バレーボール男子日本代表の監督に内定している中垣内裕一氏が交
交通整理の警備員を轢いたこと、
事故自体が痛ましいことは言うまでもない。
ただ、交通事故を起こしたから、と言う理由だけで、組織(
事故は誰にでも起こりうるし、適切な処理がなされるのであれば(
日本代表の監督はタレントと同様、
中垣内氏本人が猛省する、と述べている点も考えると、
詳細が分からない以上、なんともすっかりしない話である。
いずれにせよ、できるだけのことをして、
そして、ひくこと、
私は風邪をひくことがある、辛いのでひきたくはない。
私は辞書を引くことができる、
私は、自分でコーヒー豆を挽くことはない、
私は恐怖に立ち向かうよりも退くことが多い、チキンである。
私は異性の気を惹く可能性がある(生きている以上)、
ひけないことばかりである。
そして、私は楽器が弾けない。
楽器が弾けない、のは、場を盛り上げられない、のと同じで、
飲み会で輪の中心となってトークを展開したことは生涯で一度もな
上手下手はあっても、できない、と言うことはありえない。
その上手下手と言う技術も明確に測れるものではない。
楽器も同様で、音を出すくらいは誰にでもできるし、
楽譜をさらえるか、を技術レベルととらえるべきではない。
では、なぜ、私は自分が楽器の弾けない人間だと思っているのか。
それは、ピアノで猫ふんじゃったを弾いても、
タンバリンを叩くと、
その結果、どうしても断れなくて演奏に参加するとき、
だから、楽器が弾けない、と言わざるを得ないのだ。
こういう話をすると、練習して上手くなると楽しくなってくるよ!
楽器に限らずスポーツでもそう言われることが多い。
私も全面的に賛成する。
練習することで楽しくなることがある、それも結構ある。
その上で、その楽しさって楽器を弾く楽しさ、
そのような楽しさに目覚めることもあるのだろうが、多くは、
達成感を得るというのは、
この仮説の当否はさておき、
読書であれば、結末が気になり、
そういえば、私にも一つ、ひけるものが見つかった。
幕を引く。
では。