東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
東北の大きめの都市の病院で生まれる。もちろん記憶ではなく知識。
物心のついた時期はあいまい。一番古い記憶は二人目の弟が生まれたと連絡をもらい、病院にいく途中の車の中。雨が降っていたこと、ワイパーが動いていたこと、隣に祖母が座っていたことを覚えている。
小学校に入学するまでの幼少期は取り立てていうことのない生活だった。このよく目にする記述の意味するところが私にはとても納得できる。
都心から2時間程度の田舎に住み、なんでもほどほどできた。
家族も平凡、という言葉以外に思いつかない。父親は厳しく家におらず、母親は優しく厳しく、弟二人とはよく遊びよく喧嘩していた。友達の影響で野球が好きだった。どっちかというと好きなものだと思っていた。好きだ、というのはこういう感覚なんだなと思っていた。サッカーをしていたが、よその学校の友達もいたし、途中で転校したもののあまり苦労した覚えもなく、ほどほど社交的だったのだろう。
中学校に入り、自意識過剰となる。陸上部で長距離を走り、勉強はほどほどにできた。
知らない人と話すのはなんの苦もなかった。中学校でも転校した。卒業間際に手紙をくれた女の子とは大学生になるまで文通していた。その文通、便箋を買うのに毎回悩みに悩んでいた。
高校も都心から1時間くらいの田舎にあった。男子校だったので、ほどほど友達はいたが、女性との接点は皆無。このころから本をよく読むようになった。小説を書きたいと思ったこともあって、ワープロを買ってもらったことはよく覚えている。
自分の人生を語る上で欠かせないのかどうか、欠かしたくないと思える女性アーティストに出会ったのもこの時期だった。彼女の「なんとなく空気や光や音を感じていれば幸せ」に共感できた。友達がいなかったことの裏返しだったのだろうと今にして思えば思える。
大学に入って、文科系のサークルに入り、彼女もできた。彼女が二人目の自分の人生に欠かせない登場人物だと思う。同じサークルで知り合ったのだが、父親を亡くし、勉強に打ち込む、わがままという言葉を体現するかのように生きる彼女は、どんなによく言ってもぱっとしない女の子だったが、私には女神のように思えた。
彼女が大学院に進むというので、私も(専攻がまったく違ったのだが)大学院に行くことにした。これが、大失敗だった。研究に一切価値も興味も感じない私は、何をしていいのか、毎日考えていた。考えようとして寝ていた。結局、なすすべもなくなり、就職することにした。
ここから、自分のやってきたことは、どうして自分でそんなことをしたのか、何が重要なのか、まだ整理できていない。就職先では仕事にも、周りの人にも恵まれていたし、転職した先が半年で倒産したときも次の転職先がすっきりと見つかったし、自分の専門がなにかいまだわからぬまま雑用係のようなことをしているが、それなりにいないと困ると思ってもらっているように思っている。今の職場で、結婚もした。
私にとって、次の時代の扉を開くとしよう。
まだ何も見つけられていないけど、それはこれまでだって一緒だった。
あきらめるのはいつでもできる。
まだまだもがき続けてみようと思う。
物心のついた時期はあいまい。一番古い記憶は二人目の弟が生まれたと連絡をもらい、病院にいく途中の車の中。雨が降っていたこと、ワイパーが動いていたこと、隣に祖母が座っていたことを覚えている。
小学校に入学するまでの幼少期は取り立てていうことのない生活だった。このよく目にする記述の意味するところが私にはとても納得できる。
都心から2時間程度の田舎に住み、なんでもほどほどできた。
家族も平凡、という言葉以外に思いつかない。父親は厳しく家におらず、母親は優しく厳しく、弟二人とはよく遊びよく喧嘩していた。友達の影響で野球が好きだった。どっちかというと好きなものだと思っていた。好きだ、というのはこういう感覚なんだなと思っていた。サッカーをしていたが、よその学校の友達もいたし、途中で転校したもののあまり苦労した覚えもなく、ほどほど社交的だったのだろう。
中学校に入り、自意識過剰となる。陸上部で長距離を走り、勉強はほどほどにできた。
知らない人と話すのはなんの苦もなかった。中学校でも転校した。卒業間際に手紙をくれた女の子とは大学生になるまで文通していた。その文通、便箋を買うのに毎回悩みに悩んでいた。
高校も都心から1時間くらいの田舎にあった。男子校だったので、ほどほど友達はいたが、女性との接点は皆無。このころから本をよく読むようになった。小説を書きたいと思ったこともあって、ワープロを買ってもらったことはよく覚えている。
自分の人生を語る上で欠かせないのかどうか、欠かしたくないと思える女性アーティストに出会ったのもこの時期だった。彼女の「なんとなく空気や光や音を感じていれば幸せ」に共感できた。友達がいなかったことの裏返しだったのだろうと今にして思えば思える。
大学に入って、文科系のサークルに入り、彼女もできた。彼女が二人目の自分の人生に欠かせない登場人物だと思う。同じサークルで知り合ったのだが、父親を亡くし、勉強に打ち込む、わがままという言葉を体現するかのように生きる彼女は、どんなによく言ってもぱっとしない女の子だったが、私には女神のように思えた。
彼女が大学院に進むというので、私も(専攻がまったく違ったのだが)大学院に行くことにした。これが、大失敗だった。研究に一切価値も興味も感じない私は、何をしていいのか、毎日考えていた。考えようとして寝ていた。結局、なすすべもなくなり、就職することにした。
ここから、自分のやってきたことは、どうして自分でそんなことをしたのか、何が重要なのか、まだ整理できていない。就職先では仕事にも、周りの人にも恵まれていたし、転職した先が半年で倒産したときも次の転職先がすっきりと見つかったし、自分の専門がなにかいまだわからぬまま雑用係のようなことをしているが、それなりにいないと困ると思ってもらっているように思っている。今の職場で、結婚もした。
私にとって、次の時代の扉を開くとしよう。
まだ何も見つけられていないけど、それはこれまでだって一緒だった。
あきらめるのはいつでもできる。
まだまだもがき続けてみようと思う。
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