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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
私は今まで、年末だから忙しいと思ったことがありません。
年賀状を書いたり、帰省の準備をしたり、忘年会に出たり、年内に片づけておくべき
仕事をやっつけたり、してはいるのですが、少し特殊なことをしているだけで、忙し
さレベルは通常進行、のような気がしているのです。
そのため、年末だから忙しいと他人から言われると、挨拶みたいなものなんだな、と
思ってしまいます。
ただ、お店によっては年末になると客が多く、対応してもらうのに時間がかかること
があり、そこで年末を感じることになったりします。

年末になると込み合うスポットの一つが郵便局です。
住宅地にいる分には普段通りなのですが、オフィス街の郵便局は年末、大変込み合い
ます。
私自身、遠方の親戚の子供にお年玉を送ったり、クリスマスカードを送ったり、足繁
くは言いすぎですが、足を運ぶことが多くなります。
昨年からは、ふるさと納税の特例処理のために書類を送る必要があり、それで郵便局
に更に頻繁に足を運ぶことになっています。

年末の郵便局は混み合います。
大事なことなので、もう一回、言ってみました。
郵便局が普段より人出を増やして対応に当たられているのは見ていて分かるのです
が、一方で年賀はがきの呼び込みをしていて、その人員も混雑の対応に回してくれな
いかなー、と思うところです。

今どき、切手はコンビニでも買うことができます。
ひばりの駅前の西友でも売っていたのではなかったかな、改装後はわかりませんが。
どこでも買えるものをわざわざ郵便局に買いに行くのは、何となく不安だから、じゃ
ないでしょうか。
後から切手が足りないと言われて戻ってきてしまったらめんどくさい、という不安。

そうだとすると、手紙を入れれば、切手が買えて、そのまま郵送してくれるような機
械があれば、人員不足への対応となりそうです。
自動販売機の切手版、です。
海外郵送、速達など、通常外の条件についてはパネルで指示することになるでしょ
う。
指定の切手を指定の場所に職員さんに手作業で貼ってほしい、なんて依頼もできると
(別料金をとっても構わないので)より良いような気がします。

郵便の機械化については、そもそも手書きで宛名を書くところが何とかなるのではな
いか、と思います。
究極的には、送りたいモノの写真を撮って、情報(送り先や、情報の開示先等)を追
加した後、モノをコンビニ等に持っていく。
集配業者(ヤマト運輸さんとか)は荷物の写真を撮るとAIが送り主の情報とマッチン
グしてくれて配送先を把握。
代金の支払いはオンラインで行われる。
受取人もモノの写真を撮ると誰から送られてきたのかの情報を取得できる。
で、いちいち写真撮るのはめんどくさいよ、というニーズに応えるためにメガネのよ
うなもので自動的に写真を撮る。

画像認識技術が、モノと情報を一対一で間違いなくつなげるようになるまでは、バー
コードを貼っておく、ような対応が考えられます。
正直、宅配便だったら、送るモノの中に、情報を埋め込んだカードを入れてあげるだ
けでも十分な気がするのですが。
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友達と会う予定が急に中止になった、とか、自分は元気なのに学級閉鎖で休みになっ
た、とか、そんな場面を想像してほしい。
時間がぽっかりと(例えば丸一日)、空いた時に何をしたいか。

溜まっている用事を片づける、とか。
普段は忙しくできない事柄にじっくり取り組んでみる、とか。
ボーっとして過ごす、とか。

私はできることなら、美術館に行きたいと思う。
と言うと、美術やアートに興味があるんですねと返される。
知らない人が相手だと、まあそういうイメージを持ってもらっていいか、と思って、
笑ってごまかすのだが、正直、展示してあるものにほとんど関心がない。

絶望的に絵が下手なので、自分で描くことは落書きですら、まずありえないし、絵の
具をぬったことは中学校卒業以来、一度もない。
画家の名前だって、ピカソなら知ってるぜ♪と胸を張る程度である(逆に他の画家な
んかまったく知らない)。
どんな絵を見ても、その絵にどんな価値があるのか、さっぱり分からない。
アートなんて自分の好きなものを、好きなように見ればいいんだよ、という意見もあ
るが、そもそも「好きなもの」と言われても、と思う。

では、そんな私が美術館に赴く理由は何か。

美術館に到着して、最初にすることは、どんな人が来ているのか、周りをよく見てみ
ることだ。
圧倒的に、年配の方、それも女性が多い。
単独で来館する人は少なく、数人連れ立って、が多い。
この人たちはどんな繋がりなんだろう、普段の生活の中で絵を見たり、描いたり、語
り合ったりするのだろうか、そんなことを想像する。

