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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。

久々に、気持ちいいくらい寝坊して会社に遅刻した。もちろん、気持ちいいのは寝ている間と、開き直った直後の少しの間、しかも自分だけであって、対応の遅れた顧客(今回はたまたまいなかったけど)、迷惑を掛けた同僚、うんざりしている上司、誰にとっても不快なだけであったことは、深い反省の最中に実感している。
さはさりとて、寝過ごしてしまった時にはどうしようもない。前日に早く寝るとか、睡眠の質を上げるとか、今の段階で考えてみても今の状況は変わらないし、既に遅れてしまった分を取り戻すために今日一日を過ごすとなると大変にハードな時間が想像され、夜までその反省を持続させる元気は恐らくないことが容易に想定される。この明晰さが昨晩の睡眠時間を削ってまでくだらないことに時間を費やしていた、あの瞬間に発揮されないことも悔やんでも後の祭りである。実際には前夜が、私の脳内でお祭り状態だったのだが。

今日の実例を通じて学んだ、朝から遅刻した日の過ごし方についての3つのアドバイスを私からさせていただきたい。

1.焦らない
一刻も早く職場に着かなくては、と焦っていいことなど一つもない。今日、もしかしたらあなたは病気で一日動けなかったのかもしれず、それで会社が倒産したり、解雇になったりはしないだろう。そう考えると、つまり一日自分がいなくたって会社は、地球と一緒に回り続けるのだと考えると、数時間遅れることは実はなんでもないことだと思えるはずだ。
実際、上司にしたって、あなたがいないことで、とんでもない損害が起こるかもしれないと思って怒るわけではなく、会社の定めた出社時間というルールに対する反抗心が社内で興ることを心配しているのだろうし、もしかしたら条件反射あるいはストレス発散や自己顕示欲充足のための良い機会と捉えている可能性もある。
つまり一分一秒を争ってみてもあまりよいことはない。

逆に、焦った結果、走って会社を目指したりなんてすると体力は削られるわ、交差点での人並みに精神は削られるわ、髪が乱れ、荒い息をして、疲れた顔つきになったりするわけで、悪いことはたくさんある。
悪いことの効果は、会社に到着してからも続いていく、ことに注目していただきたい。
これだけ、明確に焦ることのデメリットがはっきりしているのに、それでも焦って会社に来る人をあなたはどう思うだろうか?また、あなたはそんなデメリットが分かっていない人と思われたいのだろうか?

ただ一点、焦るべきことがあるとすれば、職場への遅刻の連絡を焦ってでもすべきである。この連絡が遅れたために、方々へアイツが伺っていませんか?という問い合わせをされ、晒し者にされた事例を私は知っている。いや、何かあったんじゃないか、と心配された上での行動だということは十分過ぎるほど理解しているのだが、聞き方ってあるじゃないですか、始業時間過ぎても来ないし連絡もないから、心配になって、って取引先とか関係部署とかない正直に言わなくてもいいじゃないですか、という体験談を語らなくて済むためにも(そして当然に後日、関係者の方にその節は変な問い合わせが行ってしまって、と謝らなくても済むためにも)職場への連絡はとにかく急ぐべきである。
なお、その際に正直に理由を述べるべきであるか、は職場環境によって答えの異なる難解ではあるが重要な問題なのだが、別の機会がもしあればお伝えすることに致したい。

2.活かす
どうせ、就業時間に間に合わない、ということに気づいたあなたが、私のアドバイス通り、焦るという罠を見事にかいくぐった、としよう。
次にあなたがすべきことは、ソファーに座ってゆっくり新聞を読んだり、駅前のコーヒーショップでお気に入りの店員さんにウィンクしたりすることではない。
せっかくいつもと違う出勤時間、求めても得られない(たまに求められていないのに、強引に取得する人もいるのだが)このひと時を、十分に活かしていただきたいと思う。

普通に会社に向かったとしても、いつもとは違う顔ぶれの電車に、いつもとは違う込み具合の電車に、いつもとは違った気持ちになれるのだと思う。それも、自分の視点を上にずらしてこそ、靴先や電話や紙なんて見ている場合ではない、そうだ、若者よ上を向いて歩こう!
この記事が別に若者を対象にしているわけでもないので、存分の話がぶれてしまって申し訳ない。

