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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。

触れてみたい、そして触れていたい。

でも、触れた瞬間に、触れたかった何かはどこかへ行ってしまうんだ。

無くなってしまうのは僕の気持ちだろうか?それとも、触れた対象なんだろうか?

~カタツムリ「達成感」

 

動物園でしか目にしたことのないタヌキを、街中、それもショッピングビルの中で見たのは日曜の午後の事です。

私個人のタヌキの想い出は、かつて交際していた相手が、待ち合わせの場所までのドライブ中にタヌキをひいてしまった、たたりに合ったらどうしよう、とうろたえていたことくらいです。

そして、実際に目にしたタヌキは、想像していたよりも大きく、そして、想像をはるかに超えて丸々としていました。

 

このタヌキ、リニューアルオープンした西友の3階に来ていたポンタの話です。

ポンタカードの、あのポンタ。

係りの方いわく、イベントに登場するのは稀であるとのこと、私も初対面でした。

 

同じく西友には、コジマのコジ坊も来ていました。

大人の私は、コジ坊よりもポンタの方が有名だし見られてうれしいと思います。

しかし、子供たちにも、コジ坊よりもポンタの方が圧倒的に人気でした。

何故でしょうか?

 

どちらも、丸い顔を基調としています。

アンパンマンの分析で有名になりましたが、子供は一般に丸い顔が好きです。

そこに差はありません。

顔つきが柔和で笑顔である点も共通です。

コジ坊は人(コジマの社員)をモチーフにしているのに対して、ポンタは動物である、と言う違いはありますが、この点は子供の人気には関係無いように思います。アンパンマンも動物ではないですし、動物なら人気がある、と言うわけではないのです。

 

観察していると明確にわかることは、コジ坊もポンタも、キグルミと向き合って話したり、一緒に写真を撮ろうとする子供は少ない、ということです。

差が出るのは後ろ側。

そうです、コジ坊にはない、モノがポンタの背中にはあるのです。

そう、それは、しっぽです。

 

子供たちがポンタに集まっていたのは、ポンタの姿、よりも、ポンタのしっぽがお目当てでした。

それも、叩いたり、抱きついたり、触って楽しんでいたのです。

 

動物園では、動物に触って楽しむイベントには人気があります。

恐らく、触れ合い、と餌やり、行動展示やショーが3大人気イベントです(蛇足ですが、動物のショーと言えば、那須動物王国が私のイチオシです)。

もちろん、コジ坊を含め、どのゆるキャラも、触れ合いの要素を取り入れていないことはありません。

握手したり、頭に触ったり、場合によってはハグしたり。

でも、それって、子供からすると、受け身、なんです。

そうではなくて、自分が触りたいように触れる、というのが楽しいわけです。

 

この「触れて楽しむ」というのは子供だけの話ではなく、人間に共通する楽しみです。

ところが大人になると、そこに性的な意味付けがなされます。

男性が女性に触れるのは、相手の同意がある場合に限られ、それ以外は犯罪になりかねません。

同意を提供するのは、親密な相手か、さもなければいかがわしいお店です。

 

先日、テレビで民進党の蓮舫さんが、一緒に写真撮影をしてほしい、と依頼される際、結構な確率で肩や腰に手を回される(触れられる)というお話をされていました。

本人の同意なく、そのようなことをするのは許されない、これは言うまでもありません。

しかし、触れている人の多くは、特別、性的な意味合いで触れているのではない、ように私には思えます。

何故なら、人は触れたいイキモノだから、です。

 

一方に触れたい人がいて、他方に触れられたくない人がいる。

この状況を、お互いがどう、どこまで我慢するか、で線引きしない方法はないのでしょうか。

触れたい人が触れられて、触れられたくない人が触れられない方法はないのでしょうか。

 

その解決のヒントがポンタにあります。

ポンタのしっぽにあると私は思います。

 

しっぽのようなものを身に着け、他人から自由に触れるようにしておくことで、触りたい人の希望も、触られたくない人の希望も、叶えることはできないでしょうか。

しっぽのようなもの、は、腰の後ろにつける必要はありません。

頭の上につけてちょんまげのようにしても良し、肩につけて羽の一部のようにしても良し、膝につけてブーツの一部とするのもいいでしょう。

そんな世界が広がったらいいのに。

 

