東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
毎年、5月末に、私は1年を振り返ってみている。
年が改まって半年弱、年度が変わって2か月。微妙な時期である。
微妙な時期に1年の見直しをしている理由は私が5月生まれである ためだ。
長女は1月生まれ、長男は4月生まれであるから、同じように、 誕生日に一年を振り返るなら、いいタイミングであろう。
親として、子供にいいことを一つしたことに気づいて、 大変満足である。
さて、タイミングはどうあれ、過去を振り返る際、 人は何を参考にするのだろうか。
というのも、 私のように極端に記憶力がない人間はもちろんのこと、 そうではない普通の人にとっても、過去のことなど、 流れるように頭から消え去ってしまうからだ。
年末になるとテレビで、今年の出来事を振り返る番組、 をよくやっているが、あれは言い換えれば自分では思い出せないことの査証である。
かつて日記を書いていた時期があったが、 日記が最も使いやすいツールであるのは間違いない。
ブログを書いていればブログも、 どの時期に自分が何に関心を持っていたかを思い出すツールとなる。
Twitter等、文章であれば、 ほとんどのものは記憶を呼び起こすツールとなるだろう。
また、仕事の場合には、作成したファイルなどの成果物、 あるいは受け取った名刺などを見直してみることも一案であろう。
メールも、眺めていると周辺情報が思い出せたりすることが多い。
ここ数年は写真を撮ることが増えたが、 その理由はカメラが使いやすくなってことに加え、子供が生まれたためであるが、 これも想い出を呼び起こすための有力なツールである。
いずれにしても情報が分散している。
そして情報は、目を通すには多すぎる。
自分がやったことの記録をライフログと呼んだりする。
ライフログというのは、文章や写真に限られない。
全ての記録がライフログに該当する。
今年、強く影響を受けた本の一つに「データの見えざる手」 という矢野和夫さんの書かれた本がある。
この本に書かれていたのか、矢野さんの講演会で聞いたのだか、 出所は忘れてしまったのだが、内容が忘れられない話がある。
矢野さんは左手が動いたかどうか、を測定する機器を取り付け、 24時間データを取り続けている、という話である。
当然のことだが、寝ている間、通勤中、 などなど動きが鈍い時間帯がある。逆に良く動く時間帯もある。
平日、朝起きて会社に行き、仕事をして帰る、 という生活パターンでは、毎日のデータはほぼ一定する。
データが乱れるのはそれなりに要因がある。
海外に出張することになれば、睡眠時間が変わるため、 データは乱れる。
あるいはお酒を飲み、夜更かししてもデータは乱れる。
左手が動いたかどうか、だけでは意味をなさないものの、 記憶を呼び覚ますツールとして利用することができる。
このようなものも、ライフログに含めていいのではないか。
さて、ここからが本題である。
電車の中では、スマホでゲームをしている人がたくさんいる。
このゲームの記録、というのは意外と利用できない。というか、 進歩していない。
ゲームを進めるに当たって必要な情報、例えば、 自分のレベルだったり、持ち物だったり、は当然ながら記録されている。
ミニゲーム(数分で勝ち負けの生じるゲームなど)では、 過去の勝敗が見られたりすることもある。
しかし、それ以外の情報は提供されていないケースが大半である。
例えば、今までにそのゲームで遊んだトータルの時間。 週に何回アプリを開くのかという頻度。
個別のゲームでは、パズドラだったら、 ダンジョン毎の平均コンボ数、等々。
ゲームの機能として提供できる情報には限度があることは理解でき る。
その限度内で、 他人と比較したくなるデータが優先されることも分かる。
例えば、上記パズドラの平均コンボ数については、 一部ダンジョンでカウントされ、ゲームの一条件として提供されている。
しかし、私が欲しいデータは、他人はどうあれ、 自分自分のデータであり、これは端末側で取得可能なのではないだろうか。
