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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。

コミュニケーション能力を向上させる方法は二つあります。

一つは、言うべきことを、言うこと。

そしてもう一つは、言うべきではないことを、言わないこと。

コミュニケーションに悩んでいる人に対していろいろなソリューションが提供されています。

本屋に行くと、たくさんの本が並んでいます。

Googleで検索しても、たくさんのページがヒットします。

その中には、相手に好かれる話し方とか、理解してもらえる伝え方とか、たくさんの技術・テクニックがあります。

しかし、体系立てて考えてみると、全ての話が、この二つの基礎の上に成り立っています。

物事の基本となるのは何か?を考える際には、そのことについて何も知らない人に対して、まず何から教えるのか、を考えてみることが有効です。

何も知らない人とは、多くの場合、子供が一番適しています。

子供に対して、最初に教えるのは基本の二つのうち、言うべきことを言うこと、です。

初めは痛かったら教えて、お腹が空いたら教えて、オムツが濡れて不快だったら教えて、という具合ですね。

言葉が話せるようになると、美味しくないものは放り投げるのではなく教えてほしいとか、泣いてないでどうしてほしいのか教えてほしいとか。

さらに、挨拶しよう、お礼を言おう、と続きます。

言うべきではないことを言わないことは、言うべきことを言うこと、より若干遅れるものの、並行して教えることになります。

初めは、何であれ話してはいけない場所を教え、次第に、外食している場所ではウンチって言わない!みたいなことを教えます。

言うこと/言わないこと、いずれも子供の学習が進むにつれて、しなければならない、から、した方がいい、に変わっていきます。

子供の学習が進む、というのはTPOによって変わります。

子供同士の話であれば、幼稚園に入る、という段階の話ですし、目上の人(特に先生)との話であれば、高校に入るくらいの話です。

ここで指摘したいことは、しなければならない、ができるようになったから、した方がいい、に進むわけではないことです。

この変化は、何かを学んだから生じるわけではなく、子供の関与する世界が広がったときに、広がった先では、基本的には、しなければならない、がほとんどない、ことに由来します。

なぜ、広がった世界では、しなければならないがないのか、それは広がった世界が、その世界に属し続ける必要のない、言い換えると、離脱可能な世界であるからです。

さて、子供たちは大人になる前に、この言うこと/言わないこと、のうち、言わないこと、についてのルールが根本から変化します。

しかも2回。

2転するのです。

1回目、それは、表現の自由、を学んだときです。

何故なら表現の自由とは、言ってはいけないことなどない、ということだからです。

では、これまで言ってはいけないと教えられてきたことは何だったのか。

それは他者にとって都合がいい、あるいは、自分の評判を作り、守るための、そうした方がいいこと、だったということです。

そしてさらにもう1回。

こちらは就職したときです。

就職するということは雇用契約を会社と結ぶことです。

そして、表現の自由は、契約によって制限されることを学びます。

パワハラ、セクハラは、解雇事由になるということで支えられ、表現の自由を制限しています。

言ってはいけないこと、が復活するわけです。

表現の自由、について考える際に、問題を複雑にしているのが、歴史的経緯が作り出す葛藤です。

一方で、他人の表現を制限したいという欲求は誰しも持ち合わせています。

そんなことを言うべきではない、という主張はいつでもあるということです。

その中には、相当程度の人が同意するであろう事柄もあります。

しかし、また一方で、表現を規制することを認めると民主主義の根本が揺らぐ、という歴史的事実もあります。

埼玉県警が漫画家に異例申し入れ 強制わいせつ容疑の男「漫画の手口を真似した」と供述で

http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/13/saitama-police_n_17086002.html

私は、表現の自由の名の元に、表現に規制をかけない、というのは絶対変えられない原則だとは思っていません。

ヘイトスピーチを初め、社会的に合意された規制はありうると思っています。

また、医事法を初めとした広告規制も既に存在しています。

自民党の憲法改正草案では、表現の自由には手をつけず、結社の自由にのみ、限定されてはいるものの、制限を加えています。

https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf21条をご参照ください)。

しかし、私は現状と整合が取れていないことから、表現の自由は一定の制約を受けることも検討されるべきではないでしょうか。

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都議会議員選挙が近づく中、我らがひばりヶ丘にも、小池都知事がお越しくださいました!

