忍者ブログ
東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
職業というのは多くの場合、誰かの期待に応えることで報酬をもらうもの、が想定されるのではないかと思われる。
子供の憬れる職業、例えばプロ野球選手なんてまさにど真ん中このカテゴリーだし、お花屋さんだって買ってくれる客の期待に品揃えで応えるからお金がもらえるわけだ。
具体的な期待と成果がぴったり合っているかどうかは職業による。野球場でビールを売る人は、野球場へビールを運ぶ人より、ビールを飲む人の期待に近いところにいるのだが、だから余計に報酬がもらえるわけではないしね。
そういう意味では、ディーラーとりわけ自己資金を運用しているディーラーなんてよく分からない仕事だと思う。
 
さて、私は昔から、特になりたい職業なんてなかったし、そもそもあまり先のことを考えて生きては来なかった。
そこに理由はなく、そういう人間だったというに過ぎないのだと思う。
少し先のことは一生懸命考えるのだが、その少し先はせいぜいが1時間先でしかない。
 
そんな私は、自分の意思で将来を見据え、何かをしたいと考える人に非常に憬れる。
自分がそうなりたいと思うし、その希望を叶えてあげたいと思うことが多い。
リーダーを補佐するタイプがいい、というのとは全然違っていて、そこに勝ち目なんて必要ないし、やりがいなんて求めないし、正直報酬すらどうでもいいことのように思えている。
その希望が正しいか、つまり善なのかどうかにも関心があまりない。
 
と、そんな風に思う私の希望の職業は、ずばり、執事である。
そりゃあ、引かれてもしょうがないと思う。ヒヨッたといわれても甘んじて受け入れよう。
ハヤテが始まる十数年も前から思っていた私は、自分がそれを開示してこなかった咎を免れようとは思っていないのだ。
 
さて、そんな風にここ最近思っていたのだが、かわいくて・わがままで・でも自分を頼ってくれる、そんなお嬢さんにめぐり合う確率は年々落ちていっているはずだ。現実も見えてきている上に、真剣に探すことすらしていない。
まあ、そんな日が来たらいいなあ、と宝くじに当ったらいいなあ、と同じ響きのいいなあ、を吐き出していたところ、ふと、コンサルタントってある意味、執事みたいなものじゃない?と気付いた。
 
顧客の要望に応じて、それを実現する手段を考え、時には手足となり身体奉仕、喜びを分かち合いつつも収益は顧客につける。
これぞ、求めていた執事のあり方そのもの、のような気がしていている。
 
というわけで、お嬢様ならぬクライアントを探さないとなー。。。
 
 
 
PR
西東京市は、市の名前に「西」を取り込んだ程、西武鉄道とは深い関係があり、西武鉄道の発展なくして西東京市の発展はないものと考えるべきなのであります。

「西武HD、悲願の再上場に暗雲…サーベラス「路線廃止」提案も」
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/130311/biz13031122400023-n1.htm

そのような立場からすれば、上記は由々しき事態。
西武HD(西武鉄道とかプリンスホテルとか、百貨店は含まないです)の再上場にサーベラスなる海外のファンドがちょっかいを出しているというのです。

具体的には路線の廃止を提案しているとか。
西東京市とは関係ないのですが、国分寺線とか廃止されたらチョーコマルんですけど、と思ったのですが、それは杞憂。
ただ、公共交通について、儲かる儲からないで路線廃止なんて言ってしまえる外資と、公共の使命からそれに抵抗する西武鉄道・みずほコーポレート銀行の国内コンビ。

とまあ、勧善懲悪っぽいけど、西武HD側からの情報だけで書かれた記事っぽいなあと思います。

秩父線はともかく、多摩川線は、本業との相乗効果があまりに弱い、と私でも思います。
それが単体で黒字であればともかく、不採算なのだとしたら、手を引くべく検討するのがあるべきだと思うのです。

西武HDが多摩川線から手を引くってことは、多摩川線が走らなくなるということではありません。
多摩川線をどこかの事業者に売却するってことです、普通に考えれば。
どうして、路線が繋がっていない西武鉄道が手がける必要があるんだ?
京王の方が相乗効果が出せて保有する意味があるんじゃないか?
ということをサーベラスさんは言っているのではないでしょうか。

そうだとすると、西武の意向についてもっと突っ込んでサンケイさんには調べていただきたいものです。
なんでそれでも、不採算でも続けるの?って。
 
ビクターのハンディーカムを買った。
と何も考えずに思っていたのだが、ハンディーカムはSONYの商品名なんすね。

人生でビデオカメラを購入するのは初めてのことだ。だから少し舞い上がっているのかもしれない。

実際に触れている時間なんて高々数分程度ではあるんですが、これ、楽しいです。
もう、むやみに楽しくてびっくりして手放してみたって感じです。
やばいといえば、やばい。
ビビっときたといえば、びびっときた。
はまりそうといえば、そんな時間があれば一日中でも遊んでいられそう。

こんな楽しそうな気持ちになったのって、雪山でスノーボードを始めたとき、以来かもしれないなあ。
人類の進化の最先端ってやっぱりすごいよ、びっくりするよ!

