東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
世の中にはいろんな人がいる。
通勤電車で同じ車両に乗り合わせた人は、
構成、趣味などがそれぞれ異なるように。
市民祭りに集まった人は、皆が市民ではなく、住処、同居人、
れぞれ異なるように。
安保反対のデモに参加する人は、
党、政治的信条などがそれぞれ異なるように。
いろいろな人がいることを認識するためには、
ころへ出かけてみるのが一番手っ取り早い。
満員電車、イベント、
が集まる場所というのはいくらでも思いつくだろう。
そのような場所で人間の多様性について考えてみることは視野を広
要である。
もちろん、人の集まる場所に行けばそれで事が済むわけではない。
集まり毎に一定の偏りがあるのは当然である。
少女アイドルのコンサートで老夫婦と遭遇する機会はめったになく
でいる人を目にすることはまずない。
そのため、多くの場所、集まりに顔を出し続け、
間の多様性に真に触れることができる。
とはいえ、人間観察を生業とする者、趣味とする者でなければ、
らに出向くのはおっくうである。
なるべく多くのサンプルが採取できるような人ごみというのはない
老若男女と出会うことができる場所と言って最初に思いつくのは繁
ひばりヶ丘のPARCOの前でもいいのだが、
い。
渋谷のスクランブル交差点などは、
は、絶好のスポットであると言える。
特に繁華街の場合、
にいる(というか通過する)
スポットであると言ってよいのだろう。
ただ1点、
その説明をする前に、多様な人間がいると認識・
をしなければいけないのか、を理解しておかなければならない。
多様な人間は見ただけで判別でき、
もちろんそのような強烈なインパクトのある外見をしている人間も
性である。
ただ、残念ながら、その数は多くはないし、
のよりはるかに大きな、
そのため、見た目だけではなく、
り、
言動を知るための最良の方法はその相手に話しかけてみることであ
に話しかけるのはあまりにハードルが高い。
話しかける勇気が必要であるだけに留まらず、
ら始め(今日はいい天気ですね・・・)、
(ご出身はどちらですか・・・)、
ため手間もかかる。
言動を知るための裁量ではないものの、お手軽な方法としては、
会話に耳を澄ませる、というものがある。
親子、夫婦、友人、既に連れ立っているものは信頼関係もあり、
動を目に耳にすることができる。
さて、繁華街の問題に戻ろう。
繁華街は、この言動を知る、
ない。
この点が最大の欠点であると言える。
何故なら、繁華街とは目的地ではなく、人々は常に移動し、
察者としては動向をとらえることが困難であるためである。
とすれば、どうしたらいいのか。
煩わしくも、
という答えを巡礼ではなく、
結論から言えば、初もうでに行く、というのが、
好機なのではあるまいか。
初詣には普段は出不精であってもやってくる人が数多くいて、
は珍しい特徴であると言える。
また、参拝のためには、ゆっくりと進む列に並ぶ必要があり、
交わされる会話を採取するのに絶好の場面であると言える(
くる家族であることも今年、把握した事柄の一つである)。
我が家は例年、正月の第二週辺り、
(初詣している、出ないと馬から落馬なのだろうか)。
人ごみが苦手で、子供が暴れるからである。
場所は、東伏見稲荷が良い。
ひばりヶ丘の駅から自転車でも行ける上、
なお、初もうでの次に、神社関係の行事としては、節分があり、
行っている。
思えば、
いささか疑問である。
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