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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
私は法事でもなければお寺に足を運ばないような仏教徒です(神社は用がなくてもた
まに行きます)。
で、生臭坊主って言葉がありますが、これって、生臭い息のお坊さん、つまり肉や魚
を食べるお坊さん、転じて、世俗の欲求に素直なお坊さんのことかと思っていまし
た。
それは語源としては間違っていないものの、正しい意味は「怠け者」みたいですね。
最近では、生臭という語感から怠け者のことだと思われていることもある、って解説
を見ましたが、自分がちょっと斜め上で間違っているのはどうしたものかと思いま
す。

さて、西東京市は内陸の街であり、漁業が盛んではありません。
川や池があるため、水生の動植物がいないことはもちろんありませんが、水田がない
ため、ほとんど目にする機会はないでしょう。
つまり全般に水が少ない地域である、ということです。
ただ、市民の多くは自宅に水道がひかれており、水を見たことがない人はまずいない
のではないかと思われます。

さて、水の少ない西東京市は水生生物と触れ合う機会が少ないとも言えます。
とりわけ、魚ですね。
魚考っていう持ち帰り寿司の人気店はあるのですが。
野生の魚が少ないことに加えて、水族館もありません。

そんな西東京市民が魚と触れ合える貴重な場所の一つが釣り堀です
ひばりが駅から行きやすい範囲にはいくつか釣り堀があります。
近いのは、小金井街道の近くにある東久留米の弁天フィッシングセンター、水道道路
沿いにある新座の福ちゃん、電車なら豊島園の側のスーパーフィッシング豊島園で
しょうか。
西東京市内にも保谷フィッシングセンターがあります。

保谷フィッシングセンターは、場所こそ辺鄙ですが、外観は、カモフラージュなの
か?釣り堀取締委員会の摘発を免れるための偽装なのか!?というほど、釣り堀らし
くありません。
釣り堀らしい外観ってなんだよ、と思うかもしれませんが、どう思ってくれてもいい
です、あなたの想像とは違う外観がそこにはあるのですから。

釣り堀は一つのプールで、金魚と鯉、そしてヘラブナが泳いでいます。
ヘラブナってなんだよ、と私も思いますが、魚の種類を気にしても特にいいことはあ
りません。
いずれにしても食べられないからです。
また釣れない人も気にする必要がない、というのがいいところかもしれません。

プール(25メートルプールの半分くらいの大きさでしょうか)の四辺にベンチが置い
てあり、好きな場所に陣取って竿を垂らすことになります。
どこに座ったところで、大した違いはない、ように思われるかもしれません。確かに
釣れるかどうかに場所はあまり関係なさそうです。
しかし、場所選びは以下の2点を考慮して、真剣に検討する必要があります。
一つは日差しです。
ある一辺のみ、日陰になります。天気の良い日はこのプレミアムシートから先に埋
まってしまうので、注意が必要です。
そしてもう一つは景色です。
ある一辺のみ、釣りに、水面に集中していないと、釣り堀という非日常から日常に
ジャンプしてしまう景色が広がっていますので、こちらも注意が必要です。

保谷フィッシングセンターに行くに当たって、必要な持ち物はほとんどありません。
竿は貸出してくれますし、餌も好きなだけもらえます。
餌は練り餌という金魚のエサをぐちゃぐちゃにしたようなもの、ですが、大事なこと
はそれがなんであるかではなく、虫ではないってことです。
釣った魚をいれておくための魚籠もあれば、釣りかけの魚を掬いとるための網もあ
り、魚とは関係ありませんが、飲み物の自動販売機もあります。
さらに、餌や魚を触った手を洗って、その手を拭くためのタオル、ベンチにひくため
の座布団もあります。
あれもあります、これもあります、と言いたいだけだと思われたくないので言ってお
きますが、恐らく、あそこにあるもので手にする可能性があるものは、これで全部で
す。

