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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。

自分が怠けていたことが原因で人工透析を受けている患者には社会保障費を使わず、別に有効活用すべきだ(結果として人工透析が受けられず、亡

くなっても仕方がない)とブログに書き込み、批判されていた長谷川さんが、キャスターを務められているテレビ番組を降板することになり、反省

の弁を述べられています。

 

http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/48552418.html

 

以下引用・-・-・-・-・-・-・

ネット上では、テレビ上と違う言語が飛び交っていると思っています。

なかなか実際に口に出すときつい言葉も、ネット環境では意外と受け入れられたり…。

 

それに構え過ぎ、少しでも多くの皆さんに見てもらおうと肩ひじを張り過ぎていた感は、自分でも自覚していました。テレビで私を見た方はご存知

の通りで、私はそもそもそんなにキツイ言葉使いをしない人間です。ですが、ネットの世界で一人でも多くの方に訴えたい、という思いが強すぎて

、今回は大失敗してしまったのです。

 

以上引用終わり・-・-・-・-・-・-・-

 

長谷川さんは、ご自身のイメージがご自身の商品価値です。

イメージは、その人がどういう人なのかの真の姿、であったり、普段の言動の平均、みたいなもので作られるわけではなく、極端に引きずられがち

です。

清純派のアイドルがタバコを吸っている写真が一枚でまわれば、批判にさらされることは想像できますし、実際にそのような出来事もこれまであり

ました。

普段からキツイ言葉使いをされないからこそ、「死ね」等、ネットでよく使われていても、長谷川さんのイメージとはそぐわない言葉にスポットラ

イトが当たったのです。

結果、長谷川さんの商品価値が落ちてしまった、というイメージ戦略の失敗、なのでしょう。

 

これまで長谷川さんを批判されていた方の中には、自分の主張や正義が、世の中に認められた結果として、今回の番組降板をとらえる人もいらっし

ゃいますが、そんなことではないだろうと思うのです。

正しい主張をしたこと(あるいは長谷川さんが間違った主張をしたこと)よりも、むしろ多くの誹謗中傷がテレビ局に直接、またネット上に多数あ

ふれたからこその結果です。

 

ご自分でも自覚されていた「肩ひじを張りすぎていた感」は、ネット上の言論は、強い言葉を使わなければ影響力を伴わない、ということだと思い

ます。

一般に、しっかりと物事を伝えたい、という気持ちが強ければ、その分だけ普段の自分ではしないこと、つまり「肩ひじ張」ったことをしてしまい

がちです。

 

一例として、好きだという気持ちが高じて、何度も電話してしまい着信拒否される、なんてこともあります。肩ひじ張っている感じ、伝わりますか

あるいは別例として、やるせない気持ちを伝えたくて、遅延した電車の駅員さんに詰め寄ってしまう、ということもあります。肩ひじ張っている感

じ、伝わりますか?

部屋の広さを測るのにメジャーがない場合、両腕をピンっと伸ばし、肩の高さにまで上げる、何回反転するかで測ることができます。肩ひじ張って

いる感じ、伝わりますか?伝わっていたら、これは間違ったイメージなのでお忘れください。

 

さて、こういうことって、やっちゃう人はいつも、何度もやっちゃうものです。

本人に自覚がない、とは限りません。

自覚があっても、感情をコントロールできる、とは限らないのです。

一方で、適切な治療や、訓練によって減らすことができることもまた合わせて覚えておく必要があります。

決して、ある人を評価する際の、絶対的な特徴として使えるものではないのです。

 

私としては、

怠けているのって誰だろう?

怠けているのは、本人に帰責されて、変えられるものなのかな?

と思っています。

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何を食べたい?は人類のたどり着いた最高の愚問です。

しかしながら現代社会では、この質問をどのタイミングで、どう使い、回答にどうリアクションするのか、は切実に重要な問題なのです。

 

 

しらかわ次世代による政治を考える会、という高校生の団体が政治家に、貧困問題についての公開質問状を送付、回答をホームページにアップロードしています。

http://shirakawanextgene.hatenablog.jp/

 

まず、当該団体の行動力を賞賛したいです。高校生だから、という枕詞は必要なく、行動を起こせることが素晴らしいと思います。

そして、回答された議員各位には深い敬意を感じます。

とりわけ、片山さつき議員は、自身に対する悪意も感じられるこの質問状に正面から回答されており、とてもすごいと思います(同じ日本人として、同じ大人として、回答してくださったことが誇らしい、と思います。語彙が拙くて申し訳ない)。

