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東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
ここ最近、他人の判断を良い/悪いと評価することは相当難しいことだ、という当た
り前のことを実感する。

その一例が以下。
初詣「ベビーカー自粛」要請で大騒ぎ 「差別」批判へ寺側の意外な言い分(JCast
ニュース)



あるお寺でベビーカーを自粛してください、と看板を立てたところ、そんなことを言
う人がいるから子育てが大変なんだと批判されたお話。
喧々諤々の議論があり、お寺側は昨年までベビーカーで参拝にきてほしい、とむしろ
推奨すらしていたものの問題があれこれ起こり(ベビーカーにつまずいた老人がケガ
をしたり)、どうしたらいいのか頭を抱えている様子が目に浮かぶ。
もちろん、JCastニュースの記事が正しい、という保証はない(嘘だと言いたいわけ
ではない)。

ベビーカーで初詣に行ったっていいじゃんという人も、非常識だしやめておこうよと
いう人も、いるのだろうが、どこに線を引くのかというバランスの問題でしかないと
私は思う。
電車にベビーカーで乗ってもいいのか、通路の狭い居酒屋はどうなのか、問題になる
場面は多数し、それぞれに言い悪いの線があるのだろう。

その線をどこに引くのか、を議論するのは水掛け論であり、特定の属性の人がどうし
たらいいのか、の方法を考えることの方がより重要なのではないだろうか。
初詣の人ごみに子供を連れて行くなんてありえない、と批判するのではなく、初詣に
小さな子供を含めた家族全員で行きたい人はどうしたらいいのか?を議論すべきだ。
何故なら、行きたい人の背景なんていくらで作ることができるのだから。
余命半年の母親が子供と初詣に行きたい、でも体力が落ちていてベビーカーがないと
無理、頼れる人もいない、という状況で、人ごみは避ければいいんじゃないですか?
と私には言えないのだ。

もう一例はこちら。
「子供を大学に行かせる金もないなら三人も産むなよ」という話を女子高生が熱心に
していた (ピピピピピの爽やかな日記帳)



兄弟姉妹がいなければ教育費(や生活費も)全額を自分が受け取れるはずだったの
に、親は何故子供をたくさん作ったのか、貧乏なのに、という話。
私にはそもそも何が後ろめたいのか感情論としてよく理解できず、まあそういう意見
もあるよなー、と思う。一生遊んで暮らせるほどの財産がないなら私なんで産んでく
れなくてよかったのに、という議論と何が違うのだろうか。
もちろん家族構成には経済面以外の事柄も多く関わってくるし、親としてそんなこと
を言われても困るけど。

ただ、それって当たり前だがただの仮説であって、兄弟姉妹が少なくなると自分に多
く回ってくるかどうかは分からない。
それよりも、今すぐ両親が保険金のおりる事故でなくなってくれた方が経済的に得で
あるのかを議論する方が、有意義なように思える。
あるいは、子供を大学に通わせてなお豪遊するお金があるんなら子供を百人単位で産
んでよ、の方が日本経済のためになるかもしれない。
少子高齢化の対策として、出生率を上げようという話をしている中で、子供を産まな
い/産めない女性を増やそうという議論は盛んになされているが、もっと多産してく
れる金持ちを探そうという議論がなされないのは不思議だなと私は思っている。
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