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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
話題になっている事件について、インターネットで調べてみると、同じような内容ばかり並んでいることがあります。
これ、どうにかならないものでしょうか。
新しい情報、突っ込んだ分析、そういうものが手に入るインターネット検索にならないものか、という話です。

そんなことを思ったのは、務台政務官が台風の被災地に視察に行き、おんぶで介護されたことが写真のインパクトもあり、大きな話題となりましたので、眺めていたからです。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/09/11/syunsuke-mutai_n_11968946.html

報道されているのは、
・長靴を持っていなかったため、水たまりを通るのに、おんぶしてもらったこと
・おんぶしたのは、政府の職員であったこと
・非常に評判が悪いこと
・本人は反省していること
などなどです。

最もダメ出しされているのは、被災地に赴くにも関わらず、長靴ではなく革靴で行ったことです。
既に指摘されていますが、長靴を用意するのは務台さん本人ではないものと思われます(着ているものは他の職員と合わせていることから、履物も用意されていたのでないかと思われます)。
そのため、誰かが用意を忘れたか(サイズがあれば優先的に政治家に回すでしょうから、この可能性は低いと思いますが)、本人が履くのを嫌がった(あるいは忘れて車?から降りてしまった)のではないでしょうか。

これも報道はされているものの、あまり注目されていませんが、務台さんは、「同行者から促されて」おんぶされたのであり、しかも「こんな場面は撮らないでほしい」とおっしゃっておられます。
同行者が促した理由は報道されていませんが、察するに、濡れた靴で車に乗ってほしくなかったのではないでしょうか。
ご本人も決して、望んでおんぶされていたわけではなく、またできればやりたくない行為だと思っていた、というのはうがちすぎでしょうか。

務台さんは、何故、長靴を履かなかったのでしょうか。靴が濡れても気にしないような人なんでしょうか。
これも、想像ではありますが、濡れた靴を気にしない人はそれほど多くないことから、濡れているような場所(の奥)まで行くつもりはなかった、と考えた方が自然です。
そして、報道では、おんぶされて、どこに向かったのか、つまりその先に何があったのか(そもそも行く必要がある場所だったのか)が不明です。

今回の視察の目的は、災害の様子を実地に確認すること、それを支援に活かし、また再発防止に活かす、だったはずです。
務台さんは、現場の監督に行かれたわけであって、詳細に被災の状況を確認することを求められているわけではありません。
おんぶされてまで、絶対に目しないといけないもの、なんてあったのでしょうか。

もちろん、政府の一員として、被災地の人たちを怒らせ、悲しませるような事態を引き起こしてしまったのはミスだと思います。
しかし、本来の目的である視察、という点から考えた場合、それほど問題のある行為だとは正直思いません。
より重要なのは、視察により得た情報を元に、今後どのような対策なり対応を行うか、であるはずです。
このような、おんぶという一場面を切り取って、面白半分に報道することの方がよっぽど間違っていると思うのです。

務台さんは、FaceBookに、選挙の地元の小学生を国会議事堂に迎え、「これからの人生でみんなにもいろんな事があるかも知れないが、試練を乗りきる気持ちが大事」と述べられた、ことを投稿されています。
視察での問題が大きく取り上げられた後に、このような発言ができる、というのは本当にすごいです。

なお、より重要であるはずの、視察を受けての対応ですが、今回の台風で入居者9人が全員死亡した高齢者グループホームについて、行政や施設に責任があるとした上で、「災害時は、空振りは許されるが見逃しは許されないという対応でやっていただきたかった」と指摘されたそうです。
私、おんぶされたことなんかより、こんなコメンテーターみたいな、無責任な結果論を述べていることがよっぽど問題だと思います。
これから、ちゃんと対応できる、とは到底思えないのですが。

務台さんは、ご自身のブログで、古い記事ではありますが、こんなことを述べられています。
http://tokyo-nagano.txt-nifty.com/smutai/2010/03/post-6791.html#more
民主党(当時)のマニフェスト違反について、「選挙民の判断に決定的な影響を及ぼした約束違背が行われることになった場合には、トヨタが車をリコールしたように、政治家は自らをリコールしなければならないことは当然である。」
今回の1件で(それがおんぶを指すのか、その後のコメントを指すのかは人それぞれでしょうが)、選挙民の判断に決定的な影響を及ぼす約束違背が行われていると私思いますが、務台さんご本人がどう思われているのか、ぜひ伺ってみたいものです。

