東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
大丈夫、君の言葉はこの広いネットの世界で、間違いなく誰れかに届いている。
君の言葉に触発された誰かが、行動を変え、その結果で世界が変わる。
それは今ではないかもしれないし、世界の変化は君には実感されないかもしれない。
それでも悲観することなんて何もないのだ。
君の言葉は確かに誰かに届いているし、その言葉が世界を変えているのだから。
だから、決してその歩みを、文章を綴る努力を、伝えようとする情熱を、枯らしてはいけない。
何があっても、書き続けるのだ。
毎日でなくてもいい、思い立ったときでいい。
継続することにこそ、意味があるのだ、ということを、理解せずとも実践してほしい。
私がブログを、文章を書き始めたきっかけって、誰かに何かを伝えたい、ということにあった。
その何かは、自分が読んだ文章を書いてくれた人に対して、その文章を綴る苦労に対して、感謝したい、そしてまた書いて欲しい、と伝えたいという思いだった。
およそ、怒りは書きやすく、喜びは共感されやすく、ユーモアは理解されがたく、感謝が伝わっている実感は必要ないものなのかもしれないが、何よりも手に入りづらい。
今、誰かと話したい気持ちが全くない。
一緒に食事に行けば、付き合いで返答することはできる。
でも、一刻も早く会話が終わればいいのに、と思っている。
逃れられない場所に居れば、時間が過ぎて一人になれたらいいのに、と思っている。
そんなときの自分は、とにかく謝り勝ちだ。
慌てているし、その場をやり過ごしているようでいて、後から考えると何も言っていない。
つまりモロに会話を拒否している態度そのものなのだ。
それでいい、とは思っていないけど、すぐにはどうにもならないことも分かっているので、しばらくほおっておこう。
今日はいいことあるだろうか。
PR
この記事にコメントする