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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。

不思議の国、ニッポン。

責任者が不在で、空気で物事が決まっていく、東京オリンピックの施設周りで盛り上がっている問題です。

しかし、当事者が責任感を持っても、周りが責任を持たせないということもあります。

その良いお手本があります。

 

産経新聞が、「生前退位」と言う表現を止め、「譲位」を使うと表明。

 

経緯の確認から。

皇室典範では、誰が天皇になるか、を決めています。

ざっくり言えば、前の天皇がなくなると、その長男が天皇になる、と言うことです。

制度はそうなっているところ、NHKが、天皇陛下は、なくなる前に天皇を代わってもらってもいいのではとお考え、というスクープを行いました。

天皇陛下からも、高齢になってきたことだし、天皇の務めを果たせないことが心配されるので、なくなったら、ではなく、生きているうちに、天皇を代わってもらうことも考えられるよね、というご発言がありました。

 

生きているうちに天皇が代わることを、マスコミは「生前退位」と報じてきました。

細かい議論は多々ありますが、概ね、じゃあ生きているうちに天皇が交代することを考えよう、という流れになっています。

そして、1020日、皇后陛下がコメントを発表されます。

内容は、生前退位、と言う表現を新聞で見て、「衝撃を覚えた」というもの。

これを受けて、産経新聞は、生前退位、と言う表現を止め、譲位の表現を使うことにした、ということです。

 

私には2つ、違和感があります。

一つは、退位と譲位は違う事柄なんじゃないか、ということ、もう一つは、皇后様のご意向についてです。

 

■退位と譲位

体位と上位、の方が楽しい話になりそうですが、それはさておき。

 

退位と言うのは、やめることです。

天皇が天皇であることをやめる、と言うことです。

これに対して、譲位と言うのは、誰かに代わることです。

代わるだけではなく、誰に代わるのかを指名するイメージがあります。

恐らくは、これが「譲位」という言葉の使われなかった理由なんだろうと思います。

 

一方で、天皇陛下のご意向(あるいはお言葉)としても、「譲位」だった、という報道もあります。

これは、天皇陛下が今回の一連のお考えの表明の中で、天皇というものが途切れず日本国民に寄り添っていくべきもの、とされていることと整合的です。

つまり、自分が(あるいは天皇の地位にある人が)やめることに主眼があるのではなく、次の人に引き継ぐことが主眼だと思われるのです。

そうだとすると、「譲位」が良かった、というよりも、「退位」が嫌だった、になります。

 

「譲位」は後継者の指名、というやっかいなイメージがついて回る(結果として、議論が進展しない)、一方で「退位」は、天皇陛下のご意向にはそぐわない。

私は、普段使わない、退位だ譲位だという議論をするよりも、もっと分かりやすい言葉にしてほしいです。

交代、とかね。

引き継ぎ、なんていうのもあります。

個人的には、チェンジ、がいいと思います。オバマ大統領も退任されるわけですし、もう今さら使っても文句はでないでしょう。

 

話がそれますが、産経新聞の見解では、「生前」が死後とセットになってイメージされる、とも述べられています。

宮内庁関係者が皇后さまのご意向を推し量ったとも報じられています。

もちろん、嫌だという人がいれば、その言葉は避ければいいと思うのですが、生前が死後とセットになっている、という話と、だからイメージが悪い、は繋がらないように思います。

生前贈与、なんて言葉もありますし、これが営業の提案資料に記載されて流布しています(つまり提案を受けた顧客が不愉快に思う表現ではない、と言うことです)。

 

■皇后さまのご意向

以下が本題です。

今回、皇后さまのコメントは(口頭ではなく)文章で出されており、全文を確認することができます。

8月に陛下の御放送があり,現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。私は以前より,皇室の重大な決断が行われる場合,これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり,その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので,皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も,謹んでこれを承りました。ただ,新聞の一面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は,歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので,一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれま8月に陛下の御放送があり,現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。私は以前より,皇室の重大な決断が行われる場合,これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり,その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので,皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も,謹んでこれを承りました。ただ,新聞の一面に「生前退位」という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は,歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので,一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。


