米、という日本人として知っておくべ食品についても、まだまだ知らないことがたくさんあります。
その一つに、クズ米、と言われる存在があります。
これは、炊いて食べるごはんとしては味が落ちる、粒がそろっていない、というお米でも、加工して利用する分には問題ないので利用されているお米のことです。
例えば、せんべい、なんかは米の種類があまり問題にならないのでぐず米が使われる、と言った次第です。
電通の痛ましい事件を受けて、だけではありませんが、労働時間が短縮される方向、長時間労働が許されない方向に日本社会は向かいつつあります。
やるべき仕事の総量が変わらず、労働時間が短くなれば、従業員を増やことになります。いや、なるはずなんです。
労働時間を短縮すれば、企業(も官公庁も)の人件費を削減することができるはずなので、この点からも従業員は増えるはずです。
これを個々の労働者から見れば、今まで勤めていた会社に同じように務めていると給料が減ることになる、と言うことです。
そのため、副業というか、今までの一つの会社に勤めるだけではなく、複数の仕事を掛け持ちできるようになります。
できる、というか、せざるを得ない、と言う人も多いはずです。
このような社会が実現するとどういうことになるのか、についての予想です。ほんの一部ですが。
全体として見れば、同じ時間に働ける人の数には上限があるため、より多くの人が職に就けることになります。
また、ある仕事の条件が悪く、別の仕事の条件が良い場合、誰かが苦しんで、誰かが楽をしていた、という状況が、両方ともほどほどに苦しく(楽に)なる可能性があります。
一度、福利厚生の充実した企業に就職すれば楽ができ、そこに就職できなければブラック起業で苦しむ、ということが是正されます。
複数の仕事をすることは、誰もがより多くの選択をすることになる結果、より不効率になる可能性があります。
西武池袋線沿線に住んでいる人が、今まで池袋の職場に勤めていたのに、掛け持ちする職場は新宿でしかみつからない、ということも起こる、ということです。
仕事は、人が行うことであり、それが誰なのか、というのは重要です。
どんな仕事なのか、という点も重要です。
でも、雇う側、雇われる側ともにもっと望ましい状態にすることは、できますよね。
問題は、どうやってそれを実現するかですが、一義的には、多くの雇用情報を持っている人(会社)が調整すればいいわけです。
具体的に、マクドナルド、を考えてみます。
同じ職場であれば、業務内容は大きく変わらない(はず)と仮定します。
そうすると、自社で働くアルバイトが、どこに住んでいて、どこの店舗に勤めているか、の情報を持っているわけです。
もちろん、自宅に一番近いところが一番望ましい職場、とは言いきれないのですが、アルバイト同士の配置転換を、本人の同意を得て、行うことが考えられます。
もっと広げてみると、コンビニ各社のアルバイト、なんていうのも、共通のデータ基盤があれば、適正な配置が可能となる可能性があります。
これって、現在でも、この日はたまたま午後から池袋に出るので、池袋のお店でアルバイトできるといいんだけど、なんて要望があってもおかしくないように思うのですが。
ニーズがあってもサービスがないのは、誰が費用負担するのかが決められないから、というケースがあります。
この場合も、セブンとローソンとファミマでバイトの適正配置ができるとして、誰がそれを作るお金を出すのか、という事です。
私たちの持ち時間は有限です。
せっかくの持ち時間が少しでも有効に活用されるようなサービスが出てくるといいなあと思います。