最後に、本件に関して、民進党がまた面白いことをされて、注目を集められています。
民進・安住国対委員長にまさかのブーメラン「災害地視察に革靴の議員はいない」→岡田代表、枝野幹事長が革靴で熊本地震被災地へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160912-00000553-san-pol

赤裸々に情報を公開されて国民の声を聞きたい、という姿勢は素晴らしいと思います。
ただ、何度もブーメランをぶん投げる姿勢をみて、国政の問題を解決できると思われることは難しいのではないでしょうか。
岡田代表が民進党は多様性を大事にする政党だ、とおっしゃっておられましたが、同じことを繰り返すのは多様性がない証、ではないか、と疑われてもしまいますしね。
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西東京市にある、もっとも有望な観光資源といえば、多摩六都科学館に他ならない。
このことは、東京駅のKITTEにある、外国人向けの観光情報センターに、西東京市に関わりがあるものとして唯一(私が探し出した範囲で、唯一)多摩六都科学館のパンフレットが置かれていたことからも明らか、だと思われる。

もちろん、多摩六都科学館は外国人向けだとは思われないのだが、老若男女に向けられた施設であることは間違いない。
特に、大人が行ってもがっつり楽しめること請け合いである。
科学館とか博物館とか、子供でも楽しめるように工夫されている施設が、単なる遊び場以上に、子供に何かを学ばせるのは、本当に難しいと思う。
一方で、大人には、背景や原理が理解できて知的に楽しめる、ことは多々ある。
そのため、子供と一緒に、よりも大人だけで行ったほうがきっと楽しい。

加えて、初めて多摩六都科学館を楽しむためには、以下の2点にも注意してほしい。

一つは、イベントを避けること。
多摩六都科学館は、体験を通じて学べるように配慮されている施設であるため、体験できないと、全然楽しくない。あなたの体験を妨げるもの、それは羞恥心(子供と一緒にいく利点は、ほぼ恥ずかしさの低減にあると言える)と、それから混雑である。
小学生の子供が並んでいるところに、大人のカップルが並べます?さすがに無理。
なので、なるべく空いている日を選ぶべきで、イベントなんてもってのほか。
無料開放日もあるものの、やめておいたほうが無難、と言わざるを得ない(無料開放日は、屋外のイベントが楽しく、それを目当てにするのはありだと思うが)。

そしてもう一つは、着いたらまずは、一週ぐるっと回ってみること。
入り口の付近に子供が好きそうな、キャッチーなものが多いが、その分、混んでいる。
朝早く、まだ客もまばらな時間であればともなく、そうでなければ、先へ先へと進むのがオススメである。
これは多摩六都科学館にかぎらないような気がする(どこの動物園や水族館にも当てはまる)のだが、自分で実践できたことは一度もない。
それはとにかく、後半は疲れてくれのか、展示がやや自然科学に近く、学術的になるからなのか、人が少ない。
超個人的な感想で恐縮であるが、妙にハイテンションなお母さんがいて、なつかしー、学校でこれならったよ、なつかしー、と叫んでいて、小学校に上がる前だと思われる息子がキョトンとしていた印象的な場面に立ち会ったこともある。

多摩六都科学館に行ったらお昼はここで!
みたいなことも書こうと思っていたのだが、また次回にしたい。
晩までどうやって時間を潰そうか、そんなことを考えながら、候補の一つである買い物をすませようとしたときのことである。気がつけば、目の前に広がる

白い壁

いや、

白い城壁

が実感に近かった。
目を疑う、とはこのことだ。
私は、それを目にするまで、見慣れた景色の中を歩いていたはずだった。
疲れは、足かせとなり、足取りにまつわりついていたものの、目的地を目指す目線にぶれの生じる隙間なんてなかったはず。
そこに突然、眼前をおおいつくす白い壁。