そうすると、 もっと自分について知るためのいろいろなデータを手にすることが できるのではないだろうか。
ヘルスケアのアプリ、例えば体重を記録しておくアプリなどは、 体重計に乗るだけでスマホへデータを飛ばしてくれる( わざわざ入力しなおす必要がない)など、使い勝手が向上している。
しかし、それ合わせて利用が広がっているわけではない。
その理由は記録されたデータをただ見て喜ぶ人は少なく、 大半の人は、そのデータの解釈(昨日食べ過ぎたから今日は体重が増えましたね、とか) を聞きたいからだ、という。
ポイントは、この大半の人、のところである。
大半の人から広く薄く課金したいのであれば、 その動向を注目する必要がある。
一方で、 大半に収まらない一部のマニアから集金したいのであれば、 そのニーズに応えるだけでよい。
ゲームのデータについても、大半の人は必要としないのであろう。
しかし、大半の人が使わないものが商売にならない、 ということはない。
必要とするとてもわずかな一部の人にでも届けば、 しっかりとした収益を上がられるのではないだろうか。
振返ってみると、昨年に引き続き、今年もゲームばかりしていた。
その点はしっかりと反省したい。
年が改まって半年弱、年度が変わって2か月。微妙な時期である。
微妙な時期に1年の見直しをしている理由は私が5月生まれである
長女は1月生まれ、長男は4月生まれであるから、同じように、
親として、子供にいいことを一つしたことに気づいて、
さて、タイミングはどうあれ、過去を振り返る際、
というのも、
年末になるとテレビで、今年の出来事を振り返る番組、
かつて日記を書いていた時期があったが、
ブログを書いていればブログも、
Twitter等、文章であれば、
また、仕事の場合には、作成したファイルなどの成果物、
メールも、眺めていると周辺情報が思い出せたりすることが多い。
ここ数年は写真を撮ることが増えたが、
いずれにしても情報が分散している。
そして情報は、目を通すには多すぎる。
自分がやったことの記録をライフログと呼んだりする。
ライフログというのは、文章や写真に限られない。
全ての記録がライフログに該当する。
今年、強く影響を受けた本の一つに「データの見えざる手」
この本に書かれていたのか、矢野さんの講演会で聞いたのだか、
矢野さんは左手が動いたかどうか、を測定する機器を取り付け、
当然のことだが、寝ている間、通勤中、
平日、朝起きて会社に行き、仕事をして帰る、
データが乱れるのはそれなりに要因がある。
海外に出張することになれば、睡眠時間が変わるため、
あるいはお酒を飲み、夜更かししてもデータは乱れる。
左手が動いたかどうか、だけでは意味をなさないものの、
このようなものも、ライフログに含めていいのではないか。
さて、ここからが本題である。
電車の中では、スマホでゲームをしている人がたくさんいる。
このゲームの記録、というのは意外と利用できない。というか、
ゲームを進めるに当たって必要な情報、例えば、
ミニゲーム(数分で勝ち負けの生じるゲームなど)では、
しかし、それ以外の情報は提供されていないケースが大半である。
例えば、今までにそのゲームで遊んだトータルの時間。
個別のゲームでは、パズドラだったら、
ゲームの機能として提供できる情報には限度があることは理解でき
その限度内で、
例えば、上記パズドラの平均コンボ数については、
しかし、私が欲しいデータは、他人はどうあれ、
そうすると、
ヘルスケアのアプリ、例えば体重を記録しておくアプリなどは、
しかし、それ合わせて利用が広がっているわけではない。
その理由は記録されたデータをただ見て喜ぶ人は少なく、
ポイントは、この大半の人、のところである。
大半の人から広く薄く課金したいのであれば、
一方で、
ゲームのデータについても、大半の人は必要としないのであろう。
しかし、大半の人が使わないものが商売にならない、
必要とするとてもわずかな一部の人にでも届けば、
振返ってみると、昨年に引き続き、今年もゲームばかりしていた。
その点はしっかりと反省したい。
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