ほとんどない必要な持ち物、のほんのちょっと残った部分、一つは日よけです。
天気の良い日は、帽子をかぶるなど、の対策を自分でされた方がいいかと思います。
日傘をさしたり、ビーチパラソルを持ち込んだりしてもいいのかどうか、やっている
人を見たことがないので分かりません。
そしてもう一つはお金です。
入場料はワンコイン、またはツーコイン(大きさの異なるコイン)です。これ、1時
間単位、使う竿の本数によります。
1,000人で行って、釣るのは一人あとは応援団なら、1人分の料金ってことです。竿代
とか、追加料金は一切ありません。
この料金、子供連れだと超お得プライスだということが帰り際に分かると思います。
釣り堀らしからぬ外観を再び目にして、お得感に酔いしれるって感じでしょうか。

保谷フィッシングセンターの宣伝みたいで恐縮ですが、もう一点だけ、ここの釣り堀
の素晴らしさを指摘させてください。
先ほど書いた通り、釣り堀はプールのような四角形であり、その4辺に各々座って釣
ることになります。
そしてプールの大きさは25メートルプールの半分くらいです。
その結果、釣り堀のどこで誰が釣っているのか、釣れたのか、がどこに座っていても
一望できるのです。

もちろん、そこには良し悪しがあります。
悪い方の具体例としては、釣り堀マスターの称号を勝手に授与したくなるような年季
の入った釣り人が釣れているのに自分が釣れていない場合、特にその自分が家族や恋
人ときているような場合、まだメンツが保てるものの、年端もいかない子供までもが
釣れているのに自分の釣竿が空振りばかりを繰り返していると、大変肩身の狭い思い
をする、ことが挙げられます。
間違っても、他人のやり方を参考にしようなどとは思わないはずですし、というか何
をまねていいものやら、工夫の余地すら初心者には分からないのが釣り堀の醍醐味と
言えるので、釣れない日には釣れないままです。

一方で、良いことは、釣り堀全体のライブ感があることです。
あそこのお父さん、子供が釣れているのに自分の竿には当たりがなくてイラついてき
たぞ、ということはすぐに伝わります。
頻繁に場所を移動するお母さんは、フットワークとか尻とか、いろいろ軽いのだろう
なと思わせます。
しかし、何よりすごいのは、大物が釣れた時です。
当たりを引いた家族が大騒ぎする中、全釣り人の視線が集まり、その醸し出す静寂が
当たりを引いた家族の緊張や興奮をより一層照らし出すのです。
そして、見事釣り上げたときには、スタンディング・オベーションこそ起こらないも
のの、感嘆の声と、ささやかな拍手が贈られることもあります。

わざわざ遠くから行くような場所ではないと思いますが、行ける範囲であれば一度は
足を運んでみたい、一度足を運ぶとまた行きたくなる、そんな西東京市のおすすめス
ポット、それが保谷フィッシングセンターなのです。

ちなみに、私は、出家しろというお告げを聞いたような気がして帰宅しましたよ。
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ひばりヶ丘駅北口の再開発に伴い、北口の階段を下ってすぐのところに会った書店が閉店したのはそれほど昔の話ではありません。

