東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
少し欲しいモノがある。
どうしてもほしいとか、なんとしてでもほしいとか、そこまでじゃなくて、でも、あきらめてしまうのも惜しい。
私は小さいときから手に入るものより手に入らないものが多くて、段々と手に入れたいという欲求自体が少なくなってきたのだけれど、それでもほしいものが、たまに出てくる。
少しお金を出すくらいだったらいいのだが、手に入らないものもたくさんある。欲しい気持ちよりも、手に入れること自体をあきらめてしまうことがたくさんある。
そんなあきらめる理由のひとつが、私がこれを手に入れるためにすることが、他人にとってはあまり役には立たないとか、これを手にするためにすることより他のものを手にすることの方が他人にとって利益になる、なんてことがある。他人はコミュニティーであることが多い。
これって、コミュニティーをつまらなくさせる方向の思考なんだよなと思う。
もっと自分の欲望に忠実な方が、自分も他人も楽しくなるのに。上手くいかなかったり、利益にならなかったりするかもしれないけど、より成功に近いものを選んでいるだけで、成功に至る要因なんて、自分が思うよりも遥かにたくさんあるのだ。そう考え始めると、自分の選択はやっぱり間違えていたのではないか、とつくづく思う。
でも、自分の欲望に忠実だってことが、他人に知らせてよいことなのか、は悩む。これを恥の文化圏の人間である、と思われるであろうか。
目先の利益ばかり考えているようでは成功できない、なんてこともよく言われるけど、どれが目先の利益なのかの判断ができる人にはこんな忠告は不要な気がする。
自分の気持ちや欲望に忠実であることが目先と言いきれるだろうか。
そんな益体もないことを考えながら、出張の帰りに、職場に買って返るお土産を物色し、餃子ポテトチップスではなく、とちおとめ饅頭を購入した。
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