東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
自民党の憲法改正案について、注目度が高く議論されている状況を私はいいことだと思う。
たくさんの意見が出ることが面白い。
それ以上にたくさんの議論の仕方があることが面白い。
現時点で思っていることをいくつか、私のために残しておこう。
憲法について議論する前に、まずは、憲法のようなものは、いくらでもこじつけで議論が出来てしまうことを知っていなければならないのだと思う。
あの発言と、この文言を組み合わせると、こういう意図なんだろう、というのはこじつけ以外の何者でもない。
こじつけの上手下手はあるのだが。
次に、私は自民党の憲法改正案を読んでいない。
しかし、世の中(私が見ているのはネットの中だけかもしれないけど)の議論は、概ね、同じように読まずに行われている、と思う。正直、現在の憲法すら理解していないような議論も多々あり、楽しくもあり寂しくもある。
憲法が何のためにあるのか、は国民が議論すべき問題であって正解があると私は思わない。従って、憲法とは為政者、公権力を抑制するものである、という前提は必ずしも正しいものとは思わない。
また、実際に報道等で目にする改正の内容は、国民意識とは非常に合致している印象の方が強い。
例えば、私人の権利行使を抑制することについては、生活保護の議論を見ていても、同意できる人が多いのではないだろうか。
自衛隊が国防軍と再定義されることについても、当然だと思う人の方が多いと思う。
字面だけを追っていくと、私には多く賛同を集めるであろうことしかかかれていないように思えるのだ。その裏側に侵略戦争に邁進する意図が隠されていると読む、人がいるものもちろん、理解できるのだが。
もう一つ、結論なく議論することを政党として認めている日本維新の会が新聞社から叩かれているのがとても分かりやすく面白い。
意見を述べれば反論にさらされる中、自民党のみんなが思っていることを言う、という方向が一つの正解、もう一つのありうる選択が、この何も言わないという維新の会の姿勢だと思う。
新聞社(というかメディア)が困ることを、それでも無視されないことを見越しているのだとすれば、大したものだなあ、と思う。
これに対して、護憲派の旗色は相当に悪いように思える。
私の肌感覚で恐縮ではあるが、一生懸命叫んで、落伍者、転向者を出さないように頑張っている、そんな印象である。
私個人は、自民党案に沿って憲法を変えることに反対である。
権力の行使は、過度といえるほどに抑制してほしい。
税金使ってやることは最低限でお願いしたく、あれも補助金を、これにも補助金を、ということは辞めて欲しい。
そのためには、他人が犯罪に満たない行為をしているのであれば、公権力の行使以外の方法で対応してほしい。
外国との間の紛争を力で解決してほしいとは思わない。幸福の追求をあきらめたくない。他人の幸福の追求をあきらめさせたくない。
憲法だけが成文でないといけない理屈はないはずだ。
今、日本国民の選択を積み重ねると自民党案のようになりそうな気がするだが、それは正しい道ではないことを共感してほしい。
憲法は議論ではなく、共感を増やすことでしか解決できない問題なのだっと思う。
たくさんの意見が出ることが面白い。
それ以上にたくさんの議論の仕方があることが面白い。
現時点で思っていることをいくつか、私のために残しておこう。
憲法について議論する前に、まずは、憲法のようなものは、いくらでもこじつけで議論が出来てしまうことを知っていなければならないのだと思う。
あの発言と、この文言を組み合わせると、こういう意図なんだろう、というのはこじつけ以外の何者でもない。
こじつけの上手下手はあるのだが。
次に、私は自民党の憲法改正案を読んでいない。
しかし、世の中(私が見ているのはネットの中だけかもしれないけど)の議論は、概ね、同じように読まずに行われている、と思う。正直、現在の憲法すら理解していないような議論も多々あり、楽しくもあり寂しくもある。
憲法が何のためにあるのか、は国民が議論すべき問題であって正解があると私は思わない。従って、憲法とは為政者、公権力を抑制するものである、という前提は必ずしも正しいものとは思わない。
また、実際に報道等で目にする改正の内容は、国民意識とは非常に合致している印象の方が強い。
例えば、私人の権利行使を抑制することについては、生活保護の議論を見ていても、同意できる人が多いのではないだろうか。
自衛隊が国防軍と再定義されることについても、当然だと思う人の方が多いと思う。
字面だけを追っていくと、私には多く賛同を集めるであろうことしかかかれていないように思えるのだ。その裏側に侵略戦争に邁進する意図が隠されていると読む、人がいるものもちろん、理解できるのだが。
もう一つ、結論なく議論することを政党として認めている日本維新の会が新聞社から叩かれているのがとても分かりやすく面白い。
意見を述べれば反論にさらされる中、自民党のみんなが思っていることを言う、という方向が一つの正解、もう一つのありうる選択が、この何も言わないという維新の会の姿勢だと思う。
新聞社(というかメディア)が困ることを、それでも無視されないことを見越しているのだとすれば、大したものだなあ、と思う。
これに対して、護憲派の旗色は相当に悪いように思える。
私の肌感覚で恐縮ではあるが、一生懸命叫んで、落伍者、転向者を出さないように頑張っている、そんな印象である。
私個人は、自民党案に沿って憲法を変えることに反対である。
権力の行使は、過度といえるほどに抑制してほしい。
税金使ってやることは最低限でお願いしたく、あれも補助金を、これにも補助金を、ということは辞めて欲しい。
そのためには、他人が犯罪に満たない行為をしているのであれば、公権力の行使以外の方法で対応してほしい。
外国との間の紛争を力で解決してほしいとは思わない。幸福の追求をあきらめたくない。他人の幸福の追求をあきらめさせたくない。
憲法だけが成文でないといけない理屈はないはずだ。
今、日本国民の選択を積み重ねると自民党案のようになりそうな気がするだが、それは正しい道ではないことを共感してほしい。
憲法は議論ではなく、共感を増やすことでしか解決できない問題なのだっと思う。
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