一方で、ライフのそば、という微妙な立地にあったレンタルビデオTSUTAYAが駅前に引っ越してくることになりました。

もともとのTSUTAYAは、くら寿司の向かいにあるゲオと同様、車で行くには便利な立地でした。

この駅前への移転が吉と出るのか凶と出るのか。

直接の関係者ではないので見守っているだけですが、一つ気になるのは、レンタルビデオ店は人を誘引する力があるのだろうか、という点です。

言い換えると、レンタルビデオ屋があると周辺の物販や飲食店が増えるのか、が気になっています。

例えばレンタルビデオ屋さんに行ったついでに、ご飯を食べよう、と思うものなのでしょうか。

私は、家で映画を見たい人は、お弁当を買って家で食べよう、ということになりそうな気がします。

また、ついでに買い物して帰ろう、ともあまり思わないんじゃないかと思うのです。

駅前の一等地にあるお店は、人を誘引して、街がより活性化する店舗であってほしいもので、杞憂に終わると良いなあと思っています。

TSUTAYAの移転について、もう一つ、従前の店舗は書店が併設されていたのに、今回はレンタルビデオだけになる、という変更もあります。

これで、ひばりヶ丘周辺の本屋と言えば、パルコに入っている本屋だけになりそうです。

これを文化の衰退と捉えるか、ひばりヶ丘図書館が存在感を増すチャンスと捉えるのかは人それぞれだと思いますが。

出版不況という言葉を聞かれたことがあるかと思いますが、書籍の取扱いは年々減少してきています。

ざっくりとですが、ピークの1996年には26千億円あった売上が、15千億円を下回るところまで落ちてきているのです。

この売り上げの減少、中身を見てみると、大きく雑誌とその他書籍に分かれます。

特に大きく落ち込んでいるのは雑誌です。

書籍も落ち込んでいることに変わりはありませんが、雑誌に比べると遥かに落ち込みが緩やかです。

雑誌を売っているのは書店もそうですが、コンビニの方がより大きな割合を占めています。

では、書店の売上が緩やかに減少しているのかというとそうではなく、Amazonをはじめとするネットでの本の販売、が拡大し、その分、書店での本の販売が減少しています。