 

毎日、各方面から意見を聞かれ、回答がまともに取り上げられることよりも揚げ足を取られることの方が多いのが政治家ではないでしょうか。

そんな中、よく分からない団体からの質問に回答されることは、何より雄弁に、国民の声に耳を傾けつつも対話を行う姿勢を示しています。

他人や政権の批判、面白い自説の開陳、本心から歓迎されていない会への出席報告なんかよりも、このような活動(質問状への回答)を他にもされているのであれば、そちらを開示することがよっぽど人柄が伝わるのではないか、と思われるところです(あるいは回答しなかった質問にはどのようなものが、どれだけあるのかを開示されることにも意味があると思います)。

 

ちょっと話がずれますが、議員さんの活動報告って、ご自身でなされていることが多いですよね。

スタッフがおられるのでしょうから、誰かに任せてもいいのではないでしょうか。

情報量が増えるのであれば、喜ばれる話だと思うのですが。

 

さて、この公開質問状の内容ですが、質問内容が包括的、ざっくりであることが特徴です。

相対的貧困に該当する人々への支援や格差解消のための政策は必要だとお考えですか(質問7)という具合です。

そして、この質問7への回答は、回答を寄せた全員が「必要」と回答しています。

 

この質問に対して、良識を持って公の立場にある人が特別な意図(炎上させたいとか、冗談を言いたいとか)なく、不要、と回答することはないでしょう。

従って、この質問は回答者の良識の有無を確認しているだけで、貧困問題への対応を深化させることには繋がりません。

 

「支援」と「格差解消のための政策」という別物も混在させない方が、より建設的な議論に繋がりそうです。

多くの回答は、必要と言いつつ、他の回答も合わせて読むと、支援の必要性を念頭に置いていて、格差解消が必要なのかは判然としません(具体的な格差解消の方策についても他の質問への回答で述べられていません)。

 

片山議員の回答は、何らかの対応が必要である点に加えて、そのラインまではっきり(他の回答と比較すれば)示していることが特徴です。

特に相対的貧困への対応については、相対的貧困の定義や対応策(または財源)に幅があることが理解の進まない一因になっているものと思われ、片山議員以外の方々がどのように考えているのか、を伺う質問がなかった点が残念です。

 

また、全体的に、相対的貧困への対応策として、金銭支援が強調されています。

相対的貧困の発生を抑制する政策とは何か、あるいは将来的に格差を是正していくための税金投入以外の方法は何か、を問う質問があれば、より議論が深まったのではないでしょうか。

 

私の感想は、

・片山議員は頭がいいことが良く分かった

・山本議員の回答に滲む、もっと調べてから聞いてほしい、には共感する

回答しなかった議員さんは実名が挙げられていて気の毒であるが、回答しない理由を述べることくらいはしてもいいのでは

・この会の次のアクションはなんだろう

です。

 

 

現在の日本に絶対的貧困が存在しない、のであれば喜ばしいことだと思いますが、それは解決された問題ではなく、日々解決に向けて努力されている人たちのおかげではないかと思います。

いずれにせよ、何を食べたい?と聞かれないのは嫌だけど、わかんないと回答したい、なんて人間がいるってことは、貧困であろうとなかろうと教育してほしかったと思う今日この頃です。

中学校3年生になって、アホの田中という社会の先生が赴任してこられました。

アホの田中、は生徒がつけたあだ名ではなく、自称です。

見た目は中年の冴えないおっさんなのですが、とにかくやたらと陽気でした(爆笑問題の太田さんをイメージされるといいのかも)。

私の担任で、イラクのクエート侵攻はこの先生から聞いた覚えがあります(どんな表情や話振りだったのかはまったく思い出せません)。

この田中先生、サッカー部の顧問になったのですが、いくつか、風変りな練習を取り入れられました。

その一つが、ハカ(みたいなの)を踊りながらグランドを1周するというものです。

 

ハカと言うのは、民族舞踊で、オールブラックス(ラグビーのニュージーランド代表)が試合前に踊っていることで有名です。

YOUTUBEに動画があります。

当時、アリナミンのテレビCMでやっていたので、ハカだと言われれば、ああなるほどね、だったのです。

 

とはいえ、思春期の中学生男子が、広くもない学校のグランドでハカを踊る姿は、各部活から嘲笑のまなざしとともに注目され、踊り手から不満が漏れ聞かれたのは当然の成り行きでした。