ところで、週末の西友の混雑は、パルコの駐車場の混雑を呼び起こしておりました。

西友の駐車場は駅前はともかく、裏側は空いていたように思うのですが。

加えて、りそな銀行の駐車場も空いていたように思います。

Akippaという駐車場のシェアリングサービスがもっともっと広まるといいなあ、と思いました。

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秋の行楽と言えば紅葉狩り。

3歳の息子は植物にはあまり関心がないものの、電車と流れる水が大好き。

そんな息子を連れて群馬県の吹割の滝に行ってきました。

 

吹割の滝はひばりヶ丘駅から、車で2時間半くらい。

もちろん、これは道がすいていて、途中で休憩しないなら、です。

 

関越道を通るのですが、週末の関越は朝8時に鶴ヶ島あたりで渋滞します。

もちろん、8時に突然渋滞するわけではなく、徐々に速度が遅くなり、8時にはノロノロだか、止まってしまうか、です。

そのため、7時には鶴ヶ島を通過していることが望ましいわけです

個々から逆算すると、家を出るのは6時前になります。

実際には、それでも少し渋滞に巻き込まれたわけですが。

 

往路の注意点はこれだけでしょう。

関越は止まれるところ(子供のトイレ休憩に対応できるところ)が多いため、他に事前に考えておくべきことはほとんどありません。

 

吹割の滝の駐車場はちょっとした注意が必要です。

有料の駐車場と無料の駐車場があるのです。

だったら、無料を選べばいいんだろう?と言うわけにはいかないのが難しいところ、無料の駐車場はお土産屋の店先に設けられており、お土産屋に寄って行ってくださいね、というお願い付きなのです。

何も買わず、何も食べず、お店の人の期待を裏切って、駐車場を利用できるような強い精神力がないのであれば、有料のところに止めておいた方が良いのではないでしょうか。

駐車料金は大した金額ではありません。

 

目的地の吹割の滝ですが、珍しい風景を眺めることができます。

ただ、一つ残念なことは、水の落ちた先を見ることができないのです。

岩が邪魔なんです。

水の流れが見通せないため、息子にはいまいちだったみたいです。

 

吹割の滝周辺は、子供でも歩けるように整備されています。

全部回っても15分くらいでしょうか、長めの良い橋もありますし、小一時間過ごすにはとてもいい場所です。

こちらは子供も楽しそうでした。

 

朝から吹割の滝を目指し、観光を終えると、10時過ぎです。

このまま帰るのは寂しく、もう一つくらいは観光したいのではないでしょうか。

その際オススメなのが、川場にある道の駅、「田園プラザかわば」です。

吹割の滝から関越道に戻る途中にあるため、移動効率も良いです。

 

この道の駅はとても大きく、子供の遊び場が併設されていることが特徴です。

遊具もありますし、小金井公園にあるような、人工芝をそりで滑れる設備もあります(小金井公園に比べると小ぶりです。なお、そりは貸し出してもらえるため、自分で持っていく必要はありません。)。

もちろん、道の駅らしく食べるものには困りませんし、野菜などお土産にも事欠きません。

 

で、ここからが本題です。

この道の駅の近くにホテルSLというホテルがあります。

道の駅でもらえる案内にいっしょに載っているので、道の駅の中にあるのかと思って散々探し回ったのですが、そうではありません。

歩いて15分くらいでしょうか、少し離れた場所にあります。

この移動については、標識がたくさん出ており、迷うことはないでしょう。

田園風景とはこのことか、と言うのどかな道を歩いていると、川場の役場に着きます。

少しわかりずらいですが、そこが目的地です。

 

ホテルSLは、ブュッフェレストランでもあるのですが、ここには、ほたか高原駅、というSLの駅があり、SLに乗ることができるのです。

調べてみると、たくさんのレポートが出てくるとは思うのですが、できれば、SLに乗れるということだけを知って、あまり調べずに行っていただきたいです。

SLや職員の皆さんなど、見どころ、感じどころが多くあります。

きっと得難い経験ができるはずです。

 