参考まで、電子書籍は近年、その販売額を大きく伸ばしており、紙の書籍の約10%を占めるまでになってきています。

これも書店の経営を圧迫している要因の一つです。

私自身、人生の多くの時間を本屋さんで過ごしてきました。

本屋で並べられた本を眺めながら、本を選ぶと言うのは、楽しい時間の使い方の一つです。

でも、それって情報量が少なく、本屋に行かないと分からなかった、というのも大きな理由なんです。

今のように、多くのレビューが見られ、発売日の情報が集められれば、そこまで本屋に行かなくてもよかったのに、と思います。

ただ、本のレビューはどうしても、自分で調べることが多くなります。

もっと、自分の好みを入れると、より関連づけられたものが検索されるシステムというのは出てこなものなのでしょうか。

これは本だけの話ではないのですが。

医療情報の正確性が問われたWelqの事件、そこではユーザーの情報リテラシーが重要なのだ、という話がありました。

同様にアメリカの大統領選挙を通じて、フェイクニュースが多数流れた、というときにも同じことが、つまり情報リテラシーが重要なのだと言われていました。

情報リテラシーとは、提示された情報が正しいのか、を判断する能力のことです。

ただ、これってとても難しいことだよね、という疑問も呈されています。

情報リテラシーを巡る議論の中で一つ面白いなあと思うのは、より深く調べることによって、人は正しい情報に近づくのか、ということです。

良く、もっと調べろよ、調査が足りないから知識が足りないんだよ、と主張されるのです。

極端な話ですが、明日の朝8時に西東京市は大震災に見舞われるのでただちに避難すべきである、という話があったとします。

この場合、その話が正しいのかどうかを判断するためには、根拠を確かめる必要があることは恐らく大多数の人に同意してもらえるのではないかと思います。

将来の事柄であること、人間が予定できるような類のものではないことから、どうしてそう断言できるのか、根拠を確認することになるでしょう。

提示されていない情報(このケースでは根拠)を確認することによって、その情報が正しいのかどうかの判断が正確になる、ということです。

ここで重要なことは、情報の正しさを判断するためには追加の情報が必要なのですが、その追加の情報とは『根拠」に限定されると言うことです。

明日の大震災について、多くの人が同じことを言っている、は情報の正しさを判断するには役に立たないのです。

つまり情報を増やせばいいってわけではない、ということです。

あるいは、あなたの家族や友人が極端であなたにとっては真実だと思われない話をうのみにしているという場合を考えてみます。

新興宗教にはまっているでも、ネットワークビジネスにのめり込んでいるでも、放射能を気にして不眠に悩んでいるでもかまいません。

その正しくなさに気づいてもらうために、一生懸命、説得する際、ググってみろよ、いろんな意見があるから、と言って、自分で気づいてもらう方法をとることもあるでしょう。

これは情報量が増えることで、自分の意見とは異なる意見があることを知り、自分の信じていることを見つめなおすことに繋がる可能性があるからです。

ただ、調べれば調べるほど、多くの意見を目にすることになるのですが、その中には相当数、元々の見方を補強するものもあるはずです。

この宗教を信じたことで、ココロに平穏が訪れた、ネットワークビジネスを始めたことで、人生が金銭的にも精神的にも豊かになれた、など。

いずれにしても、ただ調べて情報量が増えれば正しい判断に行きつくわけではない、ということです。

情報量を増やすためには、ネットや書籍から情報を集めるだけではなく、人と話すことで情報を追加する、という方法もあります。

こちらは情報収集の難易度が上がるため、さらに情報の正確性を判断するのが難しくなります。

ところで、私、週末に布団を選択するための洗濯ネットを破ってしまいました。

そこで、購入したお店(家具屋さんです)に問い合わせて、買いなおそうとしたんです。

私としては、布団の入る洗濯ネットが欲しかったのです。

元々のネットは布団を購入した際についてきたものなのですが、別にそのメーカーの純正品である必要は何もなく、洗濯できればよかったので。

ところが、問い合わせに、購入したお店(の店員さん)は、どの布団メーカーの何の商品なのか、を丁寧に確認するわけです。

私としては、大きさも測っておりましたので、その大きさを伝えた(現物も持って行った)のですが、それには見向きもしません。

そして、メーカーに在庫を確認しますが、ちょっと時間がかかるかもしれません、と言われました。

繰り返しになりますが、私はそのメーカーの品物が欲しい、と言ったのではないのです。

話が通じないなあ、と思って別のお店に行ってみました。

ところが、そこでもまったく同じ対応をされるのです。つまりメーカーと型番を調べて、これは現在お店においてないので、云々と。

そして、そのメーカーのものではない、私の布団が入るネットはないのかと尋ねました。

その回答は、無い、というもの。

私はすぐには納得できませんでした。

私の布団が入る洗濯ネットが存在しないのは本当なのか?と。

いろいろと話をしている中で、私がやっと理解できたのは、この手の問い合わせ(壊れた商品の代替のものを探している)に対しては純正品の案内しかしていない、ということです。

同じ性能の製品があるのかないのかについて、お店としては一切関与するつもりがない、ということです。

その理由については、よく理解できます。

つまり、同じような性能のもの、として勧めて、後から問題が生じても、販売店としては対応できない、ということです。

客が自分で性能を調べて、同一の性能だと思って買ってくれる分には構わないものの、お店として勧めることはできないということです。

私の期待が過度であった、ということであって、大変反省しております。

反省する一方で、類似品がない、というのではなく、案内できない、と初めに行っておいてくれれば、と逆恨みのように思ったりもしました。

もちろん、一番はご迷惑かけて本当に申し訳なかった、ですが、コミュニケーションって難しいよね、ということも同時に思ったところであります。

ひばりヶ丘駅は、20174月現在、南口も北口も再開発工事中です。

工事期間中って、警備員の人が増えますし、治安が良くなるイメージがあるんですが、実際のところはどうなんでしょう。

南口の方は、ロータリーの改修が行われているのですが、車で駅横(パルコ脇)の踏切を通ろうとしなければ、不便に感じることはないかと思います。

階段の真下にあったバス停の位置が変わるそうですが(一時的なのか、恒久的なのか私は知りません)、これまで階段の下で演説していた政治家の皆様は貴重な聴衆が減ってしまって気の毒だなあと思うところです。

