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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
乙武さんの不倫について、あるいはそもそもの乙武さんの人柄について、多くの人が、それはもう有名な人から無名な人まで語っている。
思うところは多々あるものの、ここではその点には触れないことにしたい。
私が手を突っ込んでかきまわしてみたいのは、乙武さんの奥さんの謝罪について、である。

まず、乙武さんの奥さんは、夫の不倫について、その責任の一端が自分にあるとして、お詫びの文章を公開されている。そして、この謝罪が、夫の不倫の責任の一端が妻(女性)にあると考えること、そしてそれを謝罪することが許せない、と非難され炎上した、という次第である。

これ、身近な人の話だったと仮定してみると、会社の上司が新人の女の子に手を出して、職場で痴話喧嘩を繰り広げた挙句、本人及び奥様から職場を騒がせて申し訳ない、とメールが来た、そんな状況ではないだろうか。
私が思いつきでこしらえた設定において、このメールを非難する人がいるのだろうか。責任の一端が自分(妻)にあると言うことが、それほどおかしなことなのだろうか。
あるいは、逆に、共働きの奥さんが夫を裏切り男と逃げ、プロジェクトは大穴が開いて、大炎上、という場面に夫が現れ、家庭内が円満でなかったことが今回の騒動の引き金となっており、申し訳ない、と謝罪することが非難の対象になるのだろうか。

一般論として、夫婦の片方が問題を起こせば、もう片方にも責任の一端がある、というのはそれほどおかしな感覚ではないと思う。
そこまで責任感じることないんだよ、と優しく労ってあげることはあっても、非難の対象になることはないだろう。

では、乙武さんの奥さんの謝罪が問題になったのは何故なのか、その理由の一つは、奥さんの謝罪まで含めて、乙武さんの謝罪と理解されたから、だと思う。もともと乙武さんの不倫が許せないだか、いるネタとして楽しくてしょうがないたとか、そういう人たちにとって、奥さんの謝罪は、「乙武さんが言わせたのだとしたら」叩きがいのあるものなのは理解できる。
でも、これまたおかしな話で、二人の人が(つまり乙武さん夫妻が)一緒に謝罪文を考えたなんて根拠もない妄想であるし、そもそも乙武さんは妻の謝罪を出すことには反対だったけど、奥さんの信頼をつなぎとめるためには断われなかった可能性だってある。

妻の謝罪が、本当に妻の気持ちに沿ったものだったとしても、非難してる人もたくさんいる。そして、その人たちは、自分が何故、避難したくなるほど、乙武さんに怒っているのだか理解できていないようにみえる。
私が思うに、乙武さんの奥さんは、その積極性が、攻撃の対象なのではないかと思う。

今回、多くの人の攻撃性を引き出したのは、失敗したかに見えた乙武さんが妻の掩護で復活しそうだったことではない、と私は思う。
それよりも、妻が、本来出てこなければならないわけでもない謝罪の場に登場したこと、なのではないだろうか。

メディア衰退の原因はその媒体独占性にあるといわれる。
今回の乙武さんの奥さんの謝罪は、これまでだったら、テレビや雑誌が追いかけ回し、固辞するガードの隙間から手を伸ばし、爪先をかすめてインタビューができれば上等、ということだったはずだ。
それが自分からメディアに現れてしまった、私はこれこそが言葉で明確にされなかったものの、そして恐らくは自覚ないのだろうが、批判者の心の中ではないかと思われてならない。
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