で、逆に今使っているものが劣化する体験もここ数日でしている。
諸事情あって、妻の実家に泊めていただいていたのだが、細かい設備が一つ一つ、少しずつ、我が家にあるものより古くて劣っている。

これは全てが悪いことではなくて、シンプルな作りになっている分だけ調節によってびっくりすることが達成できたり、掃除が簡単だったりするので。
逆に誰かが工夫したことで使い勝手が確実に向上していることもあってびっくりする。そんなすごい話をしているのではなくて、洗面所の水の出る蛇口の形状、とかそんな話なんですが。

先日、会社でGoogleAppsを導入するから、と言ってその説明会を聞いていたときにもそんなことを思った。
現状の環境(窓に囲まれた生活)に比べて、すごくシンプルに、なる。
それって不便なことだけではなくて、余計なことをしなくなるってことにも通じるかもしれないってことなんだよね。

複雑なものとシンプルなものを選ぶ際には、自分だけならシンプルなものを、他人と共有するのであれば複雑なものを選びたい、と私は思う。
自分自身のために複雑なものを好む人の気持ちは私にはよく分からない、好き好きといか言いようがなく、しいたけが好きだったり、生牡蠣が好きだったり、私が食べられないものを食べる人と同じ、理解できないけど、どうでもいい。
自分のためにシンプルなものを選ぶ人が他人のためにもシンプルなものを選ぶ、ということは、正直、エゴを通しすぎなんじゃないかと思う。

シンプルにすることはいつでもできる、のであって逆は難しい。
今、ないような機能を追加することは難しいことであって、いつでも誰でもどこでもできるわけではないだろう。
逆にシンプルにする分には機能を使わなければいいだけだ。
もちろん、組み直す、という作業は必要になるけれど。

この組み直しの作業を嫌がる人が他人にシンプルなものを勧めやすい、ような気がしているのだが、さて。
突然ではあるが、新青梅街道沿いは、北原西交差点にある「壱銀」さんという和食料理屋をご紹介させていただきたい。
西東京市にある美味しいお店、という紹介の仕方よりも、西東京市で営業してくれていて感謝したいお店、だと思う。

何事もそうであるのだが、考えたり調べたりするよりも、まずはやってみることで体感できることはたくさんある。このお店もしかりである。
もちろん、どう書いたら伝わるのかなあ、と悩んでいるための逃げ口上であることも否定しないが。

今年の春に初めて伺ったのだが、場所的にはスーツ屋があり、ステーキ屋があり、私にとっては気張って、無駄に踏ん張ることの多い場所だった。
こちらのお店には気張る必要も、踏ん張る必要もない。

こちらは、優しそうな料理人と、朗らかで美しい女将さんのいるお店である。
綺麗に盛り付けられた、若々しい味付けの料理を食べられるお店である。
居心地がよく、何度も立ち寄りたくなるお店である。

私は個室を利用させていただいた。子供がいる場合、床に子供を寝かせられる個室は必須である。
また、個室であれば多少の子供の奇声も許容していただけるかもしれないという期待がある(事前にお店に話しておくのがより望ましいマナーのような気がするが)。

決して広い店ではなく(って全体を把握したとは言い難いのだが)、でもその空間が心地いい。
また、内装も店の雰囲気も、老若男女を問わない。
お酒を飲むのもよし(今回は車だったので酒を飲めなかったのが悔しい)、親しい友人や家族とじっくり語り合うのもいいと思う。
こちらの個室は、包み込むような大きさのため、走り回る児童には辛いかもしれない(私が児童の頃には和食自体が辛かったが)。
ついでに、恐らく数人、程度の集まりが一番いいのではと思う。
何故断れないのか。
考えられないから、対応できないからだ。
感情的に、そして全面的に、承認する/拒否する。
その2択しかない。
つまり、断ることは相手との関係を全て破壊する行為に見えるのだと思う。
であれば、断れないのも無理はない。
 
他人との関係ってもっといろいろな幅のある関係があってよい、と思うと楽になるのに、という気がする。
ちょっと協力する、別に相手の気に入ることを提案する、全面的に要請を受け入れても恩を着せる、などなど。
 
対応を考えるのは、その要請が自分にとってどういうものか、その要請に応えることは自分にとってどんな利益があるのか、を考えることから始めなくてはならない。
そんなことを考えるのはめんどくさいからといって、一定の基準(偉い人から言われたから、取引先から言われたから)で判断していてはよくなることはない。
要請に対して検討できずに断れない人で、他の仕事について自分で考え素晴らしい成果を挙げる人なんてほとんど見たことがない。自分がその例外だと、思わないことは普通のサラリーマンには妥当である。
 
さて、そのため、外部から言われたことをそのまま、了承していいですよね?と聞かれると、しっかり考えたの?、と聞き返してしまうし、めんどくさければとりあえずメリットがないから断れ、と指示してしまいがちである。
担当者は食い下がる、何故断らなければならないのか?と。
 
そこで、これだけメリットがない、と説明する。要請を受けて対価も取れないし、先方にとってメリットになるとも思えない、わたしたちとってのデメリットさえある、なぜ要請を受けるのか?
 
これが私にとって何故か繰り返してしまう失敗である。
その失敗は、じゃあ断りますね、と言って、全面的な拒否を相手に伝えた上でこちら側にメリットがないことを説明している際に痛感される。
 
なぜ私は説明してしまったのだろう。
断る理由を彼に代わって考えてあげていればよかったのに、と。
 
カレンダー
05 2025/06 07
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
mimomemo
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター

Copyright © [ はちこくやまから見える世界 ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]