会社についた後の憂鬱を忘れるためにも周囲を見渡すことはオススメできる方法である。運がよければ、同じように遅刻して、しかも焦っている人を見つけることが出来るかもしれない。見つけたらということは同じ車両に同乗しているのでしょうから近づかず避けた方が無難である(焦っていると苛々していることが多いから)。見つからなければ、目に入った人を、勝手に、この人今日は遅刻なんだなー、と決め付ければいい。何も孤独を心の糧とすることを朝の電車の中で実践する必要はない。

その他、いつも立ち寄るコンビニが普段より空いていることを発見できるかもしれないし、会社の写真を撮ることだってできるし(出勤時間だと誰かに見られる可能性が高くて恥ずかしくないですか?写真をどうしたものか、とは思いますが)、私はこんなちっちゃなことしか思いつかないけど、いろいろとできそうな気がする、そうだその気になれば何だってできるんだ、世界を変えることだって!という気分で何かをしでかしていただきたい。
今日のあなたは特別なんだから。

3.意識する(忘れない)
人間は、自意識過剰な生き物であるとはよく言われることであるが、他人が見ている部分と、自分が意識している部分は相当にずれている。
これは、自分で意識できる部分というのが意外と少なく、世の中には多くの視点がある、という意味ではないかと思われる。

始業時間に遅れて会社に着き、上司の叱責を深刻な顔でやり過ごし、同僚に申し訳なさそうな顔を見せ、部下には頭を下げる、そうして、朝の遅れを取り戻すべくメールを見て電話をかけ、一時間もしたところで、遅刻したことをすっかり忘れていないだろうか?
大変に残念なお知らせではあるのだが、あなたの頭の中から消し去られた遅刻した事実は、他人の頭の中からは消えていない。良くて、皮の中に納まっただけである。興奮したとき、じゃなかった、あなたに悪い感情を抱いたとき、その事実は頭をもたげてくる。そして、あなたのしたことが、相手のあなたに対する感情を、特に悪い場合には、倍がけで増幅させることになる。

更に、あなたが自分が遅刻したことを反省していない、と判断された際には、まず間違いなく相手を怒らせる。
ここで問題にしているのは、あなたは本当は反省しているのに、相手に反省していないと判断されることである。
具体的には、他人の批判をする、間違いを指摘する、話にきちんとあいづちを打たない、ということが、仮に建設的な批判であっても、正されるべき/正さないとより問題がある間違いであっても、聞く必要のない子供のお遊戯会で自分の子供がいかにかわいかったか、であっても、あなたは遅刻を反省していないと判断される。

理不尽なことだ、というのは誰よりも言い出した私が分かっているつもりだ、でも事実なんだから仕方がない。他人の気持ちや判断は、どうにもできないものなので、変えられるのは自分のことだけ。

ではどうしたらいいのだろうか?
一つの、恐らくは唯一の対応策は、何度もしつこいくらい、自分が遅刻した事実を繰り返し相手に伝えることである。
「遅刻した私が言うのもなんですが、この点は間違っていますよね、私が遅刻しなければこんなことにはならなかったのに、大変申し訳ありません。」
もちろん、このことがあなたの精神をおおいに傷つけるであろうことは想像に難くない。忘れたい記憶について、自ら口にすることなんて誰にとっても嫌なことリストの上位に来るものだ。
でも、しなければならない。他ならないあなたのために。

また、この自分のミスを繰り返すことは、他人からあなたへの信頼を向上させることの一助にもなる点を理解していただきたい。
自らのミスを言い募ることで、隠し事をしない信頼できる人間だという評判を得ることもできるし、場合によっては笑いも取れて明るい人間だと思ってもらえるかもしれない。

この文章を読んであなたが遅刻も捨てたものじゃないなあと思っていただけると幸いである。ただ、じゃあいっちょう、明日は遅刻でもしてみっかぁ、と思われることはおすすめできない。
明日は土曜日なんだから。

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誤報への対応をどうするか
 
自分、自分の所属している組織やコミュニティ、例えば家族や学校や会社や地域や、の評判が、根も葉もない、根拠ない情報によって失墜させられる、ということが、まあ、感心するくらいよく起こっている。
この話の厄介な点は、3つある。
・「根拠ない情報」の線引きが難しいこと。
・訂正が困難であること。
・評判が失墜していることを確認するのが難しいこと。
 
犯罪の容疑者としてマスコミで報道されている顔写真が他人のものでその本人に多大な迷惑を掛けている、という事例が出てきており、これなんか非常に分かりやすくて、
 
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012103100017
 
根拠がないのは明らか(別人ですし)、評判が失墜していることも明らか(凶悪犯罪の容疑者、と思われたらねえ)、ただ訂正は困難なんだろうなあと思う。周知されてしまっているし、誰が訂正のことを忘れているか分からないし。訂正については被害者の要望によっては、必ずしも情報の訂正を求めていなくて、例えば本件でも過去の写真であることや、どの程度の補償がなされるのか分からないため、数億円単位の補償が受けられるんだったら、私だったら返って満足するかも、と思わないでもない(海外で生活できそうだし)。
 
