そして、西暦3020年、ついに宇宙旅行で太陽系を飛び出した人間は、M9861星雲の惑星テポラッチでその生物と再会を果たしたのだった。
私は黒光りしてカサカサする(実際にカサカサって音を聞いたことがあるわけではなく、あれって動きから連想するイメージではないかと思っています)あいつが大嫌いで、遭遇したくありませんし、遭遇した話を聞くのも嫌です。
せせらぎ、って呼ばれている方もおられますあれです。
私はあいつに二度と会わないためにも、地球上からいなくなってほしいのですが、人類がその存在をすっかり忘れた遠い未来に、偶然、あいつに鉢合わせてしまったら、どんな感想を持つのだろうか、には個人的な興味があります。
もう死んでいるであろう自分には関係ない個人的な興味はさておき、私は、自分で調べた範囲のあいつに出会わないための方法、つまり家を清潔にすることや、薬物の使い方、などをブログにまとめました。
もう二度とあいつに会いたくない、という願いを込めて、あいつなんて地球上からいなくなればいいのに、を最後の一文にして。
お友達から、確かにあいつがいなくなればいいのにね、とか、うちではこんな対策をしているよ、とか、コメント欄はそれなりに盛り上がりました。
しかし、その後、3通のメールを頂戴し、私は自分のしでかしたことがどれだけ多くの人を傷つけたのか、深く反省するに至ったのです。
その3通のメールの1通目は、生物の多様性を維持するためインターネット上の言動を見守る会、からのものです。
私はその団体になじみがなく、何かの売り込みかなあと思って(それならそれでブログのネタになるとの下心もあり)読み始めたのですが、優しく、分かりやすく書いていただいていたものの、非常な長文でした。
挨拶から始まって、私のブログを読んでいただいたこと、生活環境を良くするための情報共有を行ったことが有益であると思うとのこと、コメント欄での交流がほのぼのとした雰囲気であるとのこと、などなど、褒め言葉が続いていました。
ですが、「最後の一文についてですが、」という枕詞から内容が一変します。
まず、現在、生物の多様性がいかに脅かされているかということ、それが国連など公的に権威のある団体でも認められ様々な提言がなされていること、しかるに、私の書いた、あいつが地球上からいなくなればいいのに、という一文が生物の多様性を脅かす、好ましくない思想であること、などが書かれておりました。
もちろん、私もワシントン条約という言葉を聞いたことがありますし、人間によって絶滅する種が少なからずいることもぼんやりとは認識していました。また、あいつがいなくなればいいのに、は言葉の綾であって、本当にいなくなることが起こるはずもない、と考えてもいました。
しかし、私の考えを推し進めると、確かに指摘された通り、生物の多様性維持とは矛盾が生じる(少なくとも1種分、多様性を減少させられる)ことは間違いありません。1種くらい、と思うのは驕りでありましょうし、その1種類を選ぶ権利が私にあるわけでも、当然のことながら、ありません。
2通目のメールは、英語のメールで送り主は、アフリカで活動されているNPOの方でした。
申し遅れましたが、私はそのブログを、単に英語の勉強になるだろうと思い、英訳していたのです。
私のつたない英語に加えて、先方もネイティブではなく、意思疎通は困難を極めました。
何度かメールの往復があったのですが、先方の主張は要約すると、私の書いたブログは許せないので、日本の殺虫剤メーカーに書面で、ユーザーがあいつに害を加える(加えたい)という発言を慎むように求める、ついては私の書いたブログを悪い見本として添付する、ということでした。
先方の主張の背景は、GOKIBURI族という歴史に埋もれた民族がいる、ということです(インターネットで検索してもそのような情報が出てこないが、それは当該民族が不当に迫害されている証の一つだそうです)。当方にその方々を侮辱中傷する意図がないことは理解しているが、万が一目にした場合には多大なるショックを受ける可能性がある、ついては二度とこのようなことが起こらないことを願っているし、直接の責任が殺虫剤メーカーにないことも理解しているが、殺虫剤ユーザーはあいつに害意を持つ集団であり、このことを啓蒙するのにふさわしい立場である、ということでした。
どのような単語であっても、誰かを傷つけてしまう可能性がある、という点には配慮が至っていなかったことを反省しました。
最後、3通目のメールは女子高校生からのものです。
こちらは、過激な言葉遣いで一読した瞬間は正直、いらっとしました。「地球上からいなくなれって、お前がいなくなれ、ばーか。」だけ、ですからね。
何で怒っているのか分からず、真意を尋ねてみると、昔、あだ名があいつの名前をあだ名につけられていて、今でもその名前を聞くだけで自分のことを言われているように感じてしまう、地球上からいなくなれと言われると、自分に死ねと突きつけられているようで辛い、とのことでした。
これ、メールしてきた本人ではなく、メールしてきた女子高生の友達の話、だそうです。
しかも、本人がそう言っていた、のではなく、そういうことがあるだろう、と推測しての話なんだそうです。
このように、発言は、誰かを傷つけてしまう可能性によくよく注意して行う必要があります。
分かりやすく問題だと誰もが思う差別は当然に問題です。ですが、そのような差別は当事者が反論できる状態にある(ので誰もが当然だと思うほど知れ渡っている)ともいえ、誰も気づいていないような問題に、つまり声を挙げられないような差別を受けている人たちに、十二分に配慮することが重要です。
また、害意があるかどうかは、受け手の感情には関係ありません。自分のことを言われているのではない、あるいはおふざけで言っているのであっても、嫌なものはいやなのです。
では、どうしたらいいのか?
私たち、情報の発信者(このような取るに足らないブログが発信者を名乗るのはおこがましいですが)は、言わなくてもいいことは言わない、という態度で臨むのが一番であると言えます。それだけで、それ言わなければ傷つけることもなかったよね、という指摘から、そして実際に誰かを傷つけることから逃れることができるわけですから。