今、パーティと言えばずんだ餅である。
2016年の真田丸にはまった私はストレートにそう思うが、
同様に2015年にはパーティと言えば、赤ソニア入れんのか、
そのパーティであるが、
リア充のための、笑顔があふれる桃源郷。
私も正直そう思っている。
そして、自分には関係のないものだとも思っている。
まあ考えてみれば、忘年会だって、
人が集まる、楽しい集い、それがパーティの意味なのだから。
銭湯でコーヒー牛乳片手に政治談議に花を咲かせるのもパーティ。
戦闘態勢でママ友同士、
先頭に立つものが、パーティと呼べば、
Googleでパーティを検索すると、結婚披露宴や2次会をパー
そして、次に多く検索結果として引っかかるのが、
パーティという言葉が奥ゆかしく使われている現状が伺え、
さて、昨日は、業界団体の忘年会があった。
元々は社長が出席する予定であったが、多忙につき、
社長から依頼されるくらい偉いのか、と誤解されたくないのだが、
この忘年会、業界団体各社の社長さんが集まる会である。
当然のことながら、知り合いは誰もいない。
更にややこしいことに、私の勤め先は、
という状況の忘年会、困ったことに立食パーティなのである。
立食パーティで独りぼっちをかこうことの辛さは改めて申し上げる
とにかく身の置き所に困ってしまう。
文字通り、どこに立っていていいものやら、すら分からないのだ。
困った私はとりあえず、ネットで情報を探し求めた。
独りぼっち、パーティ、教えてGoogleである。いや、
一番最初に見つかったのは、
まあそうだ、その通りだ。だって、
ただ、理屈面はそれでいいのかもしれないが、
次の解決策は、食べれるだけ、食べろ!である。
食べている間は、食べるという役割を果たしていることになる。
それこそがお前の身の置き所である、という理屈だ。
これは分かりやすい。
ところが、この解決策には一つ、とんでもないハードルがあり、
いや、食べられることは食べられるのだが、
だったら初めからトイレにいればいいじゃん、もっと言えば、
で、三つ目の解決策は、
結論としては、これを実践し、無事に乗り切ることができた。
独りぼっちさんを確保することの難点はいくつかあるが、まず、
私は個人的にここはあまり苦労しないのだが、
次のハードルは、一度話しかけたはいいものの、
この点、昨日のパーティでは、
ドいうことかというと、二人で話していることで、
今回は無事に逃げ切れたものの、
行きたくない気持ちにいささかの揺らぎもない。
思うに、日本人には、
にもかかわらず立食パーティがなくならないのは、
だって、席の数を確保するとか、飲食物をサーブするとか、
仕事の団体では、しばしば、「日本」
日本発のなんちゃら、とか、日本の産業をうんちゃら、とか。
なんだこの普段、
マスコミの報道がそうであるように、ビジネスの場でも、
そんだけ気にするなら、
そして、