上級生になるほど、いきなり導入されたハカへの反発が強くありました。

ハカを踊ることがケガの防止に繋がるとか、筋力の向上に繋がるとか、そのような理由が示されず強制された(嫌なら部活を辞めちまえ、と陽気に笑いながら発言されたこともあったようです)ことが、余計にサッカー部員の反発を招いていました。

田中は自分が面白がるために生徒で遊んでいるという批判もありましたし、それは事実だったと、先生のその他の言動と照らし合わせて、私は思っています。

批判はあろうともそこは中学生、結局は先生の言いつけ通りにハカを踊り、そのうち慣れてしまったのか批判も聞かれなくなりました。

 

先生の言いつけを守ったおかげ、ではないでしょうが、三年生の最後の大会では、市の大会で優勝し、県大会に進み、そして県大会でも初戦に勝利しました。

そこで起こったのがゲータレード事件、です。

 

この事件の前ふりとして、試合前、対戦相手からクレームを受けたことがあります。

どうも、試合前にもハカを踊るよう指示されていたようで、相手の中学校の先生が怒って抗議してきたのです。

笑って受け流した田中先生。中学生の目から見ても、相手を小馬鹿にしているような笑いを浮かべていました。

 

そして試合後、勝った選手たちは、浮かれて騒いでいました。

田中先生も試合直後は、ヒャッホーだか、ウッシャーだか、大声で叫び、こぶしを突き上げて飛びあがっていましたが、トイレに行っていたのか、たばこでもふかしていたのか、不在にしたときのことでした。

水道で水を飲んでいた生徒たちは、浮かれ具合がヒートアップして、当時流行っていたゲータレードのロゴが印刷されたプラスチックのボトルに水を詰めて、お互いに掛け合っていました。

そこに現れたのが対戦相手の先生、その先生がサッカー部の面々を怒鳴りつけたのです。

怒った理由は、飲み物を粗末にしていたから。ゲータレードのボトルに入っているのが水道で汲んだ水だとは思わなかったのでしょう。

 

たまたま戻ってきた田中先生を目にした生徒たちはさぞ安堵したことでしょう。

普段、悪ふざけを肯定している大人が、遊んでいるだけだと説明してくれる大人が現れた、と期待したからです。

しかし、田中先生は案に相違して、一緒になって生徒たちを叱りつけます。

曰く、水をかけて遊ぶとは何事か、と。

 

この話の教訓は、悪ふざけは大人になっても止められない、そして他人の悪ふざけは、例え害がなくても、面白くない、です。

 

さて、安倍総理の所信表明演説の最中に、自民党の議員が立ち上がって拍手したことが問題視されています。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160927-00000069-san-pol

 

いろいろと思うところはあるのですが、

まず、これってちょっと失敗した痛いパフォーマンス、程度の話だと思います。

演説なんざ、突っ込みどころを探しているだけで誰もまともに聞いてないんだろ?だったらちょっと目立つことしてみっか、みたいな発想でスベっただけではないかと。

 

次に、立ち上がったのは、きっと事前に示し合わせておいたからだと思います(自然発生的なものだ、という説明はいくらなんでも)。

これ、事前に情報が洩れなかったという意味で、阿部首相サイドの統率力あるいはリーダーシップの左証です。

 

そして失敗したパフォーマンスに、異例だから、という理由で抗議する野党の姿勢は、あまりにひどいです。

チャレンジする人を応援する、とかそういった姿勢が全くないことを公言しているようなものではないですか。

また、今後はもうしないと約束しちゃう自民党もなんだかな、と思います。

首相の呼びかけた海保、警察や自衛隊に敬意を表する、ことに対して、異論がないのであれば、スタンディングオベーションに参加した無かった人にこそ、自分はどのように敬意を示して伝えるつもりなのか、を説明する必要があります。

 

拍手じゃなくて足踏みが良かった、とか、いろいろな意見があり、議論を深めていくことこそ、言論の府に求められている役割なのです。

拍手や足踏みが、手や足のない障害者の方への配慮が足りないのであれば、歯をカチカチとかみ合わせて鳴らす、でもいいです。入れ歯の方が多そうなので、みんなで参加しやすいですよね。

民進党のように多様性を肯定する政党はみんなそれぞれのやり方で、わしはハゲているから頭を叩こう、わしは空っぽだから頭を叩こう、そんな意見があってもいいと思います。

 