そのほか、民主党の偽メールでの追及事件から、週刊朝日の橋下市長への謝罪事件から、こんな事例は枚挙に暇のないくらいたくさん起こっている。
真実はいつか明らかになるのだ、と信じている人もいれば、裁判で決着させようとする人もいるし、自分で事実を確認したがる人もいる。
ただ、この世の中は良くも悪くも、評判を元に、印象を元に、判断されていて、それは自分も例外ではなく、ある意味仕方のないことであって、悪い評判が立たないように気をつけ、自分の評判を上げ、ることしかないのかなあと思う。
他人の口をふさぎにいくことに意味や実効性がないとは思わないけど(中国なんてある程度成功しているように見える。ある程度、ね)、いかんせんとてつもない労力が必要になり普通は実効的ではないため、自分のよい評判をより上げる方向に努力する、というのが世知がない渡世の方法かと思われる。そう、評判なんて、自分が何をしたわけでもないのに上がってしまうことだってあるわけで。
 
さて、世間の大事件はともかく、西東京市でも、この評判の失墜が問題となっている事例が発生している(らしい)ので、そのあらましをお伝えさせていただきたい。
舞台は、少し遡るが、2012.06.12「平成24年駅周辺再開発等特別委員会」である。
問題は、ひばりヶ丘駅北口において、新座市の議員さんが駅前開発及び駅前までの道路の開発を新座市が、あるいは新座市のなんとか党が作ります(作りました?)、と言っているところ、これって西東京市がお金出して作っているんじゃない?というクレームです。
クレーム主は自民党の浅野先生。
 
浅野先生のお怒りは、あんな場所でビラ配りするなんて邪魔だ!という点を起点にされているように思われ、その発火点についても、西東京市内の問題ですし、住民目線という意味でも、なんだか納得できるところだったりする。
事実関係については、私は知らない。西東京市の議員さんがあそこにいないのかどうか、ビラを配っているとしてそれほど邪魔なのか、新座市の議員さんだけで民間の方(お店とか)はビラ配りしていないのか、なんてことは全然分からない。上記、西東京市が作っている、という点も、住所的に西東京市内なんだからそりゃあそうなんじゃないかなあと思うところではあるが、そんなことに興味がない人は、地方行政にあまり関心がなさそうだし、ひばりヶ丘の駅前を新座市が整備してくれていると思っている人が増えたところで新座市への好感度が上がり、交流が増え、お互いに発展しそうだし、別にどうでもいいことなんじゃないかなあと思っている。
 
ただ、よく分からない事実関係を西東京市の特別委員会の文書に紛れ込ませてしますところはさすがだなあと思う。
個人的には、お隣の市とは仲良くやっていくべきだと思いますけどね。
 
で、浅野先生のご指摘のとおりの事実関係だとして、西東京市の誰も見ない議事録に残しておくことでは、西東京市の名誉(評判)は回復されないのであるから、なんらかの対応策を検討すべきではないか、と考える。
具体的にはHPへの掲載、市報への掲載、立て看板の設置等が考えられる。もうこの際、ついでなので、浅野先生が新座駅前に立って、通勤通学途中の学生/会社員に迷惑掛けた挙句、新座駅前の整備は西東京市の自民党ががんばったから実施されたんです!と声を張り上げていただいたらどうかと思う。公明党の佐々木議員のおっしゃる不明瞭な、補助金詐欺とも言われかねない経緯も含めて考えると、無理筋の主張でもないんじゃないか?

特別委員会の議事録って、こんなに面白いので、多くの人に目を通していただきたいなあ、といつも思います。
方々で話題になっている口の悪い社長の話、同社のサービスを利用したこともないし、自分がサービス業に従事しているわけでもないが、大変残念な結果になったなあと思ってみている。

http://blogos.com/article/48778/

ビジネスの現場において、暴言を吐くなんて論外であり、伝える言葉を一つひとつ選び抜く、のみならず声のトーンから表情から身振り手振りまで、何とか目の前の人を不快にさせず、自分の思うとおりに動いてもらいたいと思っている身からすると、随分と不自由なく日々生きておられるように見え、羨ましい限りとの気持ちがぬぐいされない。