また、身近で重機が見られるとか、歩道のタイルが工事した部分だけ新しくなっていて、残りも全部やるのかなと思うとか、そういうのはあります。

南口の階段を下りてすぐ正面にある建物はEmioなんですが、こちらの2階は閉店したままで(お店の名前を失念してしまいました)、ここがどうなるのか、というのが目下の関心事です。

焼き鳥ヒーローの跡も、どうなっているのだろう。

さて、そんな南口とは異なり、ビルの取り壊しも含めて、大規模な改修が行われているのが北口です。

完成のイメージが私にはわかないのですが、着々と工事が進んでいます。

何となくですが、両隣の駅、保谷と東久留米の北口ロータリーが寂しいので、あんな風にならないといいなあと思っていますが。

あ、山形屋とか後楽園とか(両方ともひばりヶ丘になじみのない人は絶対に誤解するだろうなあ)の前の道の拡張工事が終わっていて、一気に進んだ感を強く感じました。

その北口、近年、焼き鳥屋の開店ラッシュとなっています。

鳥貴族が出来て、へえーと思っていたところから、鶏ジローだのすみれだの、続々とお店が出来ています。

元々営業していた稲毛屋とか、め組とかも営業していますので、焼き鳥屋だらけな様子を呈してきました。

焼き鳥屋さんって、元々煙がでるうえに、酒を飲んでいる人が多く(というか酒を飲まない人なんか行かないし)、喫煙率も高め。

どうしても、子連れでは行きにくいっていう難点があります。

そう考えると、稲毛屋みたいな持ち帰りってすごく使いがってがいいんですよね。

でもねっ!

多くの焼き鳥屋さんは持ち帰りにも対応してくれています。

スーパーの焼き鳥よりも美味しい焼き鳥、と思ったら、め組当たりの持ち帰りはぜひ選択肢の一つに加えてみていただきたいところです。

それに加えて、焼き鳥屋さんがこれだけ多くなると、それぞれのお店の違いを確認しておきたくなりますよね。

すみれ、のように内装がキレイで、デートにも使いやすいお店。

鳥貴族のようにドリンクも含めてお値段で勝負するお店。

め組のように、一人での入りやすさ抜群のお店。

でも、ひばりヶ丘はもっと、いろいろな体験ができる場所になっていってほしいと個人的には思います。

モノからコト、買い物から体験へ、というのは旅行業界でホットなテーマなので私の発案ではないですが。

体験って、焼肉屋で肉を焼くのも体験、だと思うんです。

幸いなことに、近くにはブドウ園もあり、農家も多いことですし。

焼き鳥に関していえば、自分で焼ける焼き鳥もあると楽しいのになーと思います。

西武池袋線には有名なスマイリー城という自分で焼ける焼き鳥屋が石神井公園にあります。

そんなお店がひばりヶ丘にもできるとうれしいなあ。

今現在は工事中がそこかしこで体験できます♪

工事マニアの方々にはぜひお越しいただきたいです。お土産は焼き鳥でお願いします。

今年の3月って大学生の就職活動が本格的に始まる時期なんですね

就職活動の具体的なノウハウがネットにあふれるのはこれからなのでしょうか、今のところは、どのような会社を目指したらいいのか、という大きな方向性に関する議論があちらこちらでなされています

 

大きな争点の一つは、大企業に勤めるのがいいのか、ベンチャー企業に勤めるのがいいのか。

東芝の例を持ち出すまでもなく、大企業がいつまでも安定して給料を払い続けてくれるのか、分かりません。

そのため、勤め先がなくなっても生きていけるようなスキルを身に着けるべきであり、それを身に着けるには大企業とベンチャー企業のどちらがいいのか、という議論です。

 

大企業がいつまでも安定しているなんて誰にも言えないのはその通りです。

そして、そんなことは今に始まったことでありません。

昔は大企業に就職して一生安泰だった人がいる、だけであって、潰れた企業だってたくさんあるわけです。

この先、潰れる大企業は増えるかもしれませんし、逆に大企業はつぶれなくなっていくのかもしれません。

先のことなんて、今も昔も、その時点では分からないわけです。

 

