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人間国宝に指定される人っているじゃないですか。
画家とか舞踏家なんて芸術方面の人が多いイメージがありますが。
この西東京市版、つまり人間市宝!って作れないものですかね、というお話です。
西東京市にはすばらしい自然、一見の価値ある建造物、絶品のグルメ、などなど、市外から人をひきつけるコンテンツがいくつもあります。
そのコンテンツの一つに、一見の価値がある人、があると思うんです。
人を売り物にするのって、その人が売り物にされること望んでいるのであればなんの問題もないのです。
例えば、ご当地アイドルとかね、会いに来て握手の一つもできればヒャッホーという相手もいますよね。
これ、ひばり駅前の西友の受付のお姉さんが美人だ、とかでも、成り立ったりしそうです。
ここみたいな個人ブログで、本人が宣伝されるのを望んでいるかどうかの判断って、どこかのメディア(地元紙も含めて)に掲載されていてくれればともかく、そうでないと勝手に書いていいものやら、というところがあります。
なので、以下、知っている人だけにしか伝わらない、市外から人を呼ぼう、とはまったく結びつかない人の話をさせてください。
とある団地に囲まれたお店の駐車場の警備員さん?案内員さん?なんと呼んでよいのだか分かりませんが、車の案内をしてくれている男性の動きがとんでもなくすばらしいのです。
もうYoutubeにでも動画をアップしようものなら、世界中から賞賛されるレベル。
周りを歩いている人もほとんどなく、車で移動する一瞬にしか目にできないのが残念で仕方がないのですが、そのしなやかな動き、ストーリーを感じさせる所作、車の中の人へのあふれんばかりの心遣い、一級品とかこのことか、と思います。もう、逆に見とれて運転誤ってぶつかっちゃってもしらないよ、と。
でも何よりすばらしいのは、この誰から評価されているんだか分からない動き、しかも出る杭の打たれる日本(西東京市も当然その一部なのですが)において逆の評価すらされかねない動きを、を何のメリットがあるのだか分からないのに、ずっとし続けている、ということです。
ぜひ、一度、その目でご覧になって、この気持ちを実際に体験していただきたいです。
って場所も書かずにあれですが。
物心のついた時期はあいまい。一番古い記憶は二人目の弟が生まれたと連絡をもらい、病院にいく途中の車の中。雨が降っていたこと、ワイパーが動いていたこと、隣に祖母が座っていたことを覚えている。
小学校に入学するまでの幼少期は取り立てていうことのない生活だった。このよく目にする記述の意味するところが私にはとても納得できる。
都心から2時間程度の田舎に住み、なんでもほどほどできた。
家族も平凡、という言葉以外に思いつかない。父親は厳しく家におらず、母親は優しく厳しく、弟二人とはよく遊びよく喧嘩していた。友達の影響で野球が好きだった。どっちかというと好きなものだと思っていた。好きだ、というのはこういう感覚なんだなと思っていた。サッカーをしていたが、よその学校の友達もいたし、途中で転校したもののあまり苦労した覚えもなく、ほどほど社交的だったのだろう。
中学校に入り、自意識過剰となる。陸上部で長距離を走り、勉強はほどほどにできた。
知らない人と話すのはなんの苦もなかった。中学校でも転校した。卒業間際に手紙をくれた女の子とは大学生になるまで文通していた。その文通、便箋を買うのに毎回悩みに悩んでいた。
高校も都心から1時間くらいの田舎にあった。男子校だったので、ほどほど友達はいたが、女性との接点は皆無。このころから本をよく読むようになった。小説を書きたいと思ったこともあって、ワープロを買ってもらったことはよく覚えている。
自分の人生を語る上で欠かせないのかどうか、欠かしたくないと思える女性アーティストに出会ったのもこの時期だった。彼女の「なんとなく空気や光や音を感じていれば幸せ」に共感できた。友達がいなかったことの裏返しだったのだろうと今にして思えば思える。
大学に入って、文科系のサークルに入り、彼女もできた。彼女が二人目の自分の人生に欠かせない登場人物だと思う。同じサークルで知り合ったのだが、父親を亡くし、勉強に打ち込む、わがままという言葉を体現するかのように生きる彼女は、どんなによく言ってもぱっとしない女の子だったが、私には女神のように思えた。
彼女が大学院に進むというので、私も(専攻がまったく違ったのだが)大学院に行くことにした。これが、大失敗だった。研究に一切価値も興味も感じない私は、何をしていいのか、毎日考えていた。考えようとして寝ていた。結局、なすすべもなくなり、就職することにした。
ここから、自分のやってきたことは、どうして自分でそんなことをしたのか、何が重要なのか、まだ整理できていない。就職先では仕事にも、周りの人にも恵まれていたし、転職した先が半年で倒産したときも次の転職先がすっきりと見つかったし、自分の専門がなにかいまだわからぬまま雑用係のようなことをしているが、それなりにいないと困ると思ってもらっているように思っている。今の職場で、結婚もした。
私にとって、次の時代の扉を開くとしよう。
まだ何も見つけられていないけど、それはこれまでだって一緒だった。
あきらめるのはいつでもできる。
まだまだもがき続けてみようと思う。
個人的には、議会での議論について、もう少しお気持ちというか、お考えを伺って(読ませて)いただきたいなあ、と思ったりもします。
タイトル、何故か大食と聞くと、このフレーズが出てくるんですよねえ。
昔どこかで見たもののパクリなのかもしれません。
西東京市周辺の、という周辺の範囲をどこまでと捉えるべきか、という問題はあるものの、周辺の大盛り店を紹介するにあたり、欠くことのできない一店が、お隣の新座市にある「くに一」さんです。こちら、うどん屋さんです。武蔵野うどん、という分類になるのかなあ、うどんの分類には詳しくないので間違っていれば忘れてください(自分は何に詳しいんだ?という疑問はさておき)
もう、行ってみてください、としか言い様がないのですが、お皿に山盛りで出てきます。
大、中、小、少々、とメニューがあるのですが、よっぽどのツワモノでなければ「小」に挑戦する!ことになるものと思います。
上司が、このお店を知らない若い部下を連れてきて、君も若いからまだまだ食べるだろう、なんて言いながらびっくりする顔を楽しみにする、というシチュエーションにもぴったり。
てんぷらが冷てぃ!とか、駐車場が入りにくい!とか、細かいことは、大量のうどんを前に吹き飛ぶでしょう。というか、吹き飛ばしてください。
多くの人に、ぜひ一度はご賞味いただきたいなあ、と思う所存でございまする。