とにもかくにも、批判だけしていても楽しい方にも、良い方にも、転ばないですよね。

転ぶとお墓に入っちゃう心配がある人たちには厳しい物言いかもしれませんが。

手元に詳細なデータがない、どころか、一切、なんのデータも見ていないのだが、ひばりヶ丘駅周辺の国際化は進んでいないように思われる。

一個人の、しかも日中どころかひばりヶ丘のアクティブ滞在時間の短い一個人の体感として、外国人とすれ違う機会はあまりに少ない。

 

その是非はさておき、外国料理のお店は多い。

お隣韓国料理のお店は、そのものずばりではないが焼肉屋があり、インドカレー、タイ料理、フレンチ、スペインとデートでも接待でもオススメできるようなお店がそろっている。

しかし、なかんずく多いのが中華料理屋である。

 

同じ中華、とひとくくりにしたくないほど、バラエティーに富んだ店がそろっており、一人なのか、デートなのか、家族なのか、子連れなのか親連れなのか、等々、条件によってオススメし分けられるだけのラインナップは揃っている。

何なら、アンジャッシュの渡部氏よろしく打順を組むことだってできそうだ

北口の香蘭のようなリニューアルもあれば、南口の寒舎のようなニューカマー(まあこちらも移転・新規ですが)もあり、西東京市の中華街くらいは言っても怒られることはないだろう。

 

そんな中華激戦区、ひばりヶ丘駅周辺の中華料理屋の中でも、今回取り上げたいのが、「泰豊飯店」と「天天」。

 

まず、泰豊飯店は北口を出て、細道を抜けてパチンコ屋に突き当たり、バス停に向かう道の右手にある。

行ったことある人にしか伝わらなそうな説明で自分でもがっかりである。

怪しげなビルの2階にあるこちらは、こあがりあり、テーブル席あり、どんなメンバーでも使いやすい。

料理は、いい意味で、本場っぽい味がする。

そして、店員さんが優しい。頼んでいないものをサービスしてもらったことがあるくらい優しい

なお、店内には小さな水槽があり、子連れで待ち時間を過ごす苦労も少し軽くなる、かもしれない。

 

もう一つ、天天は、中華料理屋と言うべきか、ラーメン屋と言うべきか。

こちらは、パルコの前の通り、ラブホの前を通った右手にある。

担担麺 天天が正式なお店の名前なのか、担担麺、それも汁無し担担麺がイチオシである。

花山椒の香りがよく、人によっては辛さゆえに敬遠するかもしれない。

そんな人には、汁ありの担担麺もあるが、鶏塩ラーメンがあり、こちらがおすすめである。

限界まで攻めた塩味が、濃厚な鶏だしと相まって、飽きのこない味と言える。

そして、こちらも店員さんが優しい。

 

地元のお店は、地元のよく勝手知ったる人にフォーカスしがちであり、一見でも楽しめるところは探すのに苦労する。

この両店はその心配はなく、初めてでも2回目でも、常連になっても、楽しい時間が過ごせること、請け合いである。

そして、西暦3020年、ついに宇宙旅行で太陽系を飛び出した人間は、M9861星雲の惑星テポラッチでその生物と再会を果たしたのだった。

私は黒光りしてカサカサする(実際にカサカサって音を聞いたことがあるわけではなく、あれって動きから連想するイメージではないかと思っています)あいつが大嫌いで、遭遇したくありませんし、遭遇した話を聞くのも嫌です。

せせらぎ、って呼ばれている方もおられますあれです。

私はあいつに二度と会わないためにも、地球上からいなくなってほしいのですが、人類がその存在をすっかり忘れた遠い未来に、偶然、あいつに鉢合わせてしまったら、どんな感想を持つのだろうか、には個人的な興味があります。

もう死んでいるであろう自分には関係ない個人的な興味はさておき、私は、自分で調べた範囲のあいつに出会わないための方法、つまり家を清潔にすることや、薬物の使い方、などをブログにまとめました

もう二度とあいつに会いたくない、という願いを込めて、あいつなんて地球上からいなくなればいいのに、を最後の一文にして。

お友達から、確かにあいつがいなくなればいいのにね、とか、うちではこんな対策をしているよ、とか、コメント欄はそれなりに盛り上がりました。

しかし、その後、3通のメールを頂戴し、私は自分のしでかしたことがどれだけ多くの人を傷つけたのか、深く反省するに至ったのです。

その3通のメールの1通目は、生物の多様性を維持するためインターネット上の言動を見守る会、からのものです。

私はその団体になじみがなく、何かの売り込みかなあと思って(それならそれでブログのネタになるとの下心もあり)読み始めたのですが、優しく、分かりやすく書いていただいていたものの、非常な長文でした。

