コミュニケーション能力を向上させる方法は二つあります。
一つは、言うべきことを、言うこと。
そしてもう一つは、言うべきではないことを、言わないこと。
コミュニケーションに悩んでいる人に対していろいろなソリューシ
本屋に行くと、たくさんの本が並んでいます。
Googleで検索しても、たくさんのページがヒットします。
その中には、相手に好かれる話し方とか、
しかし、体系立てて考えてみると、全ての話が、
物事の基本となるのは何か?を考える際には、
何も知らない人とは、多くの場合、子供が一番適しています。
子供に対して、最初に教えるのは基本の二つのうち、
初めは痛かったら教えて、お腹が空いたら教えて、
言葉が話せるようになると、
さらに、挨拶しよう、お礼を言おう、と続きます。
言うべきではないことを言わないことは、
初めは、何であれ話してはいけない場所を教え、次第に、
言うこと/言わないこと、いずれも子供の学習が進むにつれて、
子供の学習が進む、というのはTPOによって変わります。
子供同士の話であれば、幼稚園に入る、という段階の話ですし、
ここで指摘したいことは、しなければならない、
この変化は、何かを学んだから生じるわけではなく、
なぜ、広がった世界では、しなければならないがないのか、
さて、子供たちは大人になる前に、この言うこと/言わないこと、
しかも2回。
2転するのです。
1回目、それは、表現の自由、を学んだときです。
何故なら表現の自由とは、言ってはいけないことなどない、
では、
それは他者にとって都合がいい、あるいは、自分の評判を作り、
そしてさらにもう1回。
こちらは就職したときです。
就職するということは雇用契約を会社と結ぶことです。
そして、表現の自由は、契約によって制限されることを学びます。
パワハラ、セクハラは、解雇事由になるということで支えられ、
言ってはいけないこと、が復活するわけです。
表現の自由、について考える際に、問題を複雑にしているのが、
一方で、
そんなことを言うべきではない、
その中には、相当程度の人が同意するであろう事柄もあります。
しかし、また一方で、
埼玉県警が漫画家に異例申し入れ 強制わいせつ容疑の男「漫画の手口を真似した」と供述で
http://www.huffingtonpost.jp/
私は、表現の自由の名の元に、表現に規制をかけない、
ヘイトスピーチを初め、
また、医事法を初めとした広告規制も既に存在しています。
自民党の憲法改正草案では、表現の自由には手をつけず、
https://jimin.ncss.nifty.com/
しかし、私は現状と整合が取れていないことから、
都議会議員選挙が近づく中、我らがひばりヶ丘にも、
当日は、晴天とは程遠いくもり空。
ひばりヶ丘南口は、パルコの前を中心にして、
駅前の再開発がまだ途中とはいえ進んでいて本当に良かった、
小池都知事は予定の10時半になっても現れず、
また演説カーを取り囲むSPの皆様の緊張感あふれる顔が印象的で
まず到着されたのが、都民ファーストの会の公認候補である桐山ひ
颯爽と演説カーへ乗り込む姿、よく通る声、
演説の中身は、恨みつらみというか、なんというか。
桐山議員の演説中に登場されたのが小池都知事。
事前の場繋ぎで、緑のコスチュームに身を包んで登場します!
ちなみに移動車も緑じゃない、白のエスティマでしたね。
小池さんの演説は、聞いている人に語りかけるような、
都政での実績のアピール、
桐山議員の紹介については、
西東京市発、東京でくまなくしゃきしゃき体操が踊られ、
注目を集める都議会議員選挙、
同日の夕方、山田都議が同じ場所で演説されていましたが、
西東京市の選挙区では、桐山市議、山田都議に加えて、
民進党の選対委員長でありながら離脱され、無所属(
共産党の若手で、
自民党の山田都議って、ひばりヶ丘駅周辺では、
今回は楽勝と踏んでおられるのか、自由人なのか、
いずれにせよ、予断を許さない、
年が改まって半年弱、年度が変わって2か月。微妙な時期である。
微妙な時期に1年の見直しをしている理由は私が5月生まれである
長女は1月生まれ、長男は4月生まれであるから、同じように、
親として、子供にいいことを一つしたことに気づいて、
さて、タイミングはどうあれ、過去を振り返る際、
というのも、
年末になるとテレビで、今年の出来事を振り返る番組、
かつて日記を書いていた時期があったが、
ブログを書いていればブログも、
Twitter等、文章であれば、
また、仕事の場合には、作成したファイルなどの成果物、
メールも、眺めていると周辺情報が思い出せたりすることが多い。
ここ数年は写真を撮ることが増えたが、
いずれにしても情報が分散している。
そして情報は、目を通すには多すぎる。
自分がやったことの記録をライフログと呼んだりする。
ライフログというのは、文章や写真に限られない。
全ての記録がライフログに該当する。
今年、強く影響を受けた本の一つに「データの見えざる手」
この本に書かれていたのか、矢野さんの講演会で聞いたのだか、
矢野さんは左手が動いたかどうか、を測定する機器を取り付け、
当然のことだが、寝ている間、通勤中、
