなことはない。

怒りや不快を感じるわけではないが、他人の子供にできることなど何もなく、できれば近づきたくない。

 

結果として、ファミレスの入口においてあるおもちゃは、買ってもらえない子供、買いたくない親、親子とは関係のない客、客足を遠ざけてしまう可能性のあるお店、すべてに望ましくないような気がする。

喜ぶのは短期的に売り上げがアップして投資家への説明責任を果たせる経営者だけではないだろうか。

やはり資本家による労働者の搾取が問題なのではなかろうか。

 

それはともかく、誰もが不幸になっているシステムのような気がしてならない。

この不幸のシステムを回避する簡単な方法は、店に入る前に、新しいおもちゃを子供に与えることであろう。

結局買えってことなのか。

いや、そうではない。

新しいおもちゃは、新品のおもちゃという意味ではないからだ。

その子供にとって、目新しいおもちゃがあればそれでいいはずだ。

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