当日は、晴天とは程遠いくもり空。

ひばりヶ丘南口は、パルコの前を中心にして、サーティワンの前からパルコと西友の真ん中にある駐車場の前まで、扇形にたくさんの人が集まっていました。

駅前の再開発がまだ途中とはいえ進んでいて本当に良かった、と丸山市長の先見の明、そして自民党でありながら都民ファーストの会のために尽力されるココロの広さに感じ入った次第です。

小池都知事は予定の10時半になっても現れず、演説カーの上で必死で場を繋ぐべく話し続ける男性(誰だか私は知りません)が、腕時計を見たり、西友の脇から田無駅へと至る道を見たりしている姿が、サラリーマンの辛さを感じさせてくれました。

また演説カーを取り囲むSPの皆様の緊張感あふれる顔が印象的でした。

まず到着されたのが、都民ファーストの会の公認候補である桐山ひとみ市議会議員。

颯爽と演説カーへ乗り込む姿、よく通る声、きびきびされています。

演説の中身は、恨みつらみというか、なんというか。実名出してお話しされた方がもっと面白いのではないでしょうか。

桐山議員の演説中に登場されたのが小池都知事。

事前の場繋ぎで、緑のコスチュームに身を包んで登場します!と言われていたので、期待してみていたら、ジャケットだけが緑でした。

ちなみに移動車も緑じゃない、白のエスティマでしたね。

小池さんの演説は、聞いている人に語りかけるような、でも砕けすぎていない、上手なものだなと思いました。

都政での実績のアピール、桐山議員の紹介とよどみなくお話しされていきます。

桐山議員の紹介については、全部聞いていたわけではないのですが、しゃきしゃき体操に言及されなかったことが残念でした。

西東京市発、東京でくまなくしゃきしゃき体操が踊られ、新たな東京名物となるはずなのに。。。

注目を集める都議会議員選挙、旋風を巻き起こしている小池都知事の登場、と舞台は整っているものの、これだけの人が集まると言うのは、やはりすごいことだと思います。

同日の夕方、山田都議が同じ場所で演説されていましたが、聴衆ってほとんどいなかったですからね。

西東京市の選挙区では、桐山市議、山田都議に加えて、もう二人候補者がでる予定です。

民進党の選対委員長でありながら離脱され、無所属(都民ファーストの会推薦)となった石毛都議。

共産党の若手で、ビラ配りが年配の人たちなために老人をこき使っているようにも見える中村氏。

自民党の山田都議って、ひばりヶ丘駅周辺では、朝立って演説しておられたり、選挙カーで回られたりしておられますが、いつも一人な印象があります。

今回は楽勝と踏んでおられるのか、自由人なのか、その他の理由なのかは知りませんが。

いずれにせよ、予断を許さない、熱い選挙になってほしいものです。

毎年、5月末に、私は1年を振り返ってみている。
年が改まって半年弱、年度が変わって2か月。微妙な時期である。
微妙な時期に1年の見直しをしている理由は私が5月生まれであるためだ。
長女は1月生まれ、長男は4月生まれであるから、同じように、誕生日に一年を振り返るなら、いいタイミングであろう。
親として、子供にいいことを一つしたことに気づいて、大変満足である。

さて、タイミングはどうあれ、過去を振り返る際、人は何を参考にするのだろうか。
というのも、私のように極端に記憶力がない人間はもちろんのこと、そうではない普通の人にとっても、過去のことなど、流れるように頭から消え去ってしまうからだ。
年末になるとテレビで、今年の出来事を振り返る番組、をよくやっているが、あれは言い換えれば自分では思い出せないことの査証である。

かつて日記を書いていた時期があったが、日記が最も使いやすいツールであるのは間違いない。
ブログを書いていればブログも、どの時期に自分が何に関心を持っていたかを思い出すツールとなる。
Twitter等、文章であれば、ほとんどのものは記憶を呼び起こすツールとなるだろう。

また、仕事の場合には、作成したファイルなどの成果物、あるいは受け取った名刺などを見直してみることも一案であろう。
メールも、眺めていると周辺情報が思い出せたりすることが多い。
ここ数年は写真を撮ることが増えたが、その理由はカメラが使いやすくなってことに加え、子供が生まれたためであるが、これも想い出を呼び起こすための有力なツールである。

いずれにしても情報が分散している。
そして情報は、目を通すには多すぎる。

自分がやったことの記録をライフログと呼んだりする。
ライフログというのは、文章や写真に限られない。
全ての記録がライフログに該当する。

今年、強く影響を受けた本の一つに「データの見えざる手」という矢野和夫さんの書かれた本がある。
この本に書かれていたのか、矢野さんの講演会で聞いたのだか、出所は忘れてしまったのだが、内容が忘れられない話がある。
矢野さんは左手が動いたかどうか、を測定する機器を取り付け、24時間データを取り続けている、という話である。
当然のことだが、寝ている間、通勤中、などなど動きが鈍い時間帯がある。逆に良く動く時間帯もある。
平日、朝起きて会社に行き、仕事をして帰る、という生活パターンでは、毎日のデータはほぼ一定する。
データが乱れるのはそれなりに要因がある。
海外に出張することになれば、睡眠時間が変わるため、データは乱れる。
あるいはお酒を飲み、夜更かししてもデータは乱れる。