挨拶から始まって、私のブログを読んでいただいたこと、生活環境を良くするための情報共有を行ったことが有益であると思うとのこと、コメント欄での交流がほのぼのとした雰囲気であるとのこと、などなど、褒め言葉が続いていました。

ですが、「最後の一文についてですが、」という枕詞から内容が一変します。

まず、現在、生物の多様性がいかに脅かされているかということ、それが国連など公的に権威のある団体でも認められ様々な提言がなされていること、しかるに、私の書いた、あいつが地球上からいなくなればいいのに、という一文が生物の多様性を脅かす、好ましくない思想であること、などが書かれておりました。

もちろん、私もワシントン条約という言葉を聞いたことがありますし、人間によって絶滅する種が少なからずいることもぼんやりとは認識していました。また、あいつがいなくなればいいのに、は言葉の綾であって、本当にいなくなることが起こるはずもない、と考えてもいました。

しかし、私の考えを推し進めると、確かに指摘された通り、生物の多様性維持とは矛盾が生じる(少なくとも1種分、多様性を減少させられる)ことは間違いありません。1種くらい、と思うのは驕りでありましょうし、その1種類を選ぶ権利が私にあるわけでも、当然のことながら、ありません。

2通目のメールは、英語のメールで送り主は、アフリカで活動されているNPOの方でした。

申し遅れましたが、私はそのブログを、単に英語の勉強になるだろうと思い、英訳していたのです。

私のつたない英語に加えて、先方もネイティブではなく、意思疎通は困難を極めました。

何度かメールの往復があったのですが、先方の主張は要約すると、私の書いたブログは許せないので、日本の殺虫剤メーカーに書面で、ユーザーがあいつに害を加える(加えたい)という発言を慎むように求める、ついては私の書いたブログを悪い見本として添付する、ということでした。

先方の主張の背景は、GOKIBURI族という歴史に埋もれた民族がいる、ということです(インターネットで検索してもそのような情報が出てこないが、それは当該民族が不当に迫害されている証の一つだそうです)。当方にその方々を侮辱中傷する意図がないことは理解しているが、万が一目にした場合には多大なるショックを受ける可能性がある、ついては二度とこのようなことが起こらないことを願っているし、直接の責任が殺虫剤メーカーにないことも理解しているが、殺虫剤ユーザーはあいつに害意を持つ集団であり、このことを啓蒙するのにふさわしい立場である、ということでした。

どのような単語であっても、誰かを傷つけてしまう可能性がある、という点には配慮が至っていなかったことを反省しました。

最後、3通目のメールは女子高校生からのものです。

こちらは、過激な言葉遣いで一読した瞬間は正直、いらっとしました。「地球上からいなくなれって、お前がいなくなれ、ばーか。」だけ、ですからね。

何で怒っているのか分からず、真意を尋ねてみると、昔、あだ名があいつの名前をあだ名につけられていて、今でもその名前を聞くだけで自分のことを言われているように感じてしまう、地球上からいなくなれと言われると、自分に死ねと突きつけられているようで辛い、とのことでした。

これ、メールしてきた本人ではなく、メールしてきた女子高生の友達の話、だそうです

しかも、本人がそう言っていた、のではなく、そういうことがあるだろう、と推測しての話なんだそうです。

このように、発言は、誰かを傷つけてしまう可能性によくよく注意して行う必要があります。

分かりやすく問題だと誰もが思う差別は当然に問題です。ですが、そのような差別は当事者が反論できる状態にある(ので誰もが当然だと思うほど知れ渡っている)ともいえ、誰も気づいていないような問題に、つまり声を挙げられないような差別を受けている人たちに、十二分に配慮することが重要です。

また、害意があるかどうかは、受け手の感情には関係ありません。自分のことを言われているのではない、あるいはおふざけで言っているのであっても、嫌なものはいやなのです。

では、どうしたらいいのか?

私たち、情報の発信者(このような取るに足らないブログが発信者を名乗るのはおこがましいですが)は、言わなくてもいいことは言わない、という態度で臨むのが一番であると言えます。それだけで、それ言わなければ傷つけることもなかったよね、という指摘から、そして実際に誰かを傷つけることから逃れることができるわけですから。

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