実際に絵画を見始めると、年代や背景の説明にざっと目を通す。
その時代、誰が、どんな時に、この絵を眺めていたのだろうか。
やはり書いている画家にはあまり関心がない。
テレビもインターネットもない時代(が人類の歴史のほとんどであり)この絵はどの
ように楽しまれたのだろうか。
そんな、描かれた後の利用されている場面を想像する。
まあ、想像というほど細部が分からないので、頭の片隅に置きながら、見ていく。

美術館は静かな時間が流れており、他人がいることを意識から消すことができる。
絵に集中できる環境とも言えるが、思考が制約なく広がっていくことを実感できる。
言い換えると、あれやこれやと余計なことを考え始める。

その余計なこと、その中身こそが、今の自分にとって一番大事な問題、なのである。
つまり、自分が抱えている、一番の(と自分で思っている)問題を炙り出せること、
それが私が美術館に足を向ける意味である。

そんな過ごし方をした一日は、記憶に残らない。
どんな絵を見たのかも覚えていないし(一生懸命見たところで覚えているわけではな
いが)、そんな一日があったことすら、記憶から漏れてしまう。
ぼっかりと空いた一日は、こうしてぽっかりと空いたまま、消費されることになる。
これを無駄な一日だと思うかどうかは人によるのだろうが、空虚な一日であることは
間違いない。

同じようなことは、クラシックのコンサートに行っても体験することができる。
私にはクラシックの良さも分からないが、考え事をするにはぴったりな場所であるよ
うに思える。
クラシックの問題は、途中で席を立てないことと、座っているので寝てしまう危険性
が高いことである。
そのため、立ち席で出入り自由なクラシックコンサートが開催されれば、私のような
ファン(?)のニーズには合致している。

ところで、目下、私の関心は、どうやって美術館に行く時間を作るか。
忙しくていけないのではなく、忙しくなくて、毎日行けてしまいそうなのである。
これではぼっかりと空いた一日ではなく、美術館に行くには適さなそうなのだ。

そんなわけで、美術館に行くより空虚な毎日を過ごしているような気がしないだろ
か。
そうさ、あんた、間違いないさ。

今、パーティと言えばずんだ餅である。

2016年の真田丸にはまった私はストレートにそう思うが、きっと23年後になってみると、自分でもずんだ餅?になっていそうな気がする。

同様に2015年にはパーティと言えば、赤ソニア入れんのか、ラーが最強なのかって感じだったが、今既に、ナンダそれ?となりつつあるし。

 

そのパーティであるが、多くの日本人には違和感のある言葉であろう。

リア充のための、笑顔があふれる桃源郷。

私も正直そう思っている。

そして、自分には関係のないものだとも思っている。

 

まあ考えてみれば、忘年会だって、新年に親戚一同集まるのだって、パーティと言えば、パーティだ。

人が集まる、楽しい集い、それがパーティの意味なのだから。

銭湯でコーヒー牛乳片手に政治談議に花を咲かせるのもパーティ。

戦闘態勢でママ友同士、ファミレスで子供自慢を炸裂させるのもパーティ。

先頭に立つものが、パーティと呼べば、その集まりはパーティとなる。

 

Googleでパーティを検索すると、結婚披露宴や2次会をパーティと呼ぶことが多いようだ。

そして、次に多く検索結果として引っかかるのが、婚活パーティである。

パーティという言葉が奥ゆかしく使われている現状が伺え、興味深いものがある。

 

さて、昨日は、業界団体の忘年会があった。

元々は社長が出席する予定であったが、多忙につき、代理出席を命じられたのである。

社長から依頼されるくらい偉いのか、と誤解されたくないのだが、上司が命を受け、スルーされ、回ってきただけの話である。

 

この忘年会、業界団体各社の社長さんが集まる会である。

当然のことながら、知り合いは誰もいない。

更にややこしいことに、私の勤め先は、ひょんな縁があって名を連ねているものの、同業ではない。

という状況の忘年会、困ったことに立食パーティなのである。

 

立食パーティで独りぼっちをかこうことの辛さは改めて申し上げるまでもないだろう。

とにかく身の置き所に困ってしまう。

文字通り、どこに立っていていいものやら、すら分からないのだ。

 

困った私はとりあえず、ネットで情報を探し求めた。

独りぼっち、パーティ、教えてGoogleである。いや、助けて、なんだけど。

 

一番最初に見つかったのは、誰もお前のことなんて気にしていないから、という当然の指摘である。

まあそうだ、その通りだ。だって、誰も知り合いじゃないんだから。

ただ、理屈面はそれでいいのかもしれないが、それで置き所問題が解決するわけではない。結局、どこにいたらいいのか、は分からないままなのだから。

 