左手が動いたかどうか、だけでは意味をなさないものの、記憶を呼び覚ますツールとして利用することができる。
このようなものも、ライフログに含めていいのではないか。

さて、ここからが本題である。
電車の中では、スマホでゲームをしている人がたくさんいる。
このゲームの記録、というのは意外と利用できない。というか、進歩していない。

ゲームを進めるに当たって必要な情報、例えば、自分のレベルだったり、持ち物だったり、は当然ながら記録されている。
ミニゲーム(数分で勝ち負けの生じるゲームなど)では、過去の勝敗が見られたりすることもある。

しかし、それ以外の情報は提供されていないケースが大半である。
例えば、今までにそのゲームで遊んだトータルの時間。週に何回アプリを開くのかという頻度。
個別のゲームでは、パズドラだったら、ダンジョン毎の平均コンボ数、等々。

ゲームの機能として提供できる情報には限度があることは理解できる。
その限度内で、他人と比較したくなるデータが優先されることも分かる。
例えば、上記パズドラの平均コンボ数については、一部ダンジョンでカウントされ、ゲームの一条件として提供されている。

しかし、私が欲しいデータは、他人はどうあれ、自分自分のデータであり、これは端末側で取得可能なのではないだろうか。
そうすると、もっと自分について知るためのいろいろなデータを手にすることができるのではないだろうか。

ヘルスケアのアプリ、例えば体重を記録しておくアプリなどは、体重計に乗るだけでスマホへデータを飛ばしてくれる(わざわざ入力しなおす必要がない)など、使い勝手が向上している。
しかし、それ合わせて利用が広がっているわけではない。
その理由は記録されたデータをただ見て喜ぶ人は少なく、大半の人は、そのデータの解釈(昨日食べ過ぎたから今日は体重が増えましたね、とか)を聞きたいからだ、という。
ポイントは、この大半の人、のところである。

大半の人から広く薄く課金したいのであれば、その動向を注目する必要がある。
一方で、大半に収まらない一部のマニアから集金したいのであれば、そのニーズに応えるだけでよい。

ゲームのデータについても、大半の人は必要としないのであろう。
しかし、大半の人が使わないものが商売にならない、ということはない。
必要とするとてもわずかな一部の人にでも届けば、しっかりとした収益を上がられるのではないだろうか。


振返ってみると、昨年に引き続き、今年もゲームばかりしていた。
その点はしっかりと反省したい。
ひばりヶ丘周辺でお寿司を食べたい!と言われれば、魚考をオススメしますが、こちらは持ち帰り専門店です。
お店で、となると、お値段次第ではありますが、誰に対しても勧めやすいのが、銚子丸でしょう。

その銚子丸、あら汁の無料サービスがあります。
平日のお昼限定です。
ちょっと前までは土曜日もやっていたのですが、いつからか平日、になったみたいです。
ということを、最近往訪して初めて知りました。いや、期待していったのにぃ、とは思ったんですけどね。

この週末は別のお店でも、従来されていたサービスが終了していたことを知らされたりしました。
WEBのサービスやゲームなどは終了時に案内がでる一方で、実際の店舗のサービスはそうでもなかったりしますよね。
何とかならないものかな、と思います。

さて、銚子丸と言えば、従業員を劇団と称したりしています。
私はすごくいい例えだと思いますし、従業員のみなさんのはつらつとした様子も、劇団の名にふさわしいと思っています。
なんですが、店内が劇場っぽいか、帰り道に劇団員と会ったと思えるか、と言われると、そんなことはなかったりします。
舞台がはっきりしないのが原因なのではないでしょうか。

店内全体が舞台だ、ということなのかもしれませんが、そうすると、他のお客さんは何なんだ、ということになります。
舞台に他の客が上がっているってなんだよ、みたいな。

話は変わりますが、ひばりヶ丘周辺のおすすめのケーキ屋と言えば、W・ONをイチオシしたいところです。
ケーキ自体の美味しさもさることながら、外観と、店内の雰囲気の作り方が素晴らしいと思います。
こじんまりとした店内でケーキを選んでいると、まるでRPG(ドラクエでもFFでも)に出てくるお店、異世界に迷い込んだ気持ちになります、というとメルヘンにすぎるでしょうか。

ところで、同じく西武池袋線沿線の石神井公園にプロンデールというお店があります。
駅からだいぶ離れたところにあるのはW・ONと同様です。

私は、ひばりヶ丘駅からW・ONまで歩いていくと、バス通りでもあり、車が気になります。
プロンデールの場合には、住宅街の中を歩いていくことになるため、あまり車を気にする必要がありません。
低層住宅街なのでしょうか、マンションは少ないです。
建売の戸建よりも、注文の戸建が多いため、見ているだけで楽しいお家が多く並んでいます。