一つだけ注意すべきなのは、SLの線路に立ち入ることもできるのですが、線路は油まみれです。

調子に乗って線路に立つと滑ることもありますが、それ以上に靴に着くと黒く汚れます。そして、洗っても取れません。

線路に降りることを諦めるか、汚れても良い靴で行くとよいでしょう。

 

吹割の滝から道の駅、ホテルSLのルートは秋の行楽で1日遊ぶのにもってこいです。

新緑が映える時期でも、紅葉に唸る時期でも、是非一度、足を運ばれてはいかがでしょうか。

 

こどもはじっとしていることが苦手です。

しかし、子供だけではなく、おっさん同士も、集まるとじっとしていられない、と最近気づきました。

 

サラリーマンのおっさん同士が、少しじっくり話をしようか、と居酒屋に行くことがありますが、まあじっとしていない。

居酒屋というのは、結構忙しい空間です、店員さんもですが、それよりもお客さんが。

飲んだり食べたり、話したり、たばこを吸ったり、店員さんを呼んだりメニューを見たり、酒を注いだり。などなどな。

とにかくせわしない。

 

他にもおっさん同士がつるんですること、例えば麻雀であったり、ゴルフでもいいのですが、手持ち無沙汰な状態がないでしょう?

麻雀は牌をかきまぜたり、摘んだり取ったり。

ゴルフは打ったり、歩いたりビールを飲んだり。

とにかく、何もせずにゆったりと話している、ということはないのです。

温泉に浸かっている最中でも、おっさん同士は手ぬぐいを絞ったり、サウナに行ったり、落ち着かない。

 

手いたずらとは違うんです。

もうちょっと、何か意味のあることをしていたい、という意思がそこにはあります。

泳ぐのを止めたマグロのように、少しでも意味があることをしていないと倒れてしまうかのようです

 

でね、これ、サラリーマンのおじさんが集まった時だけなんですよ。

若者(高校生とか大学生とか)がマックや深夜のファミレスでただ、だべっているのは珍しくありません。

おじいさんも、手が震えていても、震える手は宙をさまよっています。意味のあることはしません。

女性同士なら言うまでもありませんよね。

つまり、無意味に集まって話していられる。

おじさん同士の場合だけなんです、ただ話していられないのは。

一方で、おじさんのいないおじさん(つまり単品のおじさん)は、一人でいても、家族といても意味のあることなんてあまりしません。

一人ならぼーっとしています。

また、家族連れではぼんやりしていることが多く、奥さんに叱られて跳びあがって動きだしたりします。

 

なぜ、おじさんたちは群れるときに限って、そんなにも、何かをしたがるのでしょうか?

 

私は初め、職場意識が抜けないから、職場での評価基準がおじさんの集まりでは持ち込まれるから、ではないかと思っていました。

職場での評価は有能か、そうではないか、です。

そして有能かどうかの評価は、その人が何かしているかどうか、で判断されることが大半です。

いや、成果でしょ、と思われるかもしれませんし、成果であるべきというのはもっともなんですが、他人の成果なんて、相当身近にいないと分からないので、結局は何かしていそうか、くらいしか評価基準がないのです。

職場で常に何かをしていないと居られない、がプライベートでも、何かをしていないと居られない、に繋がるのではないか、と。

 

でもね、これだと説明のつかないことがあるのです。

それは、おじさんたちは仕事の、栄えある花形であり最高の舞台でもある会議で、じっとしているのです。

メモをとったり、なんていうことすらしない。

ただただ、ぼーっと座っている。

職場での評価はどうなった、って話です。

 

もちろん、会議でおじさんたちがただ座っていることには、合理性があります。

おじさんたちは、会議の無意味さを知っています。

あるいは、会議が無意味であると共通に認識されていること、を知っています。

そのため、無意味な会議よりやることがある自分は、会議に参加しているべきではない、というポーズをとるのです。

 

元の疑問に戻って、おじさん集団は何故、ただ話しているだけ、ができないのでしょうか。

太古の昔、男性は戦闘要員であったため、出会ってしまったら気を抜くことが出ないから?

