こどもはじっとしていることが苦手です。
しかし、子供だけではなく、おっさん同士も、
サラリーマンのおっさん同士が、少しじっくり話をしようか、
居酒屋というのは、結構忙しい空間です、店員さんもですが、
飲んだり食べたり、話したり、たばこを吸ったり、
とにかくせわしない。
他にもおっさん同士がつるんですること、例えば麻雀であったり、
麻雀は牌をかきまぜたり、摘んだり取ったり。
ゴルフは打ったり、歩いたりビールを飲んだり。
とにかく、何もせずにゆったりと話している、
温泉に浸かっている最中でも、
手いたずらとは違うんです。
もうちょっと、何か意味のあることをしていたい、
泳ぐのを止めたマグロのように、
でね、これ、
若者(高校生とか大学生とか)
おじいさんも、手が震えていても、
女性同士なら言うまでもありませんよね。
つまり、無意味に集まって話していられる。
おじさん同士の場合だけなんです、ただ話していられないのは。
一方で、おじさんのいないおじさん(つまり単品のおじさん)は、
一人ならぼーっとしています。
また、家族連れではぼんやりしていることが多く、
なぜ、おじさんたちは群れるときに限って、そんなにも、
私は初め、職場意識が抜けないから、
職場での評価は有能か、そうではないか、です。
そして有能かどうかの評価は、その人が何かしているかどうか、
いや、成果でしょ、と思われるかもしれませんし、
職場で常に何かをしていないと居られない、がプライベートでも、
でもね、これだと説明のつかないことがあるのです。
それは、おじさんたちは仕事の、
メモをとったり、なんていうことすらしない。
ただただ、ぼーっと座っている。
職場での評価はどうなった、って話です。
もちろん、会議でおじさんたちがただ座っていることには、
おじさんたちは、会議の無意味さを知っています。
あるいは、会議が無意味であると共通に認識されていること、
そのため、無意味な会議よりやることがある自分は、
元の疑問に戻って、おじさん集団は何故、ただ話しているだけ、
太古の昔、男性は戦闘要員であったため、
私の仮説はそうではありません。
私が思うに、おっさん同士集まることが、楽しくないのです。
楽しくないから、集まること、話すこと、
自分の生きている世界を変えるためには、会う人を変えなさい、
その話を信じて、異業種交流会に参加する人もいます。
でも、それで知り合いが増えた、人脈が豊かになった、
なぜそうなってしまうのか、それは知り合うこと、
なので、私は知らない人同士が、一緒に楽しめる、
それも、技術を必要としない一方、
意味のある何か(勝負事)の合間に話をする、
できれば、麻雀よりも多人数でできるゲーム、
トランプ、
大統領選を眺めながら、そんなことを思っていました。