こちらのケーキ、美味しいのですが、洋酒を使っていることがあるので、子供に食べさせるのであれば、店頭で確認しておいた方が無難です。
ですが、美味しいケーキを求めるだけではなく、ケーキを買いに行く体験、をするのに、オススメのケーキ屋さんと言えるのです。
ケーキ屋さんに行くまでの道が楽しいのもさることながら、店内の雰囲気がまた素晴らしいからです。

W・ONが異世界への散歩だとすると、プロンデールは一昔前のヨーロッパのお菓子屋さんへの散策です。
それは店内の備品や、働いている方の格好に加えて、売っている商品からも感じられます。
この場所を舞台にした映画を撮ってみたい、一度も映画を撮ったことがない私でもそんなことを思いました。

チェーン店である銚子丸には、銚子丸なりの良さがあります。
ですが、チェーンでは味わえない、そのお店に行かないと味わえない雰囲気には代えがたい価値があると私は思います。
ケーキ屋さんだけではなく、もっとこういうお店が増えてほしい、ものですね。
問題です。
外側があるのに、真ん中が空いているもの、なーんだ?

指輪とか、首輪とか、足環とか、身に着けるものもいろいろありますし、タイヤも当てはまります。
食べ物では、チクワがそうですね。
ただ、一番多い回答、それはドーナツです(私調べ)。

ミスタードーナツに売っているいわゆるドーナツやポンデリングは中心が空いていますが、カスタードクリームのように、中心が空いていないものもあります。
ドーナツは穴の開いている食べ物の事ではなく、ドーナツという大分類の中に、穴の開いたドーナツ、いわゆるリングドーナツが含まれる、という関係になります。

ところで、私、今さっきまで、ドーナツは、ドーナッツが正しいのかと思って思っていました。
いやー、絶対、人に話すときも、ドーナッツって言っていたわー、恥ずかしい。。。

さて気を取り直して、日本は今後、人口が減少していきます。
また合わせて、少子高齢化が進んでいきます。
少なくとも四半世紀くらい、この流れは変わりません。
これに伴い、多くの社会制度、社会インフラを、これまでと同様に維持するのは難しくなります。

このことを前提に、多くの改革案が議論されていますが、その一つに、都市計画の問題があります。
東京に住んでいると俄かには実感しずらいのですが、地方では街の中心部に人が集まらず、郊外に流れています。
これを後押しするように郊外にはショッピングモールができ、中心地はますます栄えなくなっていっています(シャッター通り商店街という言葉もすっかり一般的に使われる用語になりました)。
ドーナツ化現象、と呼ばれることもあります。

ドーナツ化現象を食い止めるため、コンパクトシティという考え方があります。
富山県富山市を初め、いくつかの自治体が積極的に推進しています。
なぜ、ドーナツ化現象は食い止められなければならないのでしょうか。
様々な問題点が指摘されていますが、その一つは効率性の観点からです。

先に述べた通り、今後、従来の社会制度やインフラを維持することが難しくなります。
街の中心部に人が多くいることで、医療や介護を提供すること、水道やガスなどのインフラを提供することが効率化できる可能性があるわけです。

背景や目的はどうあれ、コンパクトシティが進めば、街の中心部の再開発が必要になります。
街の中心に多くの人を住まわせるためには、住居も店舗も平屋よりも高層建物が良い、という理屈です。
不動産や建築業界には明るい話と言えます。

中心部の開発と合わせて、周辺から中央に、人を移動させなくてはなりません。
やり方はいくつも考えられていますが、誰もが発想する、最も効果的な方法は、中央に住むメリットを作ることです。言い換えると、周辺に住むデメリットを作ることです。
具体的には、周辺への行政サービスを取りやめたり、インフラの更新を行わないことが考えられます。

つまり、コンパクトシティの構想は、中心部以外を切り捨てる発想です。
切り捨てる、という言葉は悪いのですが、全てを維持する余裕がなくなるので、中心だけでも制度やインフラを存続させようという議論です。
この議論の対案は質を落としてでも、広く制度やインフラを存続させることになります。

いずれにしても、今後、中心以外を切り捨てるような議論はたくさんなされるのだと思います。
中心以外として言及されている対象は、都道府県単位での地方、市町村の中での地方、など、設定する範囲によりまちまちです。
例えば、23区から見れば西東京市は地方、西東京市の中でも駅から徒歩圏内以外は地方、という議論もありうるのです。
そのため、誰にとっても他人事ではない議論なのではないかと思います。

私は個人的に、ひばりヶ丘の駅前にミスタードーナツが残っていてくれれば、それであまり困りません。
改装してからまだ一度も店内に足を踏み入れてはいないのですが。
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