私の仮説はそうではありません。

 

私が思うに、おっさん同士集まることが、楽しくないのです。当の集まっているおじさんたちにとっても。

楽しくないから、集まること、話すこと、それ自体が目的にならない。だから何か別の事をし始めるのです。ただ、これだけなのです。

 

自分の生きている世界を変えるためには、会う人を変えなさい、という話をよく耳にします。

その話を信じて、異業種交流会に参加する人もいます。

でも、それで知り合いが増えた、人脈が豊かになった、世界が変わったということは珍しいのではないかと思います。

なぜそうなってしまうのか、それは知り合うこと、あるいは知り合いになって話すこと、それ自体は目的にはなりずらいからです。

 

なので、私は知らない人同士が、一緒に楽しめる、勝負型のイベントが必要なのではないか、と思います。

それも、技術を必要としない一方、運だけでは勝てないようなイベントが。

意味のある何か(勝負事)の合間に話をする、これがおじさんに合ったスタイルなのではないでしょうか。

できれば、麻雀よりも多人数でできるゲーム、女性が混じっていても問題ないようなゲーム。

トランプ、なんてそういう意味ではこれから見直されるのではないかなあ。

大統領選を眺めながら、そんなことを思っていました。

子供のおもちゃには、根強く売れ続けるものと、ブームとなって爆発的に売れるものとがあります。

ブームとなるのは、子供だけではなく、大人も熱中する、ことが条件のような気がします。

代表的なのは、「たまごっち」でしょうか。

実は、私は一回も、実物を目にしたことがないのですが。

ブームとなったおもちゃとして有名なものの一つにミニ四駆があります。

ミニ四駆が特殊なのは、ブームが何度か来ていること、そして、男の子の関心が高く(というより女の子の関心が低く)、私とたまごっちじゃないですが、聞いたことはあるけどなんだかよく知らない、という人も多いことです。

ミニ四駆は1,000円ちょっとで買える、全長15センチほどの車のおもちゃです。

単三電池2本で動くようになっているのですが、一度スイッチを入れて車輪が回り始めると、止めることも方向転換することもできません。

単純に前に進むだけです。

カーブや段差のついたミニ四駆の専用コースがあり、そこを走らせると他のミニ四駆と競争することができます。

また、ミニ四駆は完成した状態で売られているものではなく、パーツを組み立てて、自分で作る必要があります(接着剤等は必要なく、手で作ることができます)。

標準でついているパーツを付け替えることでスピードを上げたり、安定性を向上させたりすることができます。

このカスタマイズできる点が大人になってもミニ四駆を楽しめるポイントなわけです。

ミニ四駆は1986年頃、一次ブームが起こります。

コロコロコミックなどで取り上げられたことが発端と言われています。

このブームは、5年ほどで突然の終焉を迎えます。

そして、1994年頃、二次ブームがこれまた突如として起こります。

こちらの発端もコロコロコミック。

そして、二次ブームも一次と同様、5年ほどでブームが去ります。

この2次ブーム終焉の影響は大きく、発売元であるタミヤの公式レースが終了するなどしています。

その後の停滞期を経て、2012年タミヤの公式レースが再開されると、第三次ブームが到来します。

と言うわけで、現在、第三次ブームの真っただ中にあるわけです。

これまでの流れで言うと、後1年?との不吉な観測もありますが、従来のブームとは異なり、今回のブームは子供だけではなく、大人にも広く受け入れられている点が異なります。

一次ブームの頃、小学生として熱中していた世代が、自分の子供が熱中する世代となり、一緒に戻ってきた、と言うことです。

ひばりヶ丘周辺ですと、イオン東久留米でミニ四駆のコースを設営していることがあります常設ではなく、期間限定のイベントです)。

駅前の西友は、どうもそのようなイベントスペースを(改装しても)作るつもりがなさそうな気がしますし、パルコは屋外の入口広場のイベントが中心なので、イオンだけですかね、今後もそういうイベントをしてくれそうなのは。

