東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
ずっとこの日を待っていた。
後何日、を指折り数え、メモし、でも誰にも言えないのでさりげなく会話に溶け込ませて自分の耳にも音を届けた。
影響のありそうな全ての要因をそっと手のひらで押し出したり捕まえたりした。
当日、少し時間は押してしまったし、待ちわびた時間までの過ごし方には不満があったのだけれど、何とかそのときを迎えられた。
もちろん、これはスペシャルタイムが開始されたことを意味するのみであって、なんらかの結果がもたらされたわけではない。
結果を期待しうるような席につけただけのこと。この席に提供される料理がなんであるのか、皿を見るまでは、もっと言えば口にしてみるまでは分からない。皿が提供されるのかだって確かではない。
でも、私は席に座ったんだし、その席でワクワクしていたんだ。これから始まる何かに。
準備のために時間をかけ、しばし、しかし、じっくりと待ち、心を静めて、自分の鼓動を確かめ祈る。
釣竿にかすかな振動を感じるだけで血液の温度が跳ね上がる。
いくどかの繰り返し、段々と持ち上がってくる今日は何もなく終わるのではないかという猜疑心。
確かな手ごたえがやがてもたらされる。
感触は十分、月並みながら心が躍りだす。
足取りは確かに、踏み外さぬように、強く踏みしめすぎないように、一歩一歩進んでいく。
過去の記憶を甦らせ、反芻し、記憶が塗り替えられた暁には用済みとなる最後の余韻を楽しむ。
紙一重、刹那の時間で期待が打ち砕かれる。
幸い、こちらにダメージは生じていない。一球、派手に空振っただけだ。
とはいうものの、元の地点には戻れない。大事時間もかけてしまった。
手ぶらのまま前進する。目的地に到達してしまうわけにはいかないが、中途半端な場所では身動きが取れない。
手を、思考を、期待を止めることは許されない。一瞬たりとも止まってはいない。ゆっくりと回転し続ける。
休息の地で脚だけが疲れを取り、次の行軍に備える。
時間が厳しくなってくる。
手ごたえも徐々に減ってくる。
かすかな望みは、かすかな手ごたえを、増幅させる。
心拍数を押し上げる力強さはどこにもなく、けだるさばかりが溜まっていく。
そしてついに、時間が切れる。あれほどあった時間が。あれほど望んだ時間が。
訪れるのは完全な絶望ではなく、一抹の寂しさと、些細な安堵感。
何も得るものはなかったが、失ってもいないのだ、と慰めとも言い訳とも付かない言葉を口の中で転がす。
肌で感じる空気は、意識しても感触がなく、世界は茫洋と瞬いていた。
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