この文章から、「生前退位」の表現がちょっとねえ、という気持ちをくみ取ることはできます。

それを否定するものではないのですが、別の読み方もできます。

例えば、話は前々から聞いてはいたものの、新聞の活字を観たら、改めてびっくりした、とも読めます。

夫の離婚の話し合いをして合意したものの、友人から、あなた離婚するんだって?とメールが来ると、改めてびっくりしたり悲しくなったりしますよね。

離婚という表現に換えて、お互いに老後の面倒はみないってことになったのね、というメールであれば、それはそうだなー、と思いますし、それがショックだったり、悲しみを呼び戻したりする可能性もありますよね。

 

つまり、文章が明確ではないのです。

これはコメントがなってないよ!と批判する意図ではなく、責任をもって発言できない、という立場に皇后さま(というか皇族の方々)を置いていることが原因です。

明確ではない文章を、その意図をくみ取りながら行動する産経新聞は実に日本的な対応をしていると私は思います。

 

■天皇制の在り方や今後の方向性について

私は、一方で、天皇陛下という個人に負担がかかる今の天皇制が疑問です。

皇族に生まれたがために、人生を好きに選択できないのは、気の毒に思います。

今すぐなくせ、と強く思っているわけではありませんが、天皇陛下本人のご意向も踏まえて、より良い方向に変えていくことは望ましいです。

 

その際、天皇陛下のご意向は、やや広めに忖度されるべきではないでしょうか。

何故なら、そもそもご意向を自由に表現されるお立場になく、そしてそれを十分に自覚されていると思われるから。

今回の問題提起は、譲位についてでしたが、そもそもの問題意識は、天皇の務めが途切れることなく、行われることです。

そのためには、天皇という個人ではなく、皇族や天皇家(家族)を象徴の地位に据えるも一つの方法です。

多くの国民が天皇陛下に期待していること、そして天皇陛下がご自分の職責だと思われていることは、天皇という地位に紐づくものではなく、天皇陛下とそのご家族によってもたらされている、と思うからです。

 

いずれにせよ、今上天皇が代わられた暁には、楽になっていただきたいものです。

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何を食べたい?は人類のたどり着いた最高の愚問です。

しかしながら現代社会では、この質問をどのタイミングで、どう使い、回答にどうリアクションするのか、は切実に重要な問題なのです。

 

 

しらかわ次世代による政治を考える会、という高校生の団体が政治家に、貧困問題についての公開質問状を送付、回答をホームページにアップロードしています。

http://shirakawanextgene.hatenablog.jp/

 

まず、当該団体の行動力を賞賛したいです。高校生だから、という枕詞は必要なく、行動を起こせることが素晴らしいと思います。

そして、回答された議員各位には深い敬意を感じます。

とりわけ、片山さつき議員は、自身に対する悪意も感じられるこの質問状に正面から回答されており、とてもすごいと思います(同じ日本人として、同じ大人として、回答してくださったことが誇らしい、と思います。語彙が拙くて申し訳ない)。

 

毎日、各方面から意見を聞かれ、回答がまともに取り上げられることよりも揚げ足を取られることの方が多いのが政治家ではないでしょうか。

そんな中、よく分からない団体からの質問に回答されることは、何より雄弁に、国民の声に耳を傾けつつも対話を行う姿勢を示しています。

他人や政権の批判、面白い自説の開陳、本心から歓迎されていない会への出席報告なんかよりも、このような活動(質問状への回答)を他にもされているのであれば、そちらを開示することがよっぽど人柄が伝わるのではないか、と思われるところです(あるいは回答しなかった質問にはどのようなものが、どれだけあるのかを開示されることにも意味があると思います)。

 

ちょっと話がずれますが、議員さんの活動報告って、ご自身でなされていることが多いですよね。

スタッフがおられるのでしょうから、誰かに任せてもいいのではないでしょうか。

情報量が増えるのであれば、喜ばれる話だと思うのですが。

 

