[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ゲーム理論における合成の誤謬について私は詳しいわけではない。
なので、タイトルは単なる言葉遊びではあるが、今回の震災では、善意でしたことがあまり意味がなかったり、返ってマイナスだったりすることが多々あった。
いや、あると報道されている。
中でもよくわからないのは、買占めをやめよう!だったりする。
例えば、あなたの近くのスーパーからペットボトルの水が買占められてなくなるとする。
それは、絶対的に断罪されるようなことか?
これが薬だったりするならよくわかる。
不要に買いためる人のために、命が失われるなら、それは私ももろ手を挙げて反対する。
でも、食料だったりするのですよ。
そりゃあ、困る人はいると思う。
でも、食料がなくて命を失ったりする例を、今回の震災では聞かないし。
逆に、近くのスーパーで食料があまっていたとする。それって被災地に向かうのだろうか。
買占められた棚を埋めようとスーパーが調達した食料は、それがなければ被災地に向かうのか、または、被災地ってモノがないから届かないのか。
そんな中、保谷なおみ先生のブログ(3/24)に面白い記事がある。
>我が市の市民派を自称する二名の議員が、水の備蓄を市長部局に要請
いや、結構ばっさり切りつけたなあ、と思うのだが、これだけだと、何の話かよくわからない。
水を買って備蓄するように言ったのか?というのがひとつ目の疑問で、水道水を汲んで備蓄しよう、という話であれば、そもそも買占め云々にはつながらない。
二つ目がこれまでうだうだ申し上げたとおり、それって、西東京市にあるから被災地に届かない、って理屈に本当になるのだろうか。
そんな買占めの話にも増して、この件で問題なのって、市議さんが水道局という行政に直接怒鳴り込んだこと、ではないのかなあ、と思うのである。
保谷先生がブチ切れたんだか、フツフツと怒りが沸いてきたんだかはわからないが、わからないのは状況がわからないからなんだよなあ。
幼い頃、気づけば新聞を読むようになっていた。
初めはテレビ欄、スポーツ欄、経済欄、社会欄、政治欄、一面。
あっちにいったりこっちに行ったり。
近頃の新聞を読まない風潮には、新聞社の経営危機感には、
喜ばしいものを感じている。
さて、西東京市について書きたいと思ったきっかけのひとつが、
西東京市について興味を持っても、なかなか政治の記事にまで
辿り着かないことにある。
平日昼間に家にいない、会社と家が遠い人間にとって、政治家の
集まりに参加することは論外である。
西東京市の政治とは何が行われているのか、教えてくれる書籍も
見つからない。
そんなら自分で書いてみよう、ということだ、何かしらニーズが
あるかもしれないし。
前述のとおり、情報がない分は政治家のブログで埋められるのでは?
と思ってはみたものの、、、
これが予想外に面白かった。
西東京市に関しては、市のHPに各政治家のHPへのリンクが貼ってある。
これが一般的なのか、知識がないが、とても使いやすい。
最初に言い訳というか、釈明しておきたいのだが、私は、HPで情報を
発信してくれる政治家は、とても親切だと思っているし、政治に真摯に
向き合っていると思っている。
さて、と続きはまた今度にしよう。
自分のブログを見つけた、というか。
で、怖い。なんでこんなにブラックなんだろう。。。
まあ、気分的には明るくないし、このまましばらくほおっておきたいと思う。
いや、そのうち、修正するまでの言い訳をしておきたい、だな。
西東京市のもっともお手軽で、実り多く、後を引かない、初心者にまさにうってつけ、そんな観光の仕方は、バスを利用することである。市内は、「はなバス」なんて愉快そうな名前のバスも走っているのだが、名前より実を取るあなたには西武バスを利用することをオススメしたい。
西武池袋線の「保谷駅」・「ひばりヶ丘駅」と西武新宿線の「東伏見駅」「西武柳沢駅」「田無駅」を結ぶバスは、市外からの来訪者には利用しやすいものと思われるが、それぞれ、車窓からみるべきものが、溢れてくる。それは、この季節であれば桜であったり、入学式であったり、ペットボトルを買い占めて重たそうに歩く老人だりする。
以上、今日は西武バスに乗りました、という報告でした。
本当に、楽しいですよ、西武バス。
思いがけないところで桜が見られて、来年はここにゆっくり来てみようと思ったり、楽しめました。
西東京市に住んでいる。
もう2年近くになる。
住み始めた理由に、この市が好きだから、という要素は一切ない。
それでも、住んでいる以上は愛着があるし、もっとよい場所になってほしいと思う。
何をもって「よい」というのかはさっぱりわからないが。
そんなことを思って、ブログを書き始めました。
震災直後という変化する環境の中で、街と、そして自分がどう変わるのかを
記録してみたいと思いました。