大企業は、安定していないかもしれない、だけではなく、スキルも見につかなければ自分が成長することもないのでは、というのが次の議論です。

大企業に就職してみれば分かりますし、恐らく就職している大多数の人の賛成も得られると思うのですが、大企業に入ってスキルが身に着いたり、成長してりしている実感はなかなか得られません。

その理由はよく言われるように、裁量がないからです。

自分で何かを決めることもありませんし、言われたことを言われた通りにするだけ。

言われた、が実際に口で言われるか、紙に書いて渡されるか、雰囲気から感じ取らなくてはならないか、という違いはありますが。

そのため、自分でなくてもできるのでは?という気持ちは常について回りますし、実際に部署の異動などがあれば、自分ではない誰かがその仕事を回すのを目にすることもできます。

 

実際に働いてみないと分からない、という学生さんには、地域の皆さんで公園のゴミ拾いをする、という事例が分かりやすいように思います。

町内会(ってまだあるのかな)の発案で公園のゴミ拾いをすることになり、親に頼まれて代わりに参加した、と想像してみてください。

どこの公園に何時に集まるか、は全て決まっているので、その場所に集合します。

ゴミ拾いに必要な道具(軍手やゴミ袋)も用意されています。

ゴミ拾いが終われば、お疲れ様と言って、冷たいペットボトルをもらえます。

そして、大事なことは、これが毎日続くってことです。

 

続けるうちに慣れてきます。慣れるとできることが広がります。

初めは、参加してゴミを拾うだけだったのが、終った後の飲み物の買い出しを手伝うようになるかもしれませんし、次はどこの公園のゴミ拾いをしようか、という相談に加わるようになるかもしれません。

また、続けているとイレギュラーなことも多く起こるでしょう。

悪いこととしては、粗大ごみが置かれていたり、ゴミ拾いに参加した人が落ちていた割れビンで手を切ってしまうようなこともありますし、良いこととしては、ゴミ拾いの最中にいつもありがとう、これお礼にどうぞ、と言って、自分の畑で採れたミカンをもらえるかもしれません。

 

いくら続けているうちにできることが増えてくると言っても、それが自分でないとできないことだ、と思える人はそう多くはないと思います。

一度、ゴミ拾いをさぼったからと言って、公園が使えなくなるほどゴミで埋まることもありませんし。

大企業で働いていると、そんな気持ちになるわけです。

元の話題に戻れてよかったです。

 

大企業からベンチャーを見ると、もっと自由にのびのびやっているように思えるでしょう。

町内会とは関係のない、たまたま公園にいた人、を想像してみるといいでしょう。

ゴミ拾いに飛び入りで参加することもできます。

迷子の人がいたら交番に案内してあげることもできます。

公園ではなく道路が汚れていると思えば、道路の掃除をすることもできます。

自分でやりたいことを選んでできるわけですね。

しかも、自分がゴミ拾いばっかりしている間に、いろいろな課題(迷子やなどなど)を解決することで、交番の位置やらなんやら、自分にはない知識を獲得していくことになるわけです。

 

このようなたとえ話はいくらでも作れます。

今、お店に行くと食べ物が買えますが、このような状況はいつまでも続くか分かりません。

無人島で生まれ育っていれば、自分で魚を獲ったり、野菜を育てたりとできることが増えていたでしょう、とかね。

 

しかし、私はそもそもそんな議論に意味があるのかなと思います。

昔はあったんですよ、大企業かベンチャーか、どちらかを選ばなければならなかったのです。

大企業に勤めると、朝から晩まで拘束されます。副業もできません。

では、今は?

副業が解禁されていない会社はまだありますし、ブラック企業と言われる拘束時間の長い会社もあります。

ただ、方向性は、明らかです。

 

もう1つ、議論に意味がなくなったのは大企業側だけです。

その逆はありません。

そうすると、答えは一つだと思うんですけどねえ。

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