さて、この公開質問状の内容ですが、質問内容が包括的、ざっくりであることが特徴です。

相対的貧困に該当する人々への支援や格差解消のための政策は必要だとお考えですか(質問7)という具合です。

そして、この質問7への回答は、回答を寄せた全員が「必要」と回答しています。

 

この質問に対して、良識を持って公の立場にある人が特別な意図(炎上させたいとか、冗談を言いたいとか)なく、不要、と回答することはないでしょう。

従って、この質問は回答者の良識の有無を確認しているだけで、貧困問題への対応を深化させることには繋がりません。

 

「支援」と「格差解消のための政策」という別物も混在させない方が、より建設的な議論に繋がりそうです。

多くの回答は、必要と言いつつ、他の回答も合わせて読むと、支援の必要性を念頭に置いていて、格差解消が必要なのかは判然としません(具体的な格差解消の方策についても他の質問への回答で述べられていません)。

 

片山議員の回答は、何らかの対応が必要である点に加えて、そのラインまではっきり(他の回答と比較すれば)示していることが特徴です。

特に相対的貧困への対応については、相対的貧困の定義や対応策(または財源)に幅があることが理解の進まない一因になっているものと思われ、片山議員以外の方々がどのように考えているのか、を伺う質問がなかった点が残念です。

 

また、全体的に、相対的貧困への対応策として、金銭支援が強調されています。

相対的貧困の発生を抑制する政策とは何か、あるいは将来的に格差を是正していくための税金投入以外の方法は何か、を問う質問があれば、より議論が深まったのではないでしょうか。

 

私の感想は、

・片山議員は頭がいいことが良く分かった

・山本議員の回答に滲む、もっと調べてから聞いてほしい、には共感する

回答しなかった議員さんは実名が挙げられていて気の毒であるが、回答しない理由を述べることくらいはしてもいいのでは

・この会の次のアクションはなんだろう

です。

 

 

現在の日本に絶対的貧困が存在しない、のであれば喜ばしいことだと思いますが、それは解決された問題ではなく、日々解決に向けて努力されている人たちのおかげではないかと思います。

いずれにせよ、何を食べたい?と聞かれないのは嫌だけど、わかんないと回答したい、なんて人間がいるってことは、貧困であろうとなかろうと教育してほしかったと思う今日この頃です。

手元に詳細なデータがない、どころか、一切、なんのデータも見ていないのだが、ひばりヶ丘駅周辺の国際化は進んでいないように思われる。

一個人の、しかも日中どころかひばりヶ丘のアクティブ滞在時間の短い一個人の体感として、外国人とすれ違う機会はあまりに少ない。

 

その是非はさておき、外国料理のお店は多い。

お隣韓国料理のお店は、そのものずばりではないが焼肉屋があり、インドカレー、タイ料理、フレンチ、スペインとデートでも接待でもオススメできるようなお店がそろっている。

しかし、なかんずく多いのが中華料理屋である。

 

同じ中華、とひとくくりにしたくないほど、バラエティーに富んだ店がそろっており、一人なのか、デートなのか、家族なのか、子連れなのか親連れなのか、等々、条件によってオススメし分けられるだけのラインナップは揃っている。

何なら、アンジャッシュの渡部氏よろしく打順を組むことだってできそうだ

北口の香蘭のようなリニューアルもあれば、南口の寒舎のようなニューカマー(まあこちらも移転・新規ですが)もあり、西東京市の中華街くらいは言っても怒られることはないだろう。

 

そんな中華激戦区、ひばりヶ丘駅周辺の中華料理屋の中でも、今回取り上げたいのが、「泰豊飯店」と「天天」。

 

まず、泰豊飯店は北口を出て、細道を抜けてパチンコ屋に突き当たり、バス停に向かう道の右手にある。

行ったことある人にしか伝わらなそうな説明で自分でもがっかりである。

怪しげなビルの2階にあるこちらは、こあがりあり、テーブル席あり、どんなメンバーでも使いやすい。

料理は、いい意味で、本場っぽい味がする。

そして、店員さんが優しい。頼んでいないものをサービスしてもらったことがあるくらい優しい

なお、店内には小さな水槽があり、子連れで待ち時間を過ごす苦労も少し軽くなる、かもしれない。

 