ただ、わが身を振り返ってみると、相手の口調なんて、相手の気分を計るツールくらいにしか思っておらず、気分が悪そうだったら承認を取る前に場を和ませようか、と考えるくらいにしか気にしていない。
はいはい言って、熱を冷ましてから本題を始めよう、と思う程度だ。

ので、この社長の口調に気分を害することの実感がないのだが、それでも自分の身内が他人からこんな言われ様をしていたら嫌だなあと思う。
その上で、自社や自社のサービスを悪し様に言われ、反論する気持ちも分からなくない。むしろ、社長にとっては自分もであるが、自らの従業員のためにも、そんな言葉をほおっては置けない、と考えるのもなんか分かるのである。更に言えば、無責任な推測の域を出ないものの、ほっとけず白黒つけに言ってしまう人柄なんだなあ、とこの社長のことを思えば、人として非難されるべきことでもないように思う。
いや、お店を出たところでぽろっと言った本音に切れられても、という言い分も理解できるのだが、私はそれ以上に、誰かに聞かれて困ることなら言わなきゃいいのに、と思う。特に、他人の気分を害するような言葉は聞かれたら切れられてもやむを得ないんじゃないか、と。
言い方が悪かった、という問題は残るにしても、そこに至る道筋は(そのような口調になってしまったことを含めて)、まま理解できそうな気がしている。

というわけで、個人的にはどっちか片方が被害者なわけでもなく、双方ともに過失があったケース、今後気をつけましょうね、という方向に話が進んでくれると良かったのに、と残念な気持ちになる。
この話に白黒つけて、サービス業の社長としてのあり方を論じることは、この社長と、口調の違いはあれど、あまり変わらなく、何の意味があるんだろう、と思ったりもする。

というわけで本題に入る。
この社長の口調はともかく言っている内容は納得できる、という意見も散見されるが、私にはこの内容がいまいち納得できない。
そもそもこのユーザーは、何を求めていたのだろうか?
送料無料で自宅まで商品を届けてほしい、と思っていたのだろうか?

元のツイートは、私には、商品の表示価格が1,050円、送料がかかるのは分かっていたけど、(感覚的には倍近い)1,750円が実際にはかかるなんて、詐欺っぽい、という主張で、つまりは、もともと商品価格の表示の際に、この商品買って私が支払うのは1,750円って表示しておいてくれたらよかったのに、なんじゃないだろうか。

以下、ゾゾタウン(書いちゃった)を利用したことがないので、想像に過ぎないが、商品の購入品数に応じて送料が変わるため、商品価格に送料を加えた金額を表示できないし、表示してもミスリードになるだけだ、ということなのではないか、と思う。また支払い先が送料は運送会社で、別だということもあるのだろう。
その理屈はもちろんよく分かる。分かった上で、カタログ価格より多く請求される気持ちはもっとよく分かるのである。

世の中にそのようなカタログ価格に別途費用等がかかり、実際の支払い金額がカタログ価格より高くなる商品なんて山のようにあり、一般的な商慣習であることは理解していても、率直な感想として詐欺っぽい、というのは理解できるところである。だって、カタログ価格を見て、その金額も含めて欲しい気持ちになったのだ、追加費用なんてカタログ価格に含めておいて欲しいではないか。

企業努力によって、送料を無料にしてくれたっていいし、商品価格に送料を織込んでくれたっていい、消費者にカタログ価格よりも上乗せした負担を求めない工夫があってもいいように思うだが。
実際には、ネットで販売する以上、あれこれ理由をつけてカタログ価格より安くする方法だって考えられる。そういうサービスが増えてくれたらうれしいなあ、と思っている。
出掛けに思っていた以上に肌寒く、羽織モノを選んでいるうちに出発が遅くなり、雨のせいかそれとも三連休のせいか、苦労してとおり抜けた抜け道で回避したはずの有名な渋滞のメッカ以外の場所で渋滞にはまる。カーナビが目標時間のぎりぎり前後の時間に到着することを告げ続ける。前に後ろに、遅刻をあきらめるかがんばるか、合わせて私の心も揺れ動く。
 