次いでですが、南口の西友の駐車場はどういういわくがあるのか、見るたびにわくわくします。

駅前の一等地、駐車場にしておく意味が分かりません。

北口の再開発地域でもいいのですが、イベントスペースってできないものですかねー。

それはさておき、延々とミニ四駆の話をしてきたのは、

それは、

何故ならば、

ひばりヶ丘周辺では、ミニ四駆に打ち込むべき理由があるからです。

それは、「ミニ四駆BAR」の「パロディ遊」。

ミニ四駆コースが常設されている、ミニ四駆好きのためのお店です。場所は北口、みずほ銀行の向かい、大黒屋のあるビルの2階。

BARと言いつつ、15:00から営業されていますし、18歳未満も保護者同伴で入ることができます。

ちょっとねー、ホームページ見ても店内の様子が分からないし、子供連れなら一度見学だけで行ってみたいところでしょうが、その案内もないし、本気で好きな人のためのスペースっぽいのが気になるところではありますが。

面白いお店があるのはうれしいです。

どんな場所でも、いかに早く眠れるか、を競う、入眠グランプリがあれば、全国でも上位ランカーになれる自信があります。

これが体質なのか、体調によるものなのかは分かりませんが、不眠で悩む人の気持ちは分からず、やらなきゃいけないことがあるときに、眠ってしまわないのはうらやましいな、と思って生きてきました。

とりわけ、学校のテストの前日に眠気に逆らえないことには大変苦労しておりました。

この横になるや否や眠りに落ちること(座っていても眠れるので、あまり正確ではありませんが)は気絶みたいなものなんだそうです。

SNSでそんな話が流行ったのが今年の8月、某ニュースサイトに書かれた記事が発端です。

元々は、三橋美穂さんという快眠セラピストの方のご本に書かれているようです。

疑っているわけではないのですが、本当なのかと思ってネットであれこれ見ているのですが、全然分かりません。

もう、そうだったのか!ショックだよ!!というコメントばかり見つかって嫌になります。

人間は布団に入って10分ほどして眠りに落ちるのが普通、なんていうかなりどうでもいいことに、有り余る時間をたっぷりと使ってコメントしてもその真偽さえ確認しないのが、普通の人、なのだろうと思います。

ましてや、ストレスのかかった普通ではない精神状態で口から発した発言をとがめられるというのは、私には行き過ぎのように思われるのです。

沖縄本島の北東に位置する高江という場所に、ヘリコプターの離発着所を作る工事が政府主導で行われており、反対派の抗議活動が行われています

複雑な経緯と、高度な政治判断の案件です。

この抗議活動に対応するため、警察官が動員されており、それも地域の警察だけではなく、全国から警察が動員されています。

この警察官の一人が反対派に向かって暴言を吐いた、ことがニュースになっています。

http://www.asahi.com/articles/ASJBM3VKGJBMTPOB001.html

さらに、この発言をした警察官を労わる発言(Twitterを大阪府知事の松井さんがされています。

http://www.asahi.com/articles/ASJBM7RHLJBMPTIL030.html

松井さんは、後から、暴言自体を許すことはできないが、警察官個人は立派に職務を行っていて労わられるのは当然だ、という趣旨のことを述べておられます。

私は松井さんの発言は、極めて大人な対応だと思っています。

行政の長として、職員に対する配慮に満ちているからです。

暴言を吐いた警察官の立場を考えてみてください。

経緯はどうあれ、国が決め、最高裁が認めた工事が行われている現場で、不法行為も辞さず反対する集団がいます。

不法行為を止めさせるために、大阪から沖縄に派遣されているのです。

派遣先では、反対派から様々な暴言が浴びせられます。

このような状況でも、冷静に笑顔で反対派の住民と渡り合うことを、警察官に期待しますか?

いくらなんでも他人に厳しすぎやしませんか?

さらに言えば、警察官の暴言を非難することは、沖縄の基地問題に関心を持たない大多数の人が、この問題に向き合う契機になるのでしょうか。

個人のミスを政治的に利用しようとしている、と見られるのではないでしょうか。

むしろ、過酷な環境を作り出したことを問題視することが、より基地問題を本質的に解決へと向かわせるのであれば、松井府知事の発言は歓迎すべきものではないか、とすら思われるところです。

ヘリパットの爆音が高江周辺に住んでおられる方々の平穏な生活を乱すものだ、という問題提起が、結果として多くの人を平穏とは程遠い状況に追い込んでいます。

まあ、私はそのような状況でも眠れる自信があります。

自分のことを棚に上げてなんですが、しっかり睡眠をとって冷静に発言していただきたいです。

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