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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。

めちゃイケ、というフジテレビの番組で、誰が一番速く寝るか、という企画があった。

ヨーイ・ドンで布団に入り、脳波を測定して最も早く睡眠状態になった人が勝ち抜く。

初回こそ、瞬発力が大事ではあるが、数人の脱落者(眠れなかった者)を出しつつ2回、3回と続けていくので、寝てはたたき起こされ、の繰り返しに持久力も必要とされる。

浜口さんがたいそう強かった(早かった)と記憶しているのだが、私も、同じような競争があれば、相当上位に食い込む自信がある。

瞬発力はもちろんのこと、持久力にも自信がある。

さらに、環境を問わず寝られる、という点にも自信がある。

これについては、初めて行った美容室で待っている最中に寝てしまった経験が証明となるのではなかろうか。

 

昨夜、眠りに落ちる前、ベットで妻の不眠の悩みを聞いていた。

そう、妻は不眠で悩んでいるのである。

コイツが不眠ではなく、ふーみんだったらなあ。等とは発想も浮かばないし、天から何かが降りてきて思ったとしても、絶対口にはしない。

 

どういうときに不眠になるのか、それを現状に当てはめるとどういうことになるのか、という説明が続く。

さらに、不眠がどれだけ辛いのか、に話が及び、不眠を患ったことのないお前にはこの辛さが分からず、分かる努力をしているとも思えない、と呪詛の言葉へと発展していく。

そう、思い起こせば、私は不眠に悩んだことがないのだ。しかも、寝てしまったら、大抵の事では起きない。

私はかつて、通勤に使っていた電車の目的地に勤務していてのだが(西武池袋線でいえば池袋)、この通勤電車、通勤ラッシュで満員ではあるのだが、目的地到着の2駅前、だいたい10分前に大半の人が降りてしまう。

大半の人が降りてしまうと言うことは、座れてしまうと言うことであり、座れてしまうと言うことは寝てしまうと言うことであり、寝てしまうと言うことは起きないと言うことであるからして、よく折り返してしまっていた。

 

さて、寝てはいけないときに寝てしまったことも数多くある(テストの前日に翌朝早起きして勉強しようと思って寝てしまい、起きたら学校に遅刻しそうな時間だったり)。

眠りに落ちる方法には興味がないが(睡眠前には、カフェインを抑えよとか、体を温めすぎるなとか、スマホを触るなとか、まったく興味もないし、それをしたって寝られてしまうので意味もない)、睡眠時間を減らす方法には、とても興味がある。

 

話がそれるが、アウトドアを楽しむ人は多い。

雄大な景色、心休まる公園、声明を実感する自然、アウトドア(公園まで散歩するだけのことも含めている)に何を求めるか、どうやって満喫するかには広大な自由がある。

言い換えると、人それぞれの楽しみ方があり、その多様な楽しみ方がまた、アウトドアの魅力であると言える。

目にするものを楽しむ人がいる。写真や映像に価値を見出すタイプである。

口にするものを楽しむ人がいる。持ち込んだり、その場で入手したものを食べることに執念を燃やすタイプである。

耳にするものを楽しむ人がいる。風や川の音、生き物の鳴き声などに癒され、子供の泣き声を非難するタイプである。

 

それなのに、私の楽しみ方は、誰からも、認められない。妻からは明確に認められていない。

私の楽しみ方は、環境にも優しく、お財布にも優しく、風景にも溶け込むというのに。

それは、自然の中で眠りたい、というものだ。

そんな時に見つけたこれ、素晴らしい。

「アウトドアでゲリラ昼寝」

 

これを持って、どこに行こう、どこで寝よう、と考えるだけでもわくわくする。

眠る前のまどろむ時間に、何を口にして、何を読みながらその時を迎えようか、と考えるだけでどきどきする。

眠りから覚めたときに、景色がどう移り変わっているのか、何が聞こえるのか、と考えただけで早く実行に移したい。

そして、これを買いたい、買ってほしいと妻に頼むことは、不眠よりふーみん、よりはるかにハードルが高いと考える。

 

さて、昨夜の話である。

不眠の話を聞いて、その話を何の足かせにもせず、私は眠りに落ちた。

ところが、夜中に目覚めてしまったのである。

その理由は、夢だ。

 

夢の中で、わたしたち(自分以外は誰だかわからない)は開けた南米の大河のわきを逃げていた。

何から逃げているのかは不明である。

必死に走っている最中、ふと地面に目を転じると、土の中に隠れていたワニと目が合った。

やばいと思って立ち止まった瞬間、ワニは姿を現し、隣にいた人間を飲み込んで川へと消えていった。

その後も砲撃やらなんやらで、次々と人が死んでいく中、目が覚めたのだ。

 

目を覚ました私は死が怖かった。

そして、いつの日にか、自分も死んでしまうことを実感した。

それは余計に怖くなる実感だった。

恐怖が完全に私を覚醒させた。

覚醒したところで恐怖は立ち去ってくれないのだが。

 

今までにも、死の恐怖を実感したことが何度もある。

私にとっては、まったく乗り越えられておらず、普段は単に忘れているだけだ、ということが思い起こされる。

そして、いつの日にか死んでしまう自分の人生が、こんなものでいいのか、と深く思った。

モメント・アリ、と間違えて覚えていた、メメント・モリ。

何故、このタイミングで、私がこの言葉に向き合わなくてはならないのか、そこに意味はあるのか。

私は考えながら、思った、この考えている状態が不眠なのかと。

そして、不眠かどうか考えていることは、死の恐怖から目をそらせているに過ぎないことを。

 

その後の記憶がない。

どうやら寝てしまったようだ。

翌朝、目覚ましが鳴らなかったのか、起きたら、家を出ているべき時間だった。

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