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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。

雑林で遊んでいた3歳の子供が転んだ拍子に落ちていた栗のとげに手をついてしまい、泣きじゃくりました。

 

という話を聞いてどんな感想を持ちますか?

・親がしっかり管理していないから、子供に痛い思いをさせてかわいそうだ、でしょうか

栗が落ちている場所に子供が入れるようにしていることは問題がある、でしょうか

・自然が残っていてうらやましい、でしょうか

 

子供が怪我をする可能性のある場所から遠ざけたい、親としては当然、まず最初に考えることです。

車が来るかも知れない道路や駐車場では手をつなぐでしょうし、滑り台に上れば万が一落ちた時にも受け止められるところに移動します。

それでも、全ての危険を避けてあげることは、していません。

ブランコでまさか手を離さないよね、離して落ちても重体くらいで済むよね、みたいな判断で乗らせています。

小川で転んでも水飲んでお腹下すくらいで済むよね、みたいな判断で入らせています。

 

判断に迷うのは、雑林で遊びたいと言われた時です。

何より怖いのは、突き出した枝が目に入り失明することです。

特に転んだ時に地面に落ちているもの全てに対応することはできません。

だから一切、そのような場所には入らせないべきなのでしょうか。私はそこを悩むのです。

 

人生は常にリスクと隣り合わせです。

道を歩けば、たとえそこが車道でも、交通事故の可能性があります。

電車に乗れば脱線するかもしれません。

建物の中にいれば地震で倒壊するかもしれません。

そして、林に入れば、枝が目に入るかもしれないのです。

 

もちろん、私たちはリスクの大小を見極めているでしょう。

そして、そのリスクに見合った成果があるのかも。

行動は、その両方を考慮して決定しているはずです。

 

私は、判断の度に、リスクと成果を考えています(それは無意識かもしれません)が、自身の判断よりも多くを、他人の判断に頼っていると感じています。

例えば、公園にある遊具は、ほとんどの子供がけがをしないように作られているのだろう、とか、明確に立ち入り禁止と書かれていない場所は入ってもいいのだろうとか。

 

いや、自分で考えて生きるって大変だな、と。

資産運用におけるリスクとリターンの話を書きたかったのですが、疲れてしまいました。

いや、資産運用って、1円でも貯金があれば必ずやっているわけです。日本円の預金で運用している、という意味において。

それって言葉の定義の問題ではありません、運用に伴うリスクを取ってる状態である、と言うことです。

また改めて元気なときに書いてみます。

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