東村山市中央公園周辺に住んでいると世界はこう見えています。偏見多めでしょうが。
突き動かされるような欲求、というのは衝動的に発生するものであって、事前に予測することは難しい。
もちろん、三日間寝ないで仕事していれば寝たくてたまらなくなるのだろうし、砂漠で1日水を飲まないとのどの渇きを癒すことを心底願うのだろうとは思う。
日常的に生じ得ない状況を前提としなければ、欲求は自分でも思いもよらないときに、やってくる。しかもドアを乱暴に叩きはじめる。
歳を取るにつれて、この手の衝動が減ってきたような気がしている。
私の個人的な生活環境の変化、例えば子供ができて、以前のようにマンガを全巻オトナ買いするような余裕がなくなった、ことも影響しているのだろう。
それでも、とりわけ、何かをむしょうに食べたくなる、という衝動はなくならない。ただこれとて頻度は相当に落ちている。
ここ数ヶ月、思い出したかのように襲い掛かってくる欲求は、特定のお店のカレーが食べたい!であった。
問題は、このカレー屋が微妙に近くない距離に存在することである。
近ければ、すぐに行けばいい。逆に遠すぎれば、諦めがつく。
電車と歩きで30分強、という点がなんともモヤモヤした気持ちを醸し出す。
また、誰かが一緒に行きたい、と賛同してくれるのであればこのハードルは低くなるのだろうが、賛同者は家族を含めて誰もいない。
初めての者を誘うにはありふれた、つまらないもので、でも私にはその味が特別なのだ。
味が特別であることには、若い日々に多く食した、つまりは感傷というスパイスが効いていることを認めることもやぶさかではない。
むしろ、そのスパイス以外の特徴を説明することが困難であるし、面倒でもある。
先日、ついに欲求が限界点を越えた、という理由ではなく、時間に余裕ができたときにこのカレー屋を思い出して行ってみた。
勤務時間の合間を縫い、暑い盛りに移動する。
人気の少ないオフィス街を歩いていくと目的の店舗が見えてくる。
実際には地下にあるお店なので、看板が見えてくる。
ランチタイムとは微妙にずらしたものの、階段を下りると数人、並んでいる。
回転が早いお店なので、それほどまたされずに席に通される。
勝手知ったる、ではなく、メニューが見つからなかったので、変わっていないといいなあと思いながら注文する。
ライスとカレーが分かれて出てくる、変わらないスタイル。
カレーをライスにスプーン数杯分かけ、具材ものせて、一口、二口食べ始める。
熱い。味云々以前に熱い。
熱さに慣れてくると味が薄いように感じる。
いつだったそうだった、と思い出す。具材を食して、最後に少し大目に残る汁をかけてからがこのカレーの真骨頂。
ひたすらその高みを目指してスプーンを動かす。
無我夢中で食べ終わって、時間を調整してまで来てみてよかった、と深く納得した。
文句なく美味しかった。
滝のような汗は、服にこぼれ落ちたのだけれど、学生時代とは違ってカレーをこぼすことはなく、成長した気持ちにもなれた。
でも、もうこれ以上に美味しいカレーを知っていることにも同時に気づいてしまった。
もう、相当しばらくここに来ることはないのだろう。
また一つ、自分の欲求が解消されてしまったことに軽い寂しさを覚えながら、上司への遅くなった言い訳を考え職場へ戻った。
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