東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
晩までどうやって時間を潰そうか、そんなことを考えながら、候補の一つである買い物をすませようとしたときのことである。気がつけば、目の前に広がる
白い壁
いや、
白い城壁
が実感に近かった。
目を疑う、とはこのことだ。
私は、それを目にするまで、見慣れた景色の中を歩いていたはずだった。
疲れは、足かせとなり、足取りにまつわりついていたものの、目的地を目指す目線にぶれの生じる隙間なんてなかったはず。
そこに突然、眼前をおおいつくす白い壁。
住み慣れた街角、いつもの通り道、隅々まで知り尽くした自分の部屋、そんな、まとめてしまうと「日常」から、ふとした瞬間に、異世界、あるいは異次元、そんな人として足を踏み入れるべきではないどころか、存在に気づくことすら許されない異界に飛び込んだ、いや、落ち込んだ、はてまた、転がり落ちた、そうとしか思えなかったのだ。
もちろん、そんな思考が動き出したのは、壁を見つめ、当たりをなんども見回し、少しでも自分の知っているものを探す、まるで赤ん坊が母親を探すかのような必死さで探す、を何度か繰り返してからの、つまりはそれなりに時間が経ってからのことである。
大変ながい前振りで失礼しました。今日、新宿駅南口に行きました。
上記はその感想です。
新宿にはここ最近、週一で通っているし、四半期全く行かないってこともないのですが、逆に言うと、別にそれほど知っている場所でもないってことでもありますが、それなりに分かっているつもりであり、その「つもり」が余計に、見慣れないものを、違和感や非現実感として押し寄せてきたように思います。
実際に行かれてみて、びっくりしていただくのが一番だとは思いますが、もし事情を、現場の様子を知ってしまったのであれば、まだ無垢な友人をつれて、是非、行ってみてほしいです。
ちなみに、壁の、いや壁の中の名前は、バスタ、だそうです。
白い壁
いや、
白い城壁
が実感に近かった。
目を疑う、とはこのことだ。
私は、それを目にするまで、見慣れた景色の中を歩いていたはずだった。
疲れは、足かせとなり、足取りにまつわりついていたものの、目的地を目指す目線にぶれの生じる隙間なんてなかったはず。
そこに突然、眼前をおおいつくす白い壁。
住み慣れた街角、いつもの通り道、隅々まで知り尽くした自分の部屋、そんな、まとめてしまうと「日常」から、ふとした瞬間に、異世界、あるいは異次元、そんな人として足を踏み入れるべきではないどころか、存在に気づくことすら許されない異界に飛び込んだ、いや、落ち込んだ、はてまた、転がり落ちた、そうとしか思えなかったのだ。
もちろん、そんな思考が動き出したのは、壁を見つめ、当たりをなんども見回し、少しでも自分の知っているものを探す、まるで赤ん坊が母親を探すかのような必死さで探す、を何度か繰り返してからの、つまりはそれなりに時間が経ってからのことである。
大変ながい前振りで失礼しました。今日、新宿駅南口に行きました。
上記はその感想です。
新宿にはここ最近、週一で通っているし、四半期全く行かないってこともないのですが、逆に言うと、別にそれほど知っている場所でもないってことでもありますが、それなりに分かっているつもりであり、その「つもり」が余計に、見慣れないものを、違和感や非現実感として押し寄せてきたように思います。
実際に行かれてみて、びっくりしていただくのが一番だとは思いますが、もし事情を、現場の様子を知ってしまったのであれば、まだ無垢な友人をつれて、是非、行ってみてほしいです。
ちなみに、壁の、いや壁の中の名前は、バスタ、だそうです。
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