もう一つ、天天は、中華料理屋と言うべきか、ラーメン屋と言うべきか。

こちらは、パルコの前の通り、ラブホの前を通った右手にある。

担担麺 天天が正式なお店の名前なのか、担担麺、それも汁無し担担麺がイチオシである。

花山椒の香りがよく、人によっては辛さゆえに敬遠するかもしれない。

そんな人には、汁ありの担担麺もあるが、鶏塩ラーメンがあり、こちらがおすすめである。

限界まで攻めた塩味が、濃厚な鶏だしと相まって、飽きのこない味と言える。

そして、こちらも店員さんが優しい。

 

地元のお店は、地元のよく勝手知ったる人にフォーカスしがちであり、一見でも楽しめるところは探すのに苦労する。

この両店はその心配はなく、初めてでも2回目でも、常連になっても、楽しい時間が過ごせること、請け合いである。

モノゴトを評価する際、ダメなのか、普通なのか、それとも良いのか、と考える。
料理の美味しさはこれでいける。
まずいのか、普通なのか、美味しいのか。
この考え方の先にランキングがある、と考えることもできる。

多くのアンケートも、このような考え方をしており、飲食店にも、本日のサービスは、満足か、普通か、不満か、みたいな選択肢が書かれているのを目にしたこともあるだろう。

しかしながら、満足というのは、そのように順位付けができるものなのであろうか。
私がそう思わない理由は、満足が絶対評価ではないからだ。
美味しい、美味しくないは絶対評価だ。
でも、満足か、不満か、は期待との比較による評価、つまり相対評価ではないか。

つまり、あるレストランで食事して、満足するかどうかは、そのレストラン、料理、サービスとして期待するものと、実際に体験したことの比較によって決まるのではないか。

例えば、数万円のコースがでてくるフレンチレストランで、思っていた通りの美味しい食事をするのと、セブンイレブンで腹が満たせりゃいいやと、思って買った焼きそばが思いの外美味しかった場合と、満足度が高いのは、少なくとも私にとっては後者である。

期待しすぎて、別に悪いものではなかったのに、がっかりきた、という話を書こうと思ったのだが、全然行き着かない。
私は、舛添都知事が好きなわけではない。

今回の対応をみていると、舛添さんは、目的に向かって合理的に行動する人、と思われる。
法的に問題のない範囲で自分のしたいことを実現し、倫理的な追求には言質を与えず時間を稼ぎながら辞任を回避しようとしているのだから。
もちろん、合理的な選択肢を選べる人が都知事に相応しいのか、は別の問題だと思うが、一般的には知事の最低の水準は超えている、と評価するのではないか。

むしろ、目的に向かって合理的とは思えない対応をしているのが、都議会議員、特に舛添知事に質問をされている都議の先生方だと思えてならない。
質問の目的は、大きく、3つに分類できるのではなかろうか。
一つは、不明な点を明らかにするための質問である。この点がはっきりすれば舛添都知事が適任かどうか判断できる、というポイントを明らかにする質問、と言い換えてもいい。
二つめは、回答として自分の望む答えを言わせるための質問である。辞任すべきだと思いますがどうですか?が具体例。
そして三つめは、質問と回答がセットで評価されるための質問である。
(質問)誰と会ったのですか?
(回答)言えません
だと、何かを隠しているようにみえる。これを意図的に狙った質問である。

いずれにしても、質問者の舛添都知事に対する評価など必要なく、やめた方がいい、なんて発言は蛇足に過ぎない。
また、本気で辞めてほしいのであれば、そんな言い方はないよなあ、という発言も多い。
一生懸命、感情を込めて話すと相手に理解される、ということはない。それが質問者には理解出来ていないのではないか。

いろいろと難しいなと思う今日この頃。
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