忍者ブログ
東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
他人の発言は、一時的にさえぎることができる。
しかし、その口を永遠にふさいでおくことは、相当な困難が伴うミッションであると知っておくべきなのではないだろうか。

方法はいくつかある。
(1)殺してしまう、あるいは物理的に口を潰す、両手を骨折させる、等
(2)脅しつけて辞めさせる
(3)教育する

いくつかと言ってみたが、私には、全てがこの類型のどれかに当てはまるような気がする。ちなみに発言っていうのは、文章なんかも含めて考えている。

他人に自分の望ましい発言をしてもらうためには、原稿を渡すか、偶然に期待するかの2択であり、多くの人は偶然を選んでいる。
一方、先程挙げた口をふさぐ為の方法としては、多く、(3)教育、が利用されているのである。

ここで教育というのも、なかなか語義の広い言葉であるが、一言で言えば他人の態度や嗜好を返させるもの、ということができる。
そう、論争というのは一般にここに、つまりは教育に、分類されると私は考える。

ところで、教育以外の手段により発言を停止させることでは、単なる停止しか起こらない。テープレコーダーで言えば(そろそろこんな例えが通じなくなってきているのではないか、と思われる)停止ボタンを押す、ことに他ならず、というか場合によっては停止ではなく一時停止なのかもしれないが、いずれにせよ、その発言を止めるだけで、代わりに望ましい発言がなされる、というわけではない。
教育の場合は目的がこのような「停止」に留まらない。積極的に次のテープを流すこと、つまりは自分の意に沿った発言を行うことまで求めるのである。

しかし、教育の成功する確率は著しく低い。それでも多くの人がこの手段を多用することが不思議でならない。
成功しない理由はいくつかある。
まず、教える方に教えるためのスキルが欠けている。これはもちろん、教わる方は教わるスキルが欠けていることとセットではない。何故なら教わるスキルは義務教育から高校・場合によってはその先まで、存分に鍛え上げられているはずだからである。
しかし、教わる方にも問題の半分がのしかかっており、それは教育される側に、されるだけの心構えがないことによる。

何故、こんなことを言う人がいるのだろう、の答えは、恐らくない。
どんな意見であろうと、言う人は見つかるものなのだ。
でも、他人のいやな意見を聞き流す方法はある。それは、その言葉が目立たないほど、多くの言葉で多い隠してしまうことに他ならない。

元々、デマを拡散する人や、それに便乗する人、デマだと分かっても謝罪しない人、を想定して書き続けていたのだが、よく考えてみると、ヘイトスピーチも同じような光景だ。

ヘイトスピーチで気持ちがよくなっているのを見るのは気持ちが悪い。しかし、同じようにヘイトスピーチを避難して気持ちよくなっているのを見るのも気持ちが悪い。
他人を、気持ち良さそうにしていると、ほんわかした気分にさせられるのはAV女優くらいなものだ、ってことは覚えておいて損はない。
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
最新TB
プロフィール
HN:
mimomemo
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
P R
カウンター

Copyright © [ はちこくやまから見える世界 ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]