住み慣れた街角、いつもの通り道、隅々まで知り尽くした自分の部屋、そんな、まとめてしまうと「日常」から、ふとした瞬間に、異世界、あるいは異次元、そんな人として足を踏み入れるべきではないどころか、存在に気づくことすら許されない異界に飛び込んだ、いや、落ち込んだ、はてまた、転がり落ちた、そうとしか思えなかったのだ。
もちろん、そんな思考が動き出したのは、壁を見つめ、当たりをなんども見回し、少しでも自分の知っているものを探す、まるで赤ん坊が母親を探すかのような必死さで探す、を何度か繰り返してからの、つまりはそれなりに時間が経ってからのことである。


大変ながい前振りで失礼しました。今日、新宿駅南口に行きました。
上記はその感想です。

新宿にはここ最近、週一で通っているし、四半期全く行かないってこともないのですが、逆に言うと、別にそれほど知っている場所でもないってことでもありますが、それなりに分かっているつもりであり、その「つもり」が余計に、見慣れないものを、違和感や非現実感として押し寄せてきたように思います。

実際に行かれてみて、びっくりしていただくのが一番だとは思いますが、もし事情を、現場の様子を知ってしまったのであれば、まだ無垢な友人をつれて、是非、行ってみてほしいです。
ちなみに、壁の、いや壁の中の名前は、バスタ、だそうです。
4月1日から、西東京市と新座市で、図書館の相互利用ができるようになっています。
新座の人はひばりヶ丘図書館が使えるようになって、ひばりヶ丘図書館は駅の近くにあることもあり、便利になるのでしょう。
一方、西東京の人は、一番近い新座の図書館が栗原、その次が片山(36号線の壱番館ってパチンコ屋の隣、ジョナサンの向かい)なので、新座に勤めていたり、通学していたり、実家が新座で親の介護をしていたり、ってことがないと、直接の恩恵は無さそうです。
ただ、西東京では所蔵していなかったり、貸出中だったりするような本が借りられる、かもしれません。

ところで、西東京市のホームページに、起業のセミナーの案内2つ、昨日付で出ていました。
起業する際、自治体からの支援がいくつかあり、登記費用が一部免除されたり、銀行融資が受けやすくなったりします。
そのため、このようなセミナーには、ぜひ足を運んでいただきたい、と私は思います。
それに、来るのは同じ市内の人ばかり。最初の顧客を見つけるいい機会とも言えるでしょう。

何かを学ぶ際、人から話を聞くことを選ぶか、書類や書籍を読むことから始めるか、は人それぞれです。
私は聞くことから始めた方を選びがちです。

その時、その人が言っていることが本当なのか、を確かめる方法があると有り難いです。
その根拠が、どこかに書いてある、とかであればいいのですが、ネットで情報を探すと、いろんな見解があったり、そもそも情報が全くなかったりすることも珍しくありません。

まず、いろんな見解があるほうの話ですが、見解ではなく、事実関係が知りたいだけなんだ、と思ってもそれを確かめることは案外難しかったりします。
ちょうど、今日、LINEが運営しているゲームで資金決済法の供託が行われていなかったのではないか、という疑惑を毎日新聞が報じ、LINEが反論しています。
この話では、関東財務局のLINEに対する検査が行われているのですが、これが資金決済法違反を調査するために行われているのか(毎日新聞の見解です)、単なる定期検査なのか(LINEの主張です)、という事実関係で真っ向から対立しています。
どっちが正しいのかは、関東財務局の人に確認すれば、一発で分かると思うですが。

新聞を初めとするメディアが、意外と間違える、と信頼感を失っている昨今、間違いのない事実を伝えるメディアがもしできれば、抜きんでられそう、だと思います。昔、猪瀬直樹さんが原作、弘兼憲史さんが作画のラストニュースというマンガがありましたが、あんなイメージです。

さて、もう一方の情報がない、という方の話ですが、こちらは、行動の履歴を保証してくれるサービスができるといいな、と思います。
就職や転職では、学歴や職歴を客観的な事実として見られますが、例えば図書館で借りた本の履歴が事実として提示できれば、評価の1つとしてもらえるかもしれません。広告業界へ就職面接で、私は業界についてこれだけの本を読んでいます、とアピールできたり、ということです。
図書館の貸出履歴だけではなく、アマゾンの購入履歴も同様に使えるでしょう。