祖母が99回目の誕生日を迎え、普段は集まることもない親戚が一堂に会した。
私にとっては妻の祖母のこととて、家族が大人数で集まることは、特に話題のない時間を過ごすことになることが目に見えていたとしても、無条件に喜ばしい。
それにしても、祖母から、その子供達が二人、片方は離婚し、片方は夫婦そろっての参加。二人の子供達はそれぞれ子をなし、それぞれ結婚している。うち二組は、それぞれ二人の子供をもうけて、計14人。
そもそもおばあちゃん、と呼ばれているものの、その言葉の本来の意味であるところの祖母、である人は私を含めて半分以下の6名、という事実に思い至る。何気なく、子供におばあちゃんってさ、と話しかけようものなら、おばあちゃんって誰のこと?と至極もっともな突っ込みをくらう。
参集した顔ぶれを見ても、職業、住まい、嗜好から、何一つ一致しないという点には苦笑せざるを得ない。といっても、縦横、どんな分類をとっても血の繋がっていない私が、誰より分類のはずれに位置するのではあるが。
 
祖母の好み、と聞いている和食の会席を皆で食する。
耳の遠い祖母は、他人の話を聞いているのかいないのか、一心不乱といも形容すべき状態で食べ続ける。長生き、健康の秘訣は、という疑問は多けれど、何よりもまずは食べること、なんだなあ、と思う。
順番に祖母に話掛けると、満面の笑顔で答えてくれる。息が抜け、声とともに空気の抜ける音が痛々しい。
興が乗ってくれば話続ける、他人からの指摘(危ないからここを持ってください)には不服を示す、頑固な老人そのものではあるが、自分の意思を表示できることも生きている証の一つなのだろうと思えばいとおしい。
 
例えば、自分の見た目が、歳相当よりも若く見える、ことにこちらの想像を絶するようなこだわりがある。
私には正直99歳と、90歳の人間の違いが分からないし、違うことに何か意味があるかすら分からない。それでも当人にとっては、自分の年齢が(赤の)他人に知られることへの譲れない羞恥があり、実年齢より若く見えることへの強烈な渇望がある。
 
正直自分が輪の中に、しっかり居られたのかどうか分からなかったものの、こんな集まりに参加できて良かった。渋滞にはまったことすら、祖母が自分の家族にこうして囲まれるまでの日々を思えば、ささやかながら追体験ができたのかもしれず、祖母が、私のようなものを含めて集まることを喜んでくれてよかった。参加している全ての人が、自分にもいつかこんな自分のために家族が集まり、囲まれる日が来るかもしれないという希望を持てて本当に良かった。
 
久しぶりに、ショッピングモールに行ってみると、柳原加奈子ちゃんってすごいなあと思う。
商品見たり、自分の欲しいものを思い出して確認したり、どのお店が入っているのか調べたり、そんなことより前に、まず彼女ってすごいなあと実感する。
 
次に、店員さんって優秀だよなあと思う。
自分がお店で何かを売った経験がないせいもあるんだけど、どこにどの商品があるのかを覚えているのがまずすごい。
しかも、ちゃんと商品名を言えるとか、商品の説明ができるとか、までこちらが至っていないで、「こんなものがあったような気がするんだけど」、ってレベルで商品を探し出してきてくれるところがすごい。
 
最後に、客との話の合わせ方がすごい。
 
スニーカーを探していて、あるスニーカーが気に入って、自分の足のサイズを店員さんに伝える。
すると、伝えたサイズより一つ大きなサイズのスニーカーを持って現れる。
この靴は幅が狭く作ってあるので、一つ大きいサイズじゃないと合わないんです、それでもぴったりした装着感があると思うんですけどこれが最近の流行なんです。このメーカーはそこに拘っていて、どこそこのメーカーも同じ方向で開発していて、でも有名なあのメーカーはやりすぎで最近のものは少し履き心地が悪いんです、と流れるように述べる。圧倒される。
 
お茶を探していて、あるお茶がほしくて、でも店頭に並んでいる商品は、好みではないフレーバーが入っていて、それがないものが欲しい、と店員さんに伝える。
すると、最近は、うちのお店で扱っているこのお茶は全部、このフレーバーが入っているのだ、と言う。私も飲んでいて好きではないんですけど、しょうがないですよね、と言う。
 
びっくりするのは、両方とも、その専門店ではないこと。
店員さんが本当にスニーカーやお茶について、どれだけ詳しいのか、確かめる術はなく、確かめたいとも思わないけど、全ての商品を自分で試しているわけでもないだろうに、とっさに対応できるのがすごいなあと思う。
 
お店でモノを売るんじゃなくたって、自分の会社で扱っているサービスについては、ちゃんと説明できるようになりたいなあと思いました。
ちゃんと説明するっていうのは、正しいだけではなくて(ウソを付かないのは当然の前提だとして)、相手に合わせて、理解できるように、少し感心してくれるように、そして興味を持ってくれるように、説明できたらいいなあと。
 
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