東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
本やインターネットでは得られない、体験することでのみ得られる知識というものがある。
実際にその場所へ「自分で行って」みよう、それを「自分でやって」みよう。
そうすることでしか得られない何かがある。
まずは一歩踏み出してみよう!
ニートの諸君、街へ出よう!というススメではないか、時折目にするスローガンである。時折耳にするスローガンである。そして、時折実感するスローガンである。
この言葉の意味するところは、ある状況について書かれたものは、動画で見られるものは、他人のフィルターを通しているので、自分でその場所に行って気づくものはまた別にある、というところにある。
気づいた事柄が有益であるか、はここでは問題ではない、というかむしろさして有益ではないことの方が多いだろう。きっと、その自分でしか気づかない事柄は、他の誰かにとって、正直に言えば、他の誰にとってもどーでもいい、ことが多いと思う。
それでも、自分で気づくことの大切さは存在する。
あなたが、自分自身の体験を、とても貴重だと実感するであろうことが一つ。
そしてもう一つは、それがあなたの見方・考え方に影響する結果、あなたがより魅力的になることである。
大上段に振りかぶっておいて、どうでもいい話を始めるのだが、開店前のスーパー、デパートには行列が出来ていることがある。
市役所や図書館にも行列ができていることがある。
私にはとても不思議な光景に映る。
例えば、先着何名様、で販売しているものがあるなら分かる。
例えば、時間の調節が上手くいかなくて早く着いてしまうのも分かる。
でも、開店前に集う人たちはそういう人たちばかりではないのだ。
特に買えるものがなくたって、開店前から並ぶ人たちがいることは、お店のことを知っていれば(つまり早く買うと得な、って少なくとも経済的には)がないことで説明できる。
時間の調節以外の理由で早く来る人がいることは、毎日、同じような人が並んでいることから説明できる。
つまりは、始まる前から並ぶことが好き、な人たちが一定程度居るってことだ。
ファミレスには、ファミリーレストランの看板とは裏腹に家族が実は少ない、ということは知っていたが、遅い時間に行くと、結構一人で来店している老人が多い。
彼らは、特にファミレスに来る理由もなさそうであるし(食事をする場所ならいくらでもありそうだし、ドリンクバーもあまり利用しない)、しかも常連のように来るものも多い。
ファミレスのバイトと、久しぶりー、なんて挨拶しているのを聞いていると、不思議以外の感想は浮かばない。
ファミレスは居やすいような気がしなくもないのだが、食べ終わるとそそくさと帰ってしまう。
たまたま他人の行動はよく分からない例を並べてみたものの、だからここから、現代人は時間をもっと有益に使うべきであるとか、老人があたたかく食事できる場所を提供すべき、と思っているわけではない。
ただ、自分が普段行かない場所に行くと、聞いたこともないような体験ができて、それになんの意味があるのか分からないけど、自分自身ではちょっとしたことに気づいたって満足感を得られるよ、という話である。
この自分が普段行かない場所、を刺激のある場所にすべきだ、との意見もある。
旅を推奨する一派がこれに該当する。
旅に出れば、人は新しい発見をする。
旅に出れば、新しい出会いがある(人間との出会いだけではなくてね)。
旅に出れば、自分の新しい一面と向き合うことができる。
このような話を否定するつもりはない。
否定はしないが、いつも旅にでるのは疲れてしまうような気がする。日常の中で、ちょっとした、普段自分がいかない場所へ行ってみること、も十分に気づきがある面白い行動なんじゃないかと思う。
そういう意味で、西東京市なんて、大した観光名所があるわけでもなく、びっくりする新しいものに出会わない、でも普段と違う体験のできる場所のひとつなのではないか、と思う、いや思いたい。
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