平日、朝起きて会社に行き、仕事をして帰る、
データが乱れるのはそれなりに要因がある。
海外に出張することになれば、睡眠時間が変わるため、
あるいはお酒を飲み、夜更かししてもデータは乱れる。
左手が動いたかどうか、だけでは意味をなさないものの、
このようなものも、ライフログに含めていいのではないか。
さて、ここからが本題である。
電車の中では、スマホでゲームをしている人がたくさんいる。
このゲームの記録、というのは意外と利用できない。というか、
ゲームを進めるに当たって必要な情報、例えば、
ミニゲーム(数分で勝ち負けの生じるゲームなど)では、
しかし、それ以外の情報は提供されていないケースが大半である。
例えば、今までにそのゲームで遊んだトータルの時間。
個別のゲームでは、パズドラだったら、
ゲームの機能として提供できる情報には限度があることは理解でき
その限度内で、
例えば、上記パズドラの平均コンボ数については、
しかし、私が欲しいデータは、他人はどうあれ、
そうすると、
ヘルスケアのアプリ、例えば体重を記録しておくアプリなどは、
しかし、それ合わせて利用が広がっているわけではない。
その理由は記録されたデータをただ見て喜ぶ人は少なく、
ポイントは、この大半の人、のところである。
大半の人から広く薄く課金したいのであれば、
一方で、
ゲームのデータについても、大半の人は必要としないのであろう。
しかし、大半の人が使わないものが商売にならない、
必要とするとてもわずかな一部の人にでも届けば、
振返ってみると、昨年に引き続き、今年もゲームばかりしていた。
その点はしっかりと反省したい。
お店で、となると、お値段次第ではありますが、
その銚子丸、あら汁の無料サービスがあります。
平日のお昼限定です。
ちょっと前までは土曜日もやっていたのですが、いつからか平日、
ということを、最近往訪して初めて知りました。いや、
この週末は別のお店でも、
WEBのサービスやゲームなどは終了時に案内がでる一方で、
何とかならないものかな、と思います。
さて、銚子丸と言えば、従業員を劇団と称したりしています。
私はすごくいい例えだと思いますし、
なんですが、店内が劇場っぽいか、
舞台がはっきりしないのが原因なのではないでしょうか。
店内全体が舞台だ、ということなのかもしれませんが、
舞台に他の客が上がっているってなんだよ、みたいな。
話は変わりますが、
ケーキ自体の美味しさもさることながら、外観と、
こじんまりとした店内でケーキを選んでいると、まるでRPG(
ところで、
駅からだいぶ離れたところにあるのはW・ONと同様です。
私は、ひばりヶ丘駅からW・ONまで歩いていくと、
プロンデールの場合には、
低層住宅街なのでしょうか、マンションは少ないです。
建売の戸建よりも、注文の戸建が多いため、
こちらのケーキ、美味しいのですが、
ですが、美味しいケーキを求めるだけではなく、
ケーキ屋さんに行くまでの道が楽しいのもさることながら、
W・ONが異世界への散歩だとすると、
それは店内の備品や、働いている方の格好に加えて、
この場所を舞台にした映画を撮ってみたい、
チェーン店である銚子丸には、銚子丸なりの良さがあります。
ですが、チェーンでは味わえない、
ケーキ屋さんだけではなく、もっとこういうお店が増えてほしい、
外側があるのに、真ん中が空いているもの、なーんだ?
指輪とか、首輪とか、足環とか、
食べ物では、チクワがそうですね。
ただ、一番多い回答、それはドーナツです(私調べ)。
ミスタードーナツに売っているいわゆるドーナツやポンデリングは
ドーナツは穴の開いている食べ物の事ではなく、
ところで、私、今さっきまで、ドーナツは、
いやー、絶対、人に話すときも、ドーナッツって言っていたわー、
さて気を取り直して、日本は今後、人口が減少していきます。
また合わせて、少子高齢化が進んでいきます。
少なくとも四半世紀くらい、この流れは変わりません。
これに伴い、多くの社会制度、社会インフラを、
このことを前提に、多くの改革案が議論されていますが、
東京に住んでいると俄かには実感しずらいのですが、
これを後押しするように郊外にはショッピングモールができ、
ドーナツ化現象、と呼ばれることもあります。
ドーナツ化現象を食い止めるため、
富山県富山市を初め、
なぜ、
様々な問題点が指摘されていますが、
先に述べた通り、今後、
街の中心部に人が多くいることで、医療や介護を提供すること、
背景や目的はどうあれ、コンパクトシティが進めば、
街の中心に多くの人を住まわせるためには、
不動産や建築業界には明るい話と言えます。
中心部の開発と合わせて、周辺から中央に、
やり方はいくつも考えられていますが、誰もが発想する、
具体的には、周辺への行政サービスを取りやめたり、
つまり、コンパクトシティの構想は、
切り捨てる、という言葉は悪いのですが、
この議論の対案は質を落としてでも、
いずれにしても、今後、
中心以外として言及されている対象は、都道府県単位での地方、
例えば、23区から見れば西東京市は地方、
そのため、
私は個人的に、
改装してからまだ一度も店内に足を踏み入れてはいないのですが。