次の解決策は、食べれるだけ、食べろ!である。

食べている間は、食べるという役割を果たしていることになる。

それこそがお前の身の置き所である、という理屈だ。

これは分かりやすい。社会性動物たる私たち人間は役割があることで、精神を安定させることができる。

ところが、この解決策には一つ、とんでもないハードルがあり、私は胃腸炎で何も食べることができなかったのだ。

いや、食べられることは食べられるのだが、食べた直後にお腹が痛くなりトイレにこもるはめになる。

だったら初めからトイレにいればいいじゃん、もっと言えば、そもそも出席しなければいいじゃん、という話で解決にはならないのだ。

 

で、三つ目の解決策は、同じく会場にいる独りぼっちさんに話しかけてみろ、である。

結論としては、これを実践し、無事に乗り切ることができた。

 

独りぼっちさんを確保することの難点はいくつかあるが、まず、声を掛けるハードルが高い。

私は個人的にここはあまり苦労しないのだが、まあ勇気を持って突撃してみるよりほかはない。

次のハードルは、一度話しかけたはいいものの、下手するとパーティの間ずっとその人と話していなくてはならず、間が持たなくなる、ということではないだろうか。

この点、昨日のパーティでは、出席者全体の年齢層よりも私が極端に若く、話しかけた相手も同世代だったこと、から、相当に奇異の目で見られたことが有利に働いた。

ドいうことかというと、二人で話していることで、偏屈で話の通じない人間ではないことの証明がなされたのか、多くの人が次々と話しかけてくれる、という幸運に恵まれたのである。

 

今回は無事に逃げ切れたものの、じゃあもうパーティはばっちりだよね♪と言われるとそんなことはない。

行きたくない気持ちにいささかの揺らぎもない。

思うに、日本人には、知らない人の混じる立食パーティが向いていないのではないか。

にもかかわらず立食パーティがなくならないのは、主催者側にとって、用意が楽、というのが要因ではなかろうか。

だって、席の数を確保するとか、飲食物をサーブするとか、その辺の手間が一気に解決するわけだから。

 

仕事の団体では、しばしば、「日本」というキーワードが強調され、非常に奇異に思うことがある。

日本発のなんちゃら、とか、日本の産業をうんちゃら、とか。

なんだこの普段、友人と話していても全然耳にすることのない愛国精神が突然発揮されるのか、というびっくりである。

マスコミの報道がそうであるように、ビジネスの場でも、建前としてはそれが必要なのかもしれないし、日本国内で話している以上、大半のビジネスはマザーマーケットで戦う上で、日本を意識する機会が多いのかもしれないが。

そんだけ気にするなら、まずは日本人には合わない立食パーティを止めなよ、と帰り道々、誰にともなく八つ当たっていた。

そして、来年になったら自分の発言の意味が分からないのだろうなと思いながらも、日本を意識するなら、カナッペじゃなくて、ずんだ餅を置こうよ、とも思った。

子供が、なんだかお腹が気持ち悪いと言い始め、食欲は落ちるし、ウンチは出ないし、病院に行ってもまあまあって言われるし、様子を見ていたらある夜、突然吐き戻した。

しかも、一晩に五、六回。

吐くとすっきりするのだろう、普段なら夜中に起きると不機嫌だったり、喚いたりするところ、笑顔で着替え(吐き出したもので服が汚れてしまうので)もさせてくれる。

脱水が心配だからと買い置いてあったポカリスエットを与えると、美味しさに感激している。

 

両親が汚れ物の選択にてんやわんやとなっているせいもあり、食欲がないだろうという配慮もあり、食事にゼリーを与えれば喜んで食べてはお代わりをねだり、病院で処方された薬は甘いのだろう、お代わりをねだる。

結果的に普段より食べているのではないか、少なくともカロリー摂取で勝っているのではないか、と心配される。

吐き気は一晩で治まり、便も水から柔らかくなるまで丸一日、本人の食欲、肉やら揚げ物を食べたいやらがすっかり戻って安心した。

病院でも診察された通り、ウイルスが原因の胃腸炎だったのであろう、無事に沈下したことにホッとしていた。

その矢先である、父親が発症したのは。

 

子供の病気も面倒だが、大人の病気も面倒である。

子供の場合には、何が悪いのか、どう気持ち悪いのか、本人に説明ができずやきもきするとか、体調が不良なせいで起こるあれやこれや(吐いたものの着いた洋服の洗濯なども含め)を全て親がやらねばならないという大変さがある。