ビックデータの活用は個人の情報をより正確に相手が知るためにも使えるのではないかということなんですが、ここにはもちろん、問題があります。
銀行に転職したい人が、自分は浪費しない人間なのだ、とアピールしたいとします。
通帳を相手に見せるのが一番簡単な方法ですが、これだと自分の全てをさらけ出すようで、気が引けるでしょう。
できたら、見せたいデータだけを抜き出したいところですが、それをやるとデータが、正しいのか受け取った方は判断出来ません。こらが、問題、です。

抜き取ったデータの正しさを検証して、事実だ、と認定してくれる人や組織があればなあ、と思う所以です。

これで起業しようと思えるほど収益性があるとは思いませんが、誰かやってみたら、案外、当たるんじゃないでしょうか。
乙武さんの不倫について、あるいはそもそもの乙武さんの人柄について、多くの人が、それはもう有名な人から無名な人まで語っている。
思うところは多々あるものの、ここではその点には触れないことにしたい。
私が手を突っ込んでかきまわしてみたいのは、乙武さんの奥さんの謝罪について、である。

まず、乙武さんの奥さんは、夫の不倫について、その責任の一端が自分にあるとして、お詫びの文章を公開されている。そして、この謝罪が、夫の不倫の責任の一端が妻(女性)にあると考えること、そしてそれを謝罪することが許せない、と非難され炎上した、という次第である。

これ、身近な人の話だったと仮定してみると、会社の上司が新人の女の子に手を出して、職場で痴話喧嘩を繰り広げた挙句、本人及び奥様から職場を騒がせて申し訳ない、とメールが来た、そんな状況ではないだろうか。
私が思いつきでこしらえた設定において、このメールを非難する人がいるのだろうか。責任の一端が自分(妻)にあると言うことが、それほどおかしなことなのだろうか。
あるいは、逆に、共働きの奥さんが夫を裏切り男と逃げ、プロジェクトは大穴が開いて、大炎上、という場面に夫が現れ、家庭内が円満でなかったことが今回の騒動の引き金となっており、申し訳ない、と謝罪することが非難の対象になるのだろうか。

一般論として、夫婦の片方が問題を起こせば、もう片方にも責任の一端がある、というのはそれほどおかしな感覚ではないと思う。
そこまで責任感じることないんだよ、と優しく労ってあげることはあっても、非難の対象になることはないだろう。

では、乙武さんの奥さんの謝罪が問題になったのは何故なのか、その理由の一つは、奥さんの謝罪まで含めて、乙武さんの謝罪と理解されたから、だと思う。もともと乙武さんの不倫が許せないだか、いるネタとして楽しくてしょうがないたとか、そういう人たちにとって、奥さんの謝罪は、「乙武さんが言わせたのだとしたら」叩きがいのあるものなのは理解できる。
でも、これまたおかしな話で、二人の人が(つまり乙武さん夫妻が)一緒に謝罪文を考えたなんて根拠もない妄想であるし、そもそも乙武さんは妻の謝罪を出すことには反対だったけど、奥さんの信頼をつなぎとめるためには断われなかった可能性だってある。

妻の謝罪が、本当に妻の気持ちに沿ったものだったとしても、非難してる人もたくさんいる。そして、その人たちは、自分が何故、避難したくなるほど、乙武さんに怒っているのだか理解できていないようにみえる。
私が思うに、乙武さんの奥さんは、その積極性が、攻撃の対象なのではないかと思う。

今回、多くの人の攻撃性を引き出したのは、失敗したかに見えた乙武さんが妻の掩護で復活しそうだったことではない、と私は思う。
それよりも、妻が、本来出てこなければならないわけでもない謝罪の場に登場したこと、なのではないだろうか。

メディア衰退の原因はその媒体独占性にあるといわれる。
今回の乙武さんの奥さんの謝罪は、これまでだったら、テレビや雑誌が追いかけ回し、固辞するガードの隙間から手を伸ばし、爪先をかすめてインタビューができれば上等、ということだったはずだ。
それが自分からメディアに現れてしまった、私はこれこそが言葉で明確にされなかったものの、そして恐らくは自覚ないのだろうが、批判者の心の中ではないかと思われてならない。
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