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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。

子供のころ、一日一善とは何とも簡単なことだと思っていた。

たった一つ、いいことをすればいいのか、と。

 

大人になっても、やはり同じように思っている。

一日に一ついいことをするなんて、簡単なことだと。

 

Googleで「一日一善」を検索すると、一善って何をすればいいんだろう?みたいなことがたくさん出てきてびっくりする。

家から一歩出れば、善行なんて腐るほどできる。

歩いているときに、他人に道を譲るとか。

エレベーターで後から来る人のために扉を開けておくとか。

 

もちろん、一善をどう考えるかによっては、いくらでも難しくなりうる。

道を譲るだけで一善ではないなら、寄付をすれば一善なのか。

お金を渡すだけで一善ではないなら、ボランティアをすれば一善なのか。

等など、行き着くところは、自分の生活のどれだけを削って、善行に充てなければならないのか、充てるべきなのか、という話である。

 

ただ、大人になった、なってから相当の時間が経っている私は、本日の一善をどうやってこなそうか、を考えるよりもむしろ、どうやって悪行せずに一日を過ごせばいいのか、に頭を悩ませている。

気を使いながら生きている、が正確だろうか。

「悪行」というのは、暴力をふるったり、お金を盗んだり、自尊心を傷つける言葉を使ったり、に限られない。

善行が他人の喜ぶこと、を意味するのであれば、悪行は他人の嫌がること、を意味するのではないか。

 

私が行った本日の悪行とは例えば、以下のようなことである。

・上司の振ってきた、今日は大学の同級生とランチに行くんだよ、というどうでもいい話に心ここにない返事をしてしまった

・妻がしまい忘れていた指輪を目立つところに移動させ、気づかないふりをすることができなかった

・レジを打ち間違えた店員さんからレシートご入り用ですか、と聞かれて、はいと応えて受け取ってしまった

 

いいことをすれば悪いことは相殺されるのか、は対象が同じ人間であっても、力関係によって答えが変わる難問で、別の人間であれば100%殺されないと考えるべきであろう。

と言うわけで、善行を積むような余裕はなく、悪行を積まないように気を付け、それでも避けられない事柄に平身低頭、匍匐前進でやり過ごしているのである。

 

さて、善行に話を戻すと、テクノロジーの進化とともに、善行の方法も多様になってきている。

これは、従来は、概念は知っていても、実際にどうやったらいいのかその方法が分からないような善行も、ネットが普及し、情報収集が手軽になったことで、より参加しやすくなった一面がある。

ボランティア、というのは私が知る限り、従来は、誰かに声をかけてもらって参加するものであった。

お隣の奥さんが亡くなって子供を抱えた旦那さんが葬式を仕切るのは大変そうだから炊き出しや受付を手伝ってあげよう、といったようなものである。

いや、暗い例えで申し訳ない。

これが、東日本の震災から災害ボランティアが一般に認知されるようになり、また、一般のイベントでもボランティアの参加を募っているものが多くみられるようになってきている。

このようなボランティアに参加する人が増えてきているのは、いい人が世の中(日本)に増えたから、というよりも参加の方法が分かりやすく、参加しやすくなった、ということが大きい。

あるいは、養子縁組についても、従来は話として制度があることは知っていても、実際にどう動きだしたらいいのか分からなかったものが、最近ではネットで調べれば比較的簡単に、入口にたどり着くことができるようになっている。

 

テクノロジーの発展が、従来から行われていた善行の、方法の多様化をもたらした面もある。

その代表が寄付、であろう。

 

寄付は昔から誰でも募金箱にお金を入れるだけで行えるものであったが、現在では、クラウドファンディングから、料金の一部が自動的に寄付されるものまで、様々なサービスが提供されている。

サービスの多様化は、一つには、寄付を受ける対象の多様化に繋がっている。

記憶ベースで恐縮であるが、幼いころ、寄付と言えば、恵まれない人に愛の手を、というその恵まれない人も、明日の食糧がない人に、みたいな、本当に困った人向けのものである、という認識だったと思う。

もちろん赤十字だとか、あるいは神社の改修なんかに寄付する人もいた(そういうことがあるのは知っていた)が、それはお金持ちがやること、みたいな感覚だった。

それが、震災への寄付や、世界の貧困者への寄付はもちろんまだまだあるものの、もっと小さな救いの手を求めている人たち、小さなは私の価値判断ではなく、少額の救いを求めてる人たちでも、寄付を受けとることができるようになってきている。

 

また、最近の寄付は、寄付を受けた側が寄付を受けた後の状況について、報告することが増えているのも特徴であると思う。

詐欺を無くすという意味では良い取組なのかもしれないが、自分が寄付したお金を使われ方に関心を持つ人が増えてきた、と言うことであれば、世知がないなとも思う。

 

何はともあれ、12月は「Giving December」寄付月間である。

以下のサイトは、特定団体への寄付を求めるものではなく、年末に寄付について考えてみてほしい、というサイトである。

http://giving12.jp/

年末に考えてることがまた一つ増えてしまうが、楽しいことで頭を悩ますのは喜ばしい。

どうやって他人のしっぽを踏まないようにするか気を付けるよりははるかに楽しいのではないか。

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