これに対して、大人の場合には、自分の身の回りのことはすべて自分でできる一方で、感染力が強く、せっかく治った子供へまだ病気をうつしてしまう心配がある。また、自分の症状を説明できる点では素晴らしいのだが、説明する必要のない愚痴や弱音まで口にすることがうっとおしい。

 

で、まあ子供と同じく、数回吐いて、その後数日は下痢に悩んでいた。

体調が戻るまでの間、固形物が食べられず、大好きなカフェインを摂取することもできず、健康的な生活が維持されたというべきであろう。

数日、水だけで過ごすことで、腸内にほとんど何も残っていないことを実感することができ、それはそれで健康になった幻想に一役買う。

 

体調を崩しているととくにやることもなく、物思いにふけっている時間が長くなるが、ふと思い出したのは、今年の頭にも、同じように体調を崩して、モノが食べられなくなっていたことだった。

あれは酒の飲みすぎが原因だったのだろうか、数日、水だけで過ごしたことだけを覚えている。

そして、その際、腸内環境を整えるためには必要なのだ、と母親(妻)から説得され父親(夫)は毎朝のヨーグルト摂取を習慣として強要され、今日に至っている。

この習慣は、出てきたものを食べるだけ、だったため父親の生活習慣に非常に組み込みやすく、母親が元々食していたヨーグルトを一部分け与えるだけ、だったため母親に用意の手間もかからず、お互いに好評を博している。

一方で、ビオフェルミンを飲んだ方が、それも習慣として飲み続けた方が良いのではないか、という提案も母親からなされ、これも父親は異論なく受け入れたのであるが、飲んでいる最中にもたびたび下痢に襲われたこと(父親は年中下痢にモテ期なのである)、誰が購入し、父親に提供するのか、が不明確だったことから、いつの間にか沙汰やみとなっている。

 

そういう、過去の経緯をたどるためにも、毎日日記を記すことは重要なのではないか、と思う。

他人の秘密を盗み見る機会が、人生には何度かあるはずだ。

 

ちっちゃなところでは、、、

両親が不在だというので、彼女の部屋に初めて招かれ、彼女が台所(1階)でお茶を入れてくると降りて行った際、部屋(2階)に取り残されて、目の前にはタンスがあるとか。

 

ビックなところでは、、、

部長が不在だというので、人事部の同期から、隔離されている人事部の部屋に招かれ、彼が飲み物でもとってくるよ、と出て行った際、目の前にはキャビネットがあるとか。

 

最近だと、Twitteの裏アカウントを見つけてしまう、なんていうのもあるだろう。

もっとありそうなのは、他人のスマホを手に入れてしまう、だろうか。

 

私の経験則上、他人が秘密にしている情報を見て、楽しい気持ちになることはほとんどない。

見なければよかった、と後悔することが大半である。

相手が自分の好きな人、興味がある人でも、関心のない人でも同じである。

 

何故か。

理由の一つは罪悪感である。ちっちゃい人間なので。

ちっちゃいけど、彼女の部屋のタンスは開けていない、というかそもそも、そんなシチュエーションに立ち会ったことすらない。

そして、理由のもう一つは、秘密を守れない、どこかで誰かに話してしまいそうだから、である。ビックマウスではないが、つい、話してしまうことを止める自信がない。ちなみに人事部に同期はいないし、招かれるってなんだろな。それと、ビックマックは、ビックマック男爵が作ったものではない(M1を見ている人にしか通じない)。

 

 

現代は、自分で意図したわけではないのに他人の秘密をのぞき見してしまう、というか、させられてしまう時代である。

その理由はメールである。

間違いメールの存在である。

 

メールの宛先を間違えただけで、世の中にどれだけの悲劇が、喜劇が生じたことか。

私たち現代を生きる者たちは、狩猟から農耕へと舵を切り、厳しい自然界を生き抜いてきた数千年に先祖様が経験したことのないような体験を数多くしているのだ。

 

恋人にしか見せるつもりのない甘えたメールを職場の全員にばらまいてしまったり。

妻にしか見せるつもりのない謝罪のメールを職場の全員にばらまいてしまったり。

同好の士にしか見せるつもりのない本能むき出しのメールを職場の全員にばらまいてしまったり。

 

見られることの辛さについては散々世の中に流布しているものの、見る側の辛さについては、これまであまり意識されてこなかったように思う。

しかし、見る側は見せられる側であって、それはそれで辛いのである。

間違っても、間違いメールを読まずに削除しただろうな?読んでないよな?という目で私を見るのはやめてほしいと思う。

 

こめかみが動いてる?

そりゃあ、あなたが